日蓮正宗妙観講に帰伏した正信会宝地寺元総代の体験記


私は、平成16年(2004年)5月に正信会を脱会し、妙観講に入講することができました。

私は、昭和35年(1960年)、友人のすすめで、創価学会を通じ、日蓮正宗に入信しました。

私の住まいが静岡県伊東市にあるため、普段は、伊東市の宝地寺に参詣しておりました。

しかし、正信覚醒運動の際、宝地寺の住職であったIが宗門から破門となり、私は、Iの言われるままに従い、ついて行ってしまいました。

私は、いつかまた日蓮正宗に戻り、戒壇大御本尊様を拝める日が必ず来る事を信じていました。しかし、20数年が経ってもその日はきませんでした。

 


血脈否定の正信会信仰の現証でくも膜下出血で倒れる


私は、いちおう折伏も行ない、最初はそれなりに信心をしているつもりでしたが、平成6年(1994年)、突然くも膜下出血で倒れてしまいました。何とか一命を取り留めたものの、左半身不随となり、また、全身のいたるところに悪い血液がたまる症状が現れるようになりました。

血液がたまってくると、激しい痛みが起こり、その痛みを取るため、血液を抜くという事を繰り返してきました。

私は、くも膜下出血で倒れても、仏罰であるとは思いもしませんでした。しかし、それからは、だんだん信心にも歓喜がなくなってきました。


正信会僧侶の行状


宝地寺自称住職のIは、気にくわないことがあると、信徒にでも平気で怒鳴り散らすという、非常に傲慢な人でした。このような住職ですから、誰も住職を慕う者はおらず、普段の御講も義理で2,3名が参詣する程度という悲惨な状況でした

また、ある時私が、教学についての質問したところ、自分では答えられないようで、何と、「そんなことはインターネットを見れば出ている」という呆れた返答が返ってきました。

このようなことが重なり、私はどんどん住職に対する不信感がわいてきました。

また、私は、宝地寺の総代をさせていただいておりました。

他にも御二人の方が総代をされていたのですが、Iは、信徒同士の横の連絡をとらせないようにするためか、講員名簿を自分でしまい込み、一切我々には見せてはくれませんでした。

そういうわけで、お寺の信徒の氏名、人数もわからない、また、総代同士は名前は知っているものの、住所、電話番号を知らないという、信じられないような状況でした。


妙観講員の折伏により日蓮正宗に帰伏


そのような中、平成16年(2004年)4月、不動産の仕事をしている Aさんが、たまたま、私の家の隣の建て売りの件でこられ、そこで長年気にかけていた、隣の境が私の土地に食い込んでいる件をお話ししました。 すると Aさんは、快く、隣との境を元に戻してくださる、ということになり、一気に長年の問題が解決してしまいました。

そこから話が弾み、Aさんが日蓮正宗の信徒であることを知り、今まで抱えていたいろいろな疑問を聞いて行き、大石寺が正しいということがわかりました。しかしその時は、自分の中で、大石寺を実際にこの目で見てから脱会したいという思いがあり、その事をAさんにお話すると、快く承諾していただきました。  

5月に入り、その日がきました。当日、大変お忙しい中を、私のために大草講頭がわざわざお時間をさいてくださり、大石寺まで来てくださいました。講頭のお話をお聞きし、疑問はすべて晴れ、また、清浄な総本山を目の当たりにし、すっきり、正信会を脱会し、念願であった日蓮正宗の信徒に戻れる事ができたのです。  

翌月には御開扉を受けさせていただく事ができ、20数年間求めていた戒壇の大御本尊様にお目通りし、心から感激し、全身が身震し、涙が溢れ出て来ました。  

その後は、講中、支区の会合にも参加させていただく中、日蓮正宗が真実最高の教えである、との確信がそのつど深まってきました。

また、自らの罪障消滅のため、Aさんや他の先輩にも手伝っていただき、縁ある学会、正信会、一般の知人の折伏を行なっていきました。  

私の家族は、結婚をし、それぞれ独立している息子、娘が、おります。それぞれの家族全員を私が正信会に入れてしまっておりました。

まず最初に5月に息子を脱会させることができました。

しかし、娘は、学会、正信会と訳のわからないまま、父親である私に言われるままに、転々としてきたことに不信感をもっていたようで、そのことで、まだ、脱会することができておりません。

今、私は、一刻も早く、家族全員が正宗に戻れるようにご本尊様に御祈念しております。 

しかし、折伏を実践させていただく中、病気の方もだいぶ回復してきました。

それは、全身に溜まる血液が減っているのでしょう、脱会する以前と比べると、血を抜く回数が着実に減ってきました。また、左半身付随の方も、普通の生活にほとんど支障がないほど回復してきました。

そして、日々の生活に歓喜が蘇ってきました。   

今、振り返り、思いもよらない不思議な形で、日蓮正宗に戻ることができたことは、本当に御仏智であると、大御本尊様に心から感謝申し上げます。このご恩をお返しするため、また、自ら作ってきてしまった重い謗法の罪を消し果てるため、しっかり折伏を実践し、精進してまいります。 


最後に一言


日蓮正宗寺院である川奈山宝地寺(静岡県伊東市富戸908-91)は現在猪俣法智が不法占拠・居住しています。
猪俣法智は日蓮正宗の僧侶ではなく、宝地寺の住職でもありません。

同じ伊東市内にある龍眼寺の御住職様が宝地寺住職を兼務しております。