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成立の歴史
「霊波之光教会」は波瀬善雄(1915-1984)によって、昭和32年(1957年)に創始された新興教団である。
大正4年に東京葛飾の農家に生まれた波瀬善雄は、20歳から軍隊に入隊して、その2年後に中国に渡ったが、程なくして結核に罹り、本国に送還された。
医師から「余命1ケ月」と宣告された昭和14年6月、波瀬は神仏に救いを求める決意をして、四国に渡った。そして、香川県の五剣山中の古びた堂で21日間の坐禅を組み、その後、山頂に登ったところ、神懸かり状態となって、「汝生きよ。汝は神の使いなるぞ。汝神の道を行け」という神の声が聞こえ、たちまち病気が治った、という。
そらにその後十数年間に渡って、全国の山々を渡り歩いて苦行を続けていたが昭和29年3月苦行中に、光(霊波)が自分の体に吸い込まれるという神秘体験をし、大宇宙神から、神と人間をつなぐ使命を託された、という。
以来、「自分は大宇宙神の分神」と思い込むようになった波瀬は、信者獲得に動き出し、昭和31年、千葉県松戸市に「霊波之光鑚光会」を発足させ、更に翌年の昭和32年9月に、教団名を「霊波之光教会」とした。
そして昭和44年、千葉県野田市に本部を移転し、昭和55年には、城郭を模した「天使閣」(教主の公邸)を建設。この建物が教団の象徴となっている。
昭和59年3月、教祖の波瀬善雄は、突然の心臓発作で頓死。その後、長男の波瀬敬詞が2代目教主について現在に至っている。
現在の教団は、千葉県野田市に本部を置き、信者数は約76万人と公称している。
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教義と本尊
霊波之光では、教祖・波瀬善雄を大宇宙神(大神とも称する)の分神であるとして「御守護神様」と称し、「祈り」と書いた地球儀の上に立つ波瀬善雄の像(本部・礼拝堂に安置)を根本の本尊とする。
信者の家庭には「御神体御札」と称する札(1枚7千円)を神棚に祀らせる。この札は1年で効力が切れるから、毎年、買い換えなければならない、とする。
信者は、これらに向かって、教祖が作った「誓訓」や「御守護神様、二代様、我ら人類救済の道へ歩ませたまえ」という言葉を唱えるのである。
教団の教えによれば、宇宙は大宇宙神によって創造され、その時に定められたのが「宇宙の法則」であり、宇宙全体の営みを司るエネルギーが「霊波」なのだ、という。
そして、「現代に生まれた人間は、幾千年も続く争いや、先祖代々の誤てる欲念・想念によって、霊魂が汚れ、生まれながらにして、大宇宙神から発せられる霊波と切り離されてしまった。そこで人々に大宇宙神との霊波をつなげさせ、地上界を浄化するために御守護神様が地上界に降臨した。御守護神様との御つながりを得て、霊波を受ければ、病気や災難から解放される」とする。
また、その一方で、教祖・波瀬善雄は「生前の汚れによって迷っている多くの人々の霊魂が、生きている人に病気などの不幸をもたらす」と説いており、それを免れるためと称して教団は「特別祈願」を行う。(祈願料は5000円)。信者がそれを申し込むと「生命札」が渡されるがこの札は別名「身代札」とも呼ばれ、まつわりつく悪霊や悪因縁を吸い取ってくれるのだという。
この他にも「当病平癒祈願」や「良縁祈願」等々、種々の有料祈願も用意されており、それが教団の大きな収入源となっている。
3 破折
霊波之光教会は、教祖・波瀬善雄が苦行の果てに「神の声が聞こえた」と言い出して創った、典型的な神懸かり教団である。
存在しない「大宇宙神」
その教祖に神示を垂れ、神通力(霊波)を与えたのは、「大宇宙神」と称する、宇宙創造の神だそうであるが、では、その神は、いったい、何から生じ、何によって神になることができたというのであろうか。1番肝心なことのはずなのに、その神の出自・正体については何らの説明もない。最初から存在していたということを前提にしているのである。
これでは原因なくして結果があった、と言っているに等しく、そのような道理から外れた神などあろうはずがない。
その神が存在しない以上、もし、本当に、波瀬善雄が神の声を聞いたのだとすれば、それは、無理な苦行を続けた結果、心神喪失状態に陥って起こった妄想か、あるいは、全くのデッチ上げだったかのいずれかである。いずれにしても、まともな精神状態ではない。
さらに言えば、波瀬善雄は、当初、神仏に救いを求めて四国の山で坐禅を組んだ結果、神の声を聞いたそうだが、坐禅はいちおう仏教の修行である。その仏教では、因果を無視した教えを外道と称し、最も低級な教えとする。しかるに、何故、仏教の修行をしていた者が外道の神から神示を受けたりするのか。まったく辻褄が合わない。まさに墓穴を掘るとは、このことであろう。
お粗末な「御守護神」
さて、教団では「大宇宙神」を根本の神としながら、実際に崇め、拝む対象は「御守護神様」と称する教祖の像である。
しかしその教祖・波瀬善雄は、病気直しを教団最高の売り物にしていたにも拘わらず、ある日突然、心筋梗塞による発作で頓死している。
信者は、ほとんど狂信的に神からの霊波を信じ、布教活動にも駆り立てられているが、教祖の病気が治らなかったという事実をもって、教団でいう霊波などは全くのまやかしである、と気付くべきである。
それに目をつぶり、相も変わらず盲信し続けるならば、まともな判断力は失われて、幸せになるどころか、かえって、対人関係や仕事上、健康上でも悩みだらけの人生となり、さらには、教団に金銭を搾り取られるだけ搾りとられて、最後は頭破七分の地獄の境涯に堕すること必定である。