日蓮正宗法乗寺に帰伏した正信会妙静寺元檀徒の体験記


「大白法」平成19年10月1日付 一からやり直す 渾身の決意 


私の入信は昭和39年4月。同時に創価学会入会が始まりです。
昭和50年代の初めに、学会問題が起こりました。学会による本尊模刻や御住職への弾圧等が発生し、そんな学会の体質に先行き不安を感じ、53年3月の学会による25回目の登山を最後に4月に退会を申し入れ、14年間の学会生活に別れを告げました。
同時に高島市の妙静寺(現在、自称正信会により不法占拠中)の法華講員として、総本山での全国大会や御霊宝虫払大法会、総本山第66世日達上人の御葬儀にも参加。その後、55年8月に東京武道館で行われた全国大会に、総本山から中止の指示が出ているのを知る由もなく参加しました。
 その後も総本山の御指導が伝わってこず、末寺住職の指導を真実と受け止め、いつの日か和解して総本山へ復帰できることを信じて信心活動を続けてきました。
 自称正信会発足以来、最高裁の判決、学会の組織破門、御法主上人猊下の御座替りなど大きな節目もありましたが、復帰が叶うような話もなく、今思うと、正信会の一方的な話を聞くのみでした。いつしか26年余りの歳月が流れる中、折伏と登山ができていないのが、気がかりでした。


 正信会脱会決断の時、迫る


御書に「須弥山に近づく鳥は金色となる」とありますが、久しく総本山から遠ざかっている私は、70歳を越えた今、30年の昔、仕事の忙しい中を幼い子供の手を引いて幾度となく登山をしたのは、一体何のためやったのかと焦りを感じていました。
近年に至り正信会発行の機関紙「継命」の講中配布取り止め、正信会全国大会に住職の不参加等、組織に分裂が見られ不審に思っていたところ、平成18年5月に発表になった正信会北近畿教区の活動テーマが、学会破折・総本山破折と発表があり、いつまでもこのような状態の正信会に総本山へ帰る意思はないものと自分で判断しました。

6月に入って講の先輩のHさんとも話し合い、4月に正信会を脱会して京都市の妙清寺の所属となっていたIさんのお宅に伺い、ご夫妻から正信会の現況と総本山の様子など、とりわけご夫妻の総本山での感激の様子が、お話の中に伝わってきました。
Hさんの意見やIさんとの面会は、私の正信会脱会の大きな節目となりました。

7月に入り意を決して妙静寺住職に面会を申し入れ、奥さんにも同席願って三時間半にわたり、

・総本山復帰について
・正信会の現況について
・継命新聞不読
・折伏登山の休止状態
・新寺院建立までに総本山と和解が出来た場合の、現在集まっている資金の取り扱いについて
・新寺院の御本尊は、どうするのか?
・折伏の時に下付される御本尊は誰が認められるのか?
・将来、子息の跡継ぎによる世襲制の問題
・総本山に代わる僧侶育成の現況

などについて話を聞き、

私からは
「和解成ったら資金は総本山へ御供養すると言うが、総本山から見て日蓮正宗の住職ではない者が、講員でない人々から御供養と言って集めた資金など受理されるはずもなく、考えが違うのではないか」

「いつまでも総本山に登山できなければ感激も生まれない。感激がなければ折伏もできないし、法統相続も思うに任せないから衰退の時がくる。
今の正信会は、30年前の遺産を食いつぶしているのではないか。このままでは先行き暗いので、どのような形でもよいから皆で総本山へ帰りませんか」
と言いましたら、

「私はどうなってもよいが、講員の皆さんが謝って帰るようなことにしたくない」と言われ、話はすれ違いに終わりました。

私は家業も順調で、今では3人の子供にそれぞれ孫が出来、8人の孫のうち、長男夫婦とその3人の子と家内と共に7人で、大病もせず元気で暮らしています。入信以来40年余り、恵まれた人生と思っていますが、人の世に明日は何が起こるか判りません。まして老人の私には、成仏という大願があります。

永の歳月、行動を共にしてきた住職夫婦や講員の皆さんとお別れするのは辛いことですが、信心に私情は禁物と心に決め、お別れの挨拶に寺院へ伺った私たち老夫婦に、いつまでもお元気でと言ってくださり、「いずれ総本山でお会いしましょう」と言って寺院を後にしました。

たまたま別の用事で電話のあった法華講員の方に紹介していただき、大津市法乗寺の門をくぐりました。
御住職・西岡雄恩御尊師、講頭さんのお話を伺い、後日の返事を約束して帰宅し、家内と話しながら、今日までの想いがつのってきました。


ついに家族で勧誠 これまでを取り返すべく折伏


40年余りの信心生活の中の、そのほとんどが学会と正信会で、法華講員としての信心は、学会脱会後と正信会発足時までの三年余りだけ。一からのやり直しです。
学会脱会の時もこのたびも、誰に追われたわけでもまた誘われたわけでもありませんが、生活が安定し健康な今こそ正しい行動をと、長年いた海の底から渾身の力を振り絞って浜辺に自力ではい上がるような気持ちで、仏縁を感じながら平成18年8月2日、家族で勧誡を受け、26年ぶりに法華講員に復帰しました。

そして8月7日には、念願の夫婦での登山が叶いました。想えば、昭和54年以来の御開扉を受け、感動のうちに長年の罪障消減を御祈念申し上げました。

また同月21日には、私に続いて入講されたHさんご夫婦の登山にも私共夫婦で同行させていただき、感激の中、正信会の知人や学会員を訪ね歩いて現在20名余り。時には御住職様と共に、中には玄関先での立ち話もありますが、もとより覚悟の上です。そんな中、私の勧めで学会員だった弟夫婦が、9月に入講しました。
続いて10月には、正信会で仲間だったKさん夫妻も私が縁となり、私が同行して勧誡を受けられ、近くに仲間が二世帯できました。

11月の支部総登山には弟夫婦も参加でき、久々に今日まで想ってもいなかった兄弟夫婦揃っての登山ができた喜びを感じています。
平成19年3月に入って、かねて入信を勧めていた私と同業のKNさんから、入信するとの返事をもらいました。
24日の春季総登山会には夫婦で参加し、御開扉では家内の病気回復のお礼と、KNさん入信の御報告をしてきました。

また、このたびの総登山会には、春には共に行きましょうと約束していた神田さん夫妻も参加され、KNさんは三十年ぶりの登山に感激も一入(ひとしお)だったと思います。

帰宅した翌日の26日、法乗寺でKNさんが御授戒を受けました。また4月14日には、KNさん宅に、御住職様と講頭さんご夫婦を案内して、御本尊様の入仏式を執り行うことができました。
4月に入り、御住職様を我が家にお迎えしてみんなで唱題し、折伏のため下種先を回っております。
私は今、遅まきながらではありますが、長い間休んでいた正信会時代の分を取り返さなくてはと思いながら、今日までの順調な人生を折伏に活用して、今後共がんばることをお誓い申し上げ、体験発表とさせていただきます。


最後に一言


日蓮正宗寺院である廣樹山妙静寺(滋賀県高島市新旭町饗庭1832-1)は現在中嶋広達が不法占拠・居住しています。
中嶋広達は日蓮正宗の僧侶ではなく、妙静寺の住職でもありません。

法乗寺の御住職様が妙静寺住職を兼務しております。

執筆者の法乗寺信徒の方にあっては現在妙静寺の総代の1人として日蓮正宗第68世日如上人猊下に認証を受けています。


参考資料:妙静寺の登記簿