覚知寺


知恵ノート:日蓮正宗信徒は正信会不法占拠寺院の御本尊様は拝んではいけない - 覚知寺元住職小平慈周氏とのやり取りから


 

平成21年(2009年)9月5日・北海道名寄市の日蓮正宗覚知寺を不法占拠する自称正信会所属の小平慈周氏の要求


能忍寺不法占拠者辻満道氏が遁走したため、名寄の覚知寺を訪問しようという話になり15時30分頃覚知寺に到着しました。
呼びかけてから数分してから不法占拠者の小平慈周氏はパソコンを見ていたので気付くのが遅れたとのことであり、お話をしたいという我々の申し入れに対して、OKということで控え室で話をすることができました。
まず小平氏は65歳から70歳くらい、商店のオヤジさんという感じのする人で僧侶には見えませんでした。
まず小平氏は覚知寺の御本尊様に挨拶するように促したが拒否いたしました。
小平氏の問いに対して「あなたは日蓮正宗から破門されていてもはや謗法の人なのだから、あなたが管理する覚知寺の御本尊様に手を合わせることはできない」
当方とは覚知寺を1日も早く返還すべきであるという視点からの話になりました。

小平氏の主張
@私は僧侶としての阿部日顕(上人)さんについては先輩として尊敬しているが法主としては認めているわけではない。
A私は裁判所から覚知寺に住むことを認められていて不法占拠ではない。不法占拠という表現はおかしい。
B私は日達上人からの任命状を持っている。本堂に安置している。
C覚知寺の初代住職は東大宣寺の(不法占拠者である)木全行栄さんでありあなた方の論理では覚知寺には住職はいなかったという論理である。

それに対しては
@法律上はともかく仏法上はあなたは日顕上人から破門されていて覚知寺の住職ではないのだから覚知寺を不法占拠していることになる。あなたは「日顕上人御座替式」出席し何の異議も唱えていない。ということは日顕上人を法主と認めたということではないか。
A覚知寺の住職は安立寺住職の駒井専道師が兼務していて覚知寺には住職さんはいらっしゃるし、覚知寺の登記簿をとると駒井専道師が代表役員として登記されている。

小平氏は
@確かに最初の内は日顕上人の血脈相承は疑ってはいなかったが創価学会との関係でこれはおかしいぞという話になり、日達上人から阿部日顕(上人)さんへの血脈相承に疑問を持つようになった。
A覚知寺の住職が駒井専道(師)君だというのなら駒井(師)君に言って私を力づくで追い出せばいいんだ。

更に
@早瀬日如(上人)さんが帰って来いというのなら私は今すぐでも喜んで大石寺に帰る。
A私は戒壇の大御本尊様の前で奉公していたこともあり、今も心の奥の奥で戒壇様を拝んでいる。

と言いました。

私は
これはあなたが日如上人にお詫び申し上げて大石寺に帰るべきことである。とだけ説明しAについては当方としては意味不明であったのでRadio氏に対応を任せました。

最後にどうして 本堂の御本尊様に手を合わせないのか?Radioさんは「貴方が大石寺に帰ったら喜んで合わせますよ」と。返事をし私も同様の答えを返しました。


覚知寺の沿革


 読み  かくちじ
 所在地 北海道名寄市西4条北5丁目          
郵便番号  096-0034
 電話番号 01654-2-3724
 山号 北海山(ほっかいさん) 
開基  日蓮正宗第66世法主日達上人 
 地図  
沿革    * 昭和42年(1967年)12月19日 - 建立される 
* 昭和53年(1978年)12月1日 - 法華講覚知寺支部が結成され、昭和54年(1979年)1月4日に日蓮正宗第66世法主日達上人より許可される。 
* 昭和57年(1982年)4月5日 - 第2代住職が第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定し、日蓮正宗の宗制宗規に違背したため破門されたがそのまま覚知寺を不法占拠する。 
* 昭和57年11月1日 - 覚知寺所属法華講員は士別市内の安立寺への所属替を命じられ、応じなかった信徒は日蓮正宗信徒としての資格を喪失した。
兼務住職  士別市安立寺の御住職様

小平慈周氏の略歴


* 昭和23年(1948年) - 新潟生まれ、石川県能登育ち

* 昭和34年(1961年) - 愛知県妙道寺で得度、高校卒業まで在勤

* その後大学進学後は東京で在勤、「蓮華」第2代編集長

* 昭和51年(1976年) - 北海道名寄市北海山覚知寺第2代住職に就任

* 昭和53年(1978年)12月1日 - 小平氏を指導教師として法華講覚知寺支部が結成され、昭和54年(1979年)1月4日に日蓮正宗第66世法主日達上人より許可される

* 昭和57年(1982年)4月5日 - 正信会問題で第67世日顕上人の血脈相承を否定したため擯斥(破門)処分を受けるが現在まで覚知寺を占有・居住を継続している。


覚知寺の登記簿


参考資料1:神奈川県小田原市正義山蓮久寺落慶入仏法要の砌(昭和57年8月6日) 


日顕上人より自称正信会寺院への参詣・供養を禁じた御指南について

大聖人の仏法の根源たる本門戒壇の大御本尊に対して疑いの心をもち、あるいは日興上人、日目上人より今日に至るまで厳然と伝わる処の血脈法水、仏法の本義に対して、やはり疑いをもつという者どもは、いわゆる信がないのであります。故に、そのような者どもが住職をしておる寺院において、いかに法華経を行じ、お題目を唱えても、それはいささかの功徳もないということになります。むしろ、それら総本山に背く悪侶のいる寺院の御本尊は、御本尊自体はまことに尊いのでありますけれども、そこに住んでいるところの、その寺に蟠踞(ばんきょ)する者が御本尊に背いておるのでありますから、そのままの状態において既に、その法と法を護る僧侶との精神は全く背馳しておるのでございます。
したがって、もしも信徒の方々が”そのようなお寺でも御本尊は正しいのであるから、参詣をしても構わないのではないか”というようなことを考えるならば、それはまことに大きな誤りであり、むしろ参詣をすることにより、あるいはなにがしらかの供養を捧げることによって、かえって、邪義の者どもに力を添え、そのお寺の御本尊に背くという結果になるのでございます。


平成23年(2011年)4月29日、第2回目の小平慈周氏の疑難


またまた能忍寺不法占拠者辻満道氏が遁走したため、名寄の覚知寺を訪問しようという話になり16時頃覚知寺に到着しました。
そして不法占拠者小平慈周氏と再会したのである。

小平氏は「私が大石寺に帰伏したとデマを流した奴がいる。問い合わせが来て非常に迷惑だった。」と御立腹の様子であらせられました。
当方は「よくわからない」、Radio氏は「ネットのことですから相手にしないことですよ」と返事をしました。
しかし小平氏が当方のホームページを閲覧していただけていたと分かり、小平氏に対しては大変感謝する次第です。
あなたがたとは話などしたくない、などと小平氏は仰られましたが話し出すと止まらないのが小平慈周氏の良いところであり、小平氏は火が付き話しはじめました。
そして小平氏は「私は私に対して頭は下げたくないというのは分かるが日達上人の覚知寺の本尊にひざまずかないことには私は納得いかない。これは宿題としてあなた方に出したはずである。
とぶつけてきました。(別に宿題などは出していないのですが)
当方は前回と同様、上記の日顕上人の御指南、そしてあなたは「日顕上人御座替式」に出席し何の異議も唱えていないと答えましたが、本人は「阿部日顕(上人)師がそういうように言ったからできないなどということは認めない、日蓮大聖人様の文証を出せ!」と仰られましたので「次回お答えさせていただきます」と対応いたしました。
Radio氏は能忍寺不法占拠者辻満道氏の言動を出して「辻氏は自分の信徒を成仏させてやる」などと息巻いていたがあなたはその言説については正しいと思うか?」と聞きました。
「それが本当だとしたらそのようなことはない」と小平氏は回答し、Radio氏は「1人1人正信会の僧侶の言うことが違うのがおかしい」と答えました。
当方所属寺院幹事が「今年は日達上人猊下の33回忌です。小平さんは参加されるのですか?」と聞いたところ
「私は日達上人猊下の第33回忌と御信徒さんの葬儀が重なったら御信徒の葬儀を優先せざるをいない。日達上人猊下は親も同然だが親の法事より(仕事である)信徒の葬儀が重要である」
という答えが返ってきました。
また「我々正信会も我々の言い分を理解してくれたならば日顕(上人)師をバックアップする用意はあったんだ」
これについては日蓮正宗の法門における御法主上人猊下に対し弟子旦那は「信伏随従」するという大原則に反し、御法主上人猊下に協力するなどという物言いは自らと御法主上人猊下を同等に考える増上慢が小平氏にあるのではないか?「師弟相対」に反するのではないかと考えました。
「創価学会員からは自分だけではなく家族の命も狙うような言動があった、あなたがたにこの気持ちがわかるか」という趣旨の言葉もありました。
当方はこれについては気持ちは分からないでもないと思いました。
またRadio氏とのやり取りで「御仏智」に対して「御本尊様は何も話せないではないか?そこからどうやって知恵をもらうというんだ」という言葉もありました。
日顕上人は「御仏智に任せてしばらく様子を見る。そしてもし創価学会が大聖人の仏法に背くことになったら、その時は法主を先頭に僧俗挙げて折伏して行く、という御指南があったにも関わらず、
正信会の僧侶は御仏智が信じられなかったのかと当方は感じました。
御本尊様に読経・唱題して御知恵をいただいて諸問題を解決して行こうとする日蓮正宗の信心と当方は考えます。
小平氏は「宿題に対する答えがほしい。これに答えられれば話をしてもいい。録音したってかまわない」とのことでしたので次回答えを用意してお会いしたいと思いました。


当方所属寺院の執事様及び御住職指導です



正信会寺院の御本尊を拝むことを禁じた文証は、昭和57年8月6日の小田原市蓮久寺建立時の日顕上人の御指南、日興上人の佐渡国法華講衆御返事が挙げられますが、
大聖人様の時代は異流儀がないのですから、大聖人様の文証はありません。小平氏はそれを知っていてわざと仕掛けてきているのです。
『大聖人様の時代は、あなたがたのような異流儀がないので文証はありません』と小平氏に答えると良いでしょうという話がありました。

参考資料2:日興上人『佐渡国法華講衆御返事』


「このほうもんは、しでしをたゞしてほとけになり候。しでしだにもちがい候へば、おなじほくゑをたもちまいらせて候へども、むげんじごくにおち候也」
(歴代法 主全書一1183頁)
と御指南されるように、師弟子の筋目を正して信行に励んでこそ、初めて妙法即身成仏の本懐を得るからです。反対に、もし師弟子の筋目に背いたならば、いかに法華経を受持信行しようとも、師敵対の大謗法罪によって、必ず無間地獄に堕ちることになるのです。


すなわち日蓮正宗における信心の筋目とは
唯授一人の御法主上人→御法主上人より任命された住職→住職の指導を伝える講頭以下の信徒
です。
正信会も創価学会も当初は「唯授一人の猊下を根本」としていたのですが、「唯授一人の御法主上人」を忘れて、というより捨てて、住職に付いたり、池田大作に付いたに過ぎないのです。

昭和54年5月3日にの日達上人の御指南、更にそれを受け継いだ日顕上人の御指南には「学会攻撃をしてはならない。学会の善導は宗門から是正をさせていく」と指導がありました。
しかし大半の活動寺院(正信会)は創価学会から脱会してきた人たちから突き上げられ、また、謗法を責めてどこが悪いと開き直って、指導に従うことができずに擯斥になっていきました。
人は、自分に都合の良いものを味方としていきますが、日蓮正宗の信心の世界は、どこまでも御法主上人の御指南に従って信心をしていくところに成仏の道があることを、心肝に染めなければならないと思います。


同行者に感想を伺ったところ、小平慈周氏に対し以下の感想が述べられました。


覚知寺の日達上人の御本尊様については次のような感想が寄せられました。
@お厨子を閉めているのだと思った。
A御本尊様は黒ずんでいる。小平氏自身の謗法行為の姿なのではないか?
B完全にここには仏様は住んでおられず悪鬼、魔神の棲家になっているようだ。

しかし小平氏個人に対しては
@ 破門されて30年近く経つが、我々の信心とは全く相反するが道念的なものはしっかりしていて特に覚知寺の美化清掃はきちんとしている。
A 小平氏の人徳もあって信徒はそこそこ残っているのではないか? でも話が止まらないところを見ると彼の話をしっかり受け止めてくれる信者さんがいないのではないかと思う。
B 寺院は宗門に返還されれば存続する可能性が高いのではないか。
という感想がよせられました。


手を合わせてしまった!


その後、別の法華講支部の者が覚知寺を訪問し、小平氏との面会の条件として「覚知寺の本尊に手を合わせること」と小平氏から出され、「相手の話をきくため」「目をつぶって手を合わせた」という事件が発生しました。

私は「猊下様の御指南はどうなるのか。これから覚知寺に行ったら猊下様の御指南に反して手を合わせるのか、これからずっとそうしなけばならなくなるのではないか」と思いました。

折伏対応の理由により、「本尊に手を合わせ」なければ、対話をしないというのであれば、一度は折伏故に、「対論に負けたのであれば、覚知寺を宗門に返すという条件」というものを、付帯すれば、良かったのではと思います。ただ単に話をするだけという、小平氏の意見だけであれば、それを許せば、今後は、折伏に行くたびに、手を合わせなければならなくなります。
一度は引いて、必ず折伏して帰伏させるという強い意志があればと思います。

当然このような行為は猊下様や宗務院からのお達しが出ている以上、宗門の人間として良いというわけには行きません。
御本尊自体は尊いものだが、自称正信会の輩が所持している以上、覚知寺の御本尊を拝んでも功徳はありません。

この行為を私は、絶対に許しません。


小平慈周氏は不動産業者だった−2020年7月24日現地取材



土地・建物登記簿を取得(2020年7月29日)−但し乙区については公開しません。




最後に小平氏が激昂したカキコミです。こうなることを当方は望みます。


宗務公報○号 令和○年○月○日
覚知寺(北海道名寄市)宗門に返還

令和○年○月○日、これまでいわゆる正信会の者に不法に占拠されていた北海道名寄市の北海山覚知寺が○年ぶりに宗門に返還されました。
これは、同寺元住職・小平慈周が、本宗の教義及び信仰の根幹をなす金口嫡々唯授一人の血脈相承を否定する異説を唱え、管長に対し誹毀讒謗をしたことについて、前非を悔いてお詫び申し上げたいと申し出たものであります。
同人は、昭和57年4月5日付の擯斥処分が有効であること、したがって、同寺の占有権限のないことを認め、同寺兼務住職・鈴木法悦師に対し同寺を明け渡したものです。
なお、住職は、○月○日付をもって鈴木法悦師から○○●●師に交替になり、今後は、○○●●師が同寺の住職として職務を執行してまいります。   以上  
  


そして以下になることは望みませんが、確実にその日はやってきます。


宗務公報○号 令和○年○月○日
覚知寺(北海道名寄市)宗門に返還
令和○年○月○日、これまでいわゆる正信会の者に不法占拠されていた北海道名寄市の北海山覚知寺が○年ぶりに宗門に返還されました。
これは、同寺元住職・小平慈周が令和○年○月○日に死去したことによるもので、これを機にこのたび宗門に返還されたものです。
なお、同寺は、今後安立寺・鈴木法悦師が兼務住職として職務を執行し、占有管理をしてまいります。   以上    


ついでに大白法の記事も先輩の寺院の記事を元にして掲載しておきます。


北海道名寄市・北海山覚知寺が宗門に復帰
○月○日、これまで自称正信会の者に不法占拠されていた北海道名寄市の北海山覚知寺が○年ぶりに宗門へ返還された。
当寺は、昭和42年12月19日、総本山第66世日達上人の大導師のもと落慶入仏式が執り行われ宗教活動が開始された。
しかし、創価学会の昭和52年路線・教義逸脱問題の中、元住職の小平慈周が自称正信会の者たちと共に本宗の金口嫡々唯授一人の血脈相承を否定し、御法主上人猊下を誹謗したのである。
これによって、小平は昭和57年4月5日付で擯斥処分に付されたが、これまで当寺を不法に占拠していた。そして今般、本人の死亡を機に宗門に明け渡される運びとなったのである。
返還の当日は、当寺の兼務住職である士別市安立寺住職・鈴木法悦御尊師が赴任し、返還の読経・唱題が修され、宗門に復帰した。翌○日は復帰の作業が行われ、次いで、午後7時より当寺元所属信徒に対して説明会が行われた。引き続き当寺所属希望者の勧誡式が修され、○名が入講した。
また、○月○日○時より、新たに着任された当寺第3代住職・○○●●御尊師の入院式が執り行われ、宗教活動が再開された。入院式には布教区内外の御僧侶方が御出席。また、北海道第2地方部より地方部長をはじめ代表信徒多数が参列し、厳粛かつ盛大に奉修された。
これを機に、擯斥僧侶により不法占拠されている各地の寺院が、早く宗門に返還されることが望まれる。