日蓮正宗具道寺に帰伏した正信会東大宣寺元檀徒の体験記


正信会東大宣寺檀徒だった中学生女子部員が友人の顕正会員を折伏成就


具道寺住職園田雄豊御尊師(当時)より
具道寺支部始まって以来の画期的な出来事がありました。
それは中学1年生の女子部員が、幼馴染の友人を約1年かけて折伏を続け、今月の御講で念願がかなって御授戒へと導くことができたのです。
その女子部員は平成18年5月に、以前の正信会(東大宣寺)の間違った信仰を改めて、お爺ちゃんお婆ちゃん、ご両親、兄弟、家族全員で日蓮正宗に入信をしました。
入信後はご家族で寺院の行事に積極的に参加され、御講や広布唱題会は欠かさずに参詣をし、その女子部員と兄弟はすぐに鼓笛隊に入隊し、信心根本にがんばっておられます。

昨年9月にはその女子部員のお母さんが、知り合いの顕正会員だったご婦人を折伏され折伏成就をしました。
このご婦人には、中学生の娘さんがいて、その娘さんが女子部員と幼馴染でした。その娘さんは、顕正会に友達がいるからと、入信をしませんでした。
この日から、女子部員は幼馴染の折伏を始めました。
お寺の行事に、根気よく誘い、体験発表をコピーして手紙を添えて渡したり、鼓笛隊の練習にも誘ったりしました。

もちろん、誘っても、なかなか一緒にお寺に参詣してもらえませんでした。
それでもあきらめずに、本年の9月までにはなんとか折伏成就ができるようにと、勤行・唱題・寺院参詣・そして鼓笛隊の練習へと励んでいました。
なぜ9月までかといいますと9月21日には少年部広布推進会があります。その時に、予定されている鼓笛隊の入隊式に、幼馴染と一緒に同じ鼓笛隊員として出席したいというのが、その女子部員の願いだったのです。
今月の13日に御報恩御講並びに具道寺支部総会を行いました。
そこでその女子部員には「今までの功徳と折伏」という題で体験発表してもらいました。
その体験発表を、どうしても聞いて欲しいと、幼馴染をお寺に誘ったようでした。
当日、その幼馴染はお母さんと一緒に、参詣されて、体験発表も聞いていました。
御講・支部総会が終了する頃には、幼馴染の気持ちは、日蓮正宗に入信する決心がつき、ご家族、友人、知人に見守られながら、無事御授戒を受けることができました。


中学生の女子部員が、ここまで、幼馴染の為に精一杯折伏ができたのには、やはり、ご両親の信心に対する真面目な姿勢があります。
お母さんの地道な折伏活動、そしてお父さんは御講や広布唱題会などのお寺の行事と仕事の時間帯が重ならないように工夫しているとその女子部員から聞きました。
一家の柱であるお父さんが、御本尊様中心の生活をしていれば、当然その家族も、御本尊様中心の生活へと変わって行きます。
このお父さんのように口先だけではなく、身をもって生活が変わったんだと、家族に教えてあげることが大切です。
それは入信するまでは自分中心の生活だったところが、御授戒を受け、御本尊様をお迎えし、ご安置した時点で、御本尊様中心の生活をしなければ、福運を積むこともできないし、功徳をいただくこともできないからです。


 その女子部員の父親で具道寺壮年部長の体験発表


私は日蓮正宗に入信して今年で5年になります。
入信前は、特に信仰は持っていませんでしたが、家内の実家が正信会だったので、正月やお盆に実家に行った時に、正信会のお寺にお参りしていました。正信会の住職の法話も聞きましたが、何も感じるものはありませんでした。
平成18年にのMさんに家内が折伏され、家内の両親と私達家族8人全員で、日蓮正宗に入信する事となりました。
初めて具道寺の御住職様の法話を聞いた時には、とても丁寧で分かりやすく、正直、正信会の住職とは随分違うなと思いました。
日蓮正宗に入信して、始めは何も分かりませんでしたが、御講や広布唱題会は毎月欠かさず家族皆でお寺に参詣させて頂き、子供達は鼓笛隊に入って頑張ってくれています。
平成21年には、家族全員でお登山させていただきました。
入信前のだらだらと1日が過ぎていたのとは違い、1日の充実感が感じられ、家族の絆が強くなったように思います。また仕事の事や、交通事故に遭った時など、その時々に御本尊様から守られ、功徳も頂きました。
さて我が家では、毎年正月に去年の目標の反省と、今年の目標を家族全員が発表しています。


 かつての仲間だった正信会東大宣寺檀徒Aさんを折伏


私の平成23年の目標は、折伏5人を目標としました。理由は、私が入信してから5年目である事と、1家族を折伏させて頂きたいと思ったからです。
話は前後しますが、昨年からの話をさせていただきます。
友人や知人を折伏をしていく中で、Aさんという方に出会いました。
近所でAさんと顔を合わせた時、どこかで見かけたことのある人だなと思っていました。
それからしばらくたって、正信会のお寺から出てくるAさんを見かけ、Aさんだと思い出しました。
そのうちにAさんの自宅も分かりましたので、思い切って折伏しようと訪問しました。
初めての訪問ですので、玄関先での話となりましたが、私はAさんに、「私も以前は正信会のお寺に行っていましたが、そこは日蓮正宗から離れたお寺です。正信会で信心していてもいいことは無いですよ」と言いました。
Aさんも正信会の住職には多少不満を持っていたらしく、私の話を拒絶されることもありませんでしたので、日蓮正宗の新聞などをこれからも時々届けることを了解していただき、その日は帰りました。
その日のAさんの様子から、私は折伏成就できるんじゃないかと、内心喜びました。
しかしそれから何度か、大白法を届けに訪問を繰り返していると、Aさんから「しばらく静かにしておいて下さい。何十年も正信会のお寺に通っていたのに、それが間違いで日蓮正宗が正しいと言われても、ハイ、そうですかと言って、簡単に変わることなどできません」と言われ、それで私はAさんの気持ちを尊重して、しばらくは訪問を控えるようにしました。
それから約1年たった今年の9月になって、今度は具道寺の御住職様にお願いをして一緒にAさんのお宅に行ってみました。
すると意外にもAさんは、私と御住職様を家の中に通して下さり、1時間ほどお話をすることができました。
御住職様が「正信会のままでは、いくら信心をされても謗法を重ねるだけですから、功徳はありませんよ。それどころか無間地獄に堕ちることになります」と話されると、Aさんは「これまで、あまり良いことはありませんでした」と素直に答えられましたが、どうしても一歩踏み出すことができません」と、改宗は拒まれました。
私は、「今日、私達が尋ねてきたことをきっかけにして一歩踏み出されてはどうですか」と声をかけましたが、Aさんは「私は素直にお寺について信心していただけで、それが間違いだといわれても、すぐにハイそうですかとは納得できません」と言われました。
すると御住職は、「そうですよね。Aさんの言うとおりです。信心はお寺が基本です。しかし、そのお寺の住職の信心がおかしくなってしまいました。この事につきましては、私も同じ僧侶として誠に申し訳なく思います。しかしAさんがお寺につくと言われるなら、今通われているお寺の住職は法律上は、私園田雄豊になっております」と東大宣寺の登記簿謄本をお見せになりました。
Aさんは「知りませんでした。謄本がそうなっているなんて、ぞっとしました」と言われ、かなり動揺されましたが、この日は改宗する決意にまでは至らず、私たちは帰りました。
それから彼岸会が近づいたころに、御住職様より、「Aさんをお寺の彼岸会に誘ってあげて下さい」と言われました。
9月23日が彼岸会でしたので、前々日の21日にAさんのお宅に誘いに行きました。
Aさんに「お彼岸にお寺に一緒に行きましょう」とお誘いしましたが、やはり決心がつかないみたいで、なかなか結論がでません。しかし私はAさんは「お寺に行く」と絶対に言ってくれると思いました。
それは前日に2回もAさんが夢の中に出てきたからです。2回というのは3時頃1度目が覚めて、その前後2回の夢に出てこられたのです。
ですから、これはAさんが日蓮正宗に大変縁の深い方だから出てきたのではないかと、いい方に考えて、Aさんが決意してくれるのを待ちました。
するとAさんが「じゃあ、行ってみますか」と言ってくれたのです。
それでもAさんは「お寺には行きますが、入信を決めたわけではありませんから」と予防線を張られていました。
9月23日の具道寺での彼岸会が終わり、控室で講中の皆さんがお茶を頂いているときに、御住職様が「Aさん、本日の法要はどうですか」との問いかけから始まり、折伏となりました。
私もAさんが、正しい信心に戻れるよう、精一杯お話しいたしました。
またその場にいた、私の家内や講中の皆さんも、それぞれ慈悲の一言をかけて下さり、具道寺の控室が温かい雰囲気に包まれました。
そんな中で、なかなか決意できずにいるAさんに、御住職様が「Aさん、ここにいるみんなと一緒に正しい信心をして、本当の幸せを築いていきましょう」と一押しをして下さり、Aさんは入信する決意をされ、直ちに勧誡式を戴く運びとなりました。
勧誡式には残ってくれていた講中の方々も参加して下さり、私が入信して初めての折伏成就となりました。
勧誡式終了後、直ちにAさんのお宅に行き、御住職様に御本尊様のお清めのお経をあげていただきました。
また後日の御住職様の家庭訪問で、Aさんのご主人も、勧誡となり入講をされました。

今思えば、お寺での唱題会に家族で参詣して唱えた御題目の功徳で、折伏が成就できたのだと思います。


法永山東大宣寺の概要


所在地


青森県弘前市大字亀甲町100


沿革


* 昭和33年(1958年)9月14日 - 建立される

* 昭和57年(1982年)4月5日 - 当時の住職が第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定し、日蓮正宗の宗制宗規に違背したため破門されたがそのまま東大宣寺を不法占拠する。


 最後に御注意


本来は日蓮正宗の寺院である法永山東大宣寺は現在木全行栄が不法占拠・居住しています。
木全行栄は日蓮正宗の僧侶ではなく、東大宣寺の住職でもありません。
登記簿上の住職は青森県黒石市の
具道寺の御住職様が兼務していましたが、その御住職様は平成26年6月10日に弘前市法典院に転任となり、そのまま東大宣寺住職を兼務しています。

 


参考資料1:東大宣寺の登記簿


参考資料2:東大宣寺の写真