専唱寺の返還


宗務広報464号 昭和63年6月3日

専唱寺(宮崎市)、宗門へ返還される
去る5月24日、これまでいわゆる正信会の者に不法占拠されていた宮崎市の本地山専唱寺が6年ぶりに宗門側に返還されました。 

これは、同寺元住職岩切寿英が、本宗の教義及び信仰の根幹をなす金口嫡々唯授一人の血脈相承を否定する異説を唱え、管長に対し誹毀讒謗をしたことについて前非を悔いてお詫び申し上げたいと申し出たものであります。

同人は、御法主上人猊下に対する代表役員等地位不存在確認請求訴訟(現在最高裁に係属中)を取り下げるとともに、昭和57年8月21日付の擯斥処分が有効であること、したがって同寺の占有権限のないことを認め、宗務院の秋元渉外部長の立ち会いのもと、同寺兼務住職長岡錬道師に対し同寺を明け渡したものです。

なお、兼務住職は、同日付をもって長岡錬道師から岩切智順師に交替になり、今後は、岩切智順師が同寺の兼務住職として職務を執行してまいりますが、当面同寺は、佛知寺墓地管理事務のみを取り扱ってまいりますので御了承下さい。                             
以上  


その後の経過


@ 元住職岩切寿英御尊師は平成2年(1990年)12月17日に特赦により日蓮正宗の僧籍を回復した。

A 専唱寺は平成13年(2001年)10月10日に再興され、宗教活動が再開された。

B 岩切寿英御尊師は平成6年(1994年)に岐阜県大垣市の第2代経説寺住職に就任し、平成28年(2016年)9月17日に退任し隠居した。


参考資料:平成3年(1991年)1月6日教師指導会


また、正信会の僧侶が許されたのか、今後も許されるのか、という質問があります。この件について申し上げます。
 元正信会に属していた岩切寿英と原田篤道の二人が、三年から四年くらい前に、自らの非を認め、心から反省懺悔して、不法占拠していた寺院を明け渡し、在家として陰ながら寺院の仕事を手伝い、謹慎生活を続けて今日まで勤めてまいりました。この様子を御法主上人猊下がお聞きになり、開創700年という慶祝の年に当たって、本人が心から前非を悔い、反省し、また、許されるなら是非、僧侶に復帰を願っている、という心を御覧あそばされて、大慈大悲を賜り、必要な手続きを経て、12月17日、特赦の措置をとられたのであります。二人とも、来る1月11日から、白衣小僧として当分の間、大坊に在勤修行の上、末寺へ所化として数年間在勤し、しかるのち、元の僧階に復帰を許されるという予定になっておりますので、皆様方にはよろしく御理解の上、もし本人にお会いの節は、暖かく励ましていただきたいことをお願いいたします。


専唱寺復興新築落慶法要 (大白法平成13年11月1日号)


快晴の10月10日、宮崎県宮崎市の専唱寺において御法主日顕上人猊下大導師のもと、専唱寺復興本堂庫裏新築落慶法要並びに御親教が、厳粛かつ盛大に奉修された。
同寺は当初、昭和48年12月に御先師日達上人による三師塔開眼法要をもって宮崎墓園として開設され、仏知寺初代住職の岩切智順御尊師が管理・運営をされていた。
その後、岩切御尊師は、この墓園内に寺院を建立することを発願され、御先師日達上人より「本地山専唱寺」の山号・寺号を賜り、昭和54年9月、御法主日顕上人猊下大導師のもと、専唱寺新築落慶入仏式が奉修され、初代住職として岩切寿英御尊師が赴任された。
ところが昭和54年末頃、正信会によって本堂庫裡を占拠され、その後、日蓮正宗に返還されたものの老朽化が進み、修復不可能なことから、無住のままやむなく放置されていた。
しかしながら平成7年8月、現仏知寺住職の斎藤誠昭御尊師が専唱寺の復興を発願され、僧俗が一丸となり、以前の建物を撤去して今回新しく本堂庫裡を新築し、このたびの慶事を迎えたものである。
この法要には、随行の総監・藤本日潤御尊能化、大石寺理事・新井契道御尊師、さらには庶務部長・早瀬日如御尊能化、そして宮崎布教区からは支院長の定善寺住職・石田栄尊御尊師、副支院長の斎藤誠昭御尊師をはじめ、布教区内外より多数の御僧侶方が御出席。
また法華講連合会からは総講頭・柳沢委員長、大講頭・石毛副委員長、佐藤南九州地方部長をはじめ、布教区内の各支部講頭、仏知寺信徒代表100名が参列した。

午前10時、僧俗一同がお出迎え申し上げる中、御法主上人猊下が専唱寺に御到着あそばされ、直ちに七森信泰御尊師に住職の辞令を下賜された後、布教区内外の御僧侶、信徒代表、寺族、親族の順に親しく御目通りを許された。
法要の部は午前10時半に開始され、御法主上人猊下大導師のもと、新井理事による御本尊御開扉、藤本総監による献膳の儀、説経・唱題と如法に奉修された。
この後、御法主上人猊下より甚深の御言葉を賜った。

引き続き式の部に移り、米良俊雄仏知寺総代より同日の慶事を迎えるまでの経過が報告され、続いて藤本総監(宗務院代表)、石田支院長(布教区代表)、柳沢総講頭(信徒代表)より、それぞれ祝辞が述べられた。
次に、発願主である仏知寺住職の斎藤御尊師より、設計・施工の業者代表に、感謝状並びに記念品が贈呈された。
次いで、当寺住職に就任された七森御尊師より、御法主上人猊下及ぴ参列の各位に対して、丁重なる謝辞と今後の決意が述べられた。
この後、本堂正面において御法主上人猊下による「真弓」のお手檀えがなされた。

小憩の後、御親教の部に移り、御法主上人猊下が再び本堂に御出仕あそばされ、『聖愚問答抄』のうち、御書405ページ11行目から406ページ17行目の御文について、約1時間にわたり甚深の御説法を賜った。
最後に、御法主上人猊下には、本堂での代表者による記念撮影に臨まれ、同寺墓園内を見学された後、午後3時、僧俗一同がお見送り申し上げる中、専唱寺をお発ちになられ、法要の一切が滞りなく終了した。