カルト暦 - 霊波暦


知恵ノート:広域カルト教団霊波之光教会内部でのみ通用しているというカルト暦「霊波暦」


霊波之光は大正4年=1915年に遡って霊波元年だそうです。
制定されたのは2000年=平成12年であり霊波86年と制定されております。
長谷敬詞が言うには西暦2000年はキリスト教暦であり、
霊波之光は霊波暦で行くと講話で発表しております。
インチキ教団では己の世界でしか通用しない「年号」なるものを用いて
悦に入っているわけです。信者の反応はまあ、変なことを考えたものだなという程度でありました。 


 ある班長の結婚式に御大神後援会長が霊波暦を案内状に使うな、と圧力


平成13年(2001年)じゃなかった霊波87年11月3日に御自身の結婚式のプログラムに「霊波87年」と入れたところ、なんと御大神後援会会長と別の班長が圧力をかけてやめさせたそうであります。
プログラムの霊波暦の部分が黒塗りにされたのです。

一般の人が目にしたら変に思うだろうと圧力をかけたということです。

ところがこの結婚式に招待された人は全員霊波之光信者、一般の人はいなかったそうです。


北朝鮮の「主体暦」と同じ発想


この霊波暦なるカルト暦も教義の1つと言うべきでしょう。
インチキ教団というものは、そのときの教団や教祖の都合で教義がころころと変わり、本尊もころころと変わるということです。
そうなりますと教義や本尊が変わる前の衆生は救済されないということとなります。
またそれまでの教義で修行していたことが誤りということとなり、その教団を信じる信者は救済されて行かないという問題が起こります。
「インチキ教団は本尊に迷っているのが実情である」と
日蓮大聖人様は喝破されましたが、
遡って制定されるインチキ教団の年号もその1つと言えます。
遡って年号が決められるなどということなど普通の世界であろうはずがありません。糞壷の空想の世界でのみ可能なことと言えます。
「平成」も昭和64年1月7日の昭和天皇崩御の際に決められて故小渕恵三当時の官房長官後の内閣総理大臣が発表いたしましたし
台湾の「中華民国○○年」は1912年が中華民国元年でありますが1912年1月1日に孫文が中華民国臨時大総統に就任した際に定められたものであって決して遡って制定されたものではありません。
新宗教の年号など「糞壷」の中でしか通用しないシロモノであります。
その点北朝鮮の主体暦と似通っています。
北朝鮮では、1948年9月9日の成立から一貫して西暦を公用年号として、暦法ではグレゴリオ暦(太陽暦)を公用暦として用いていましたが、金日成3周忌と建国49周年に当たる1997年9月9日に、新たな紀年法として主体暦の使用が始まっています。そのため、「主体元年」から「主体86年9月8日」までは、同時代的には使われていません。


他のインチキ教団においても独自のカルト暦が - インチキ教団はいずこも同じ


横浜市南区にあるインチキ教団大山ねずの命神示教会
昭和62年(1987年)11月15日には、第2代教祖の森日出子は神の御魂が封じ込められた存在とされた。
この昭和62年11月15日は聖なる日、聖日(せいび)とされ、この年を聖日元年とする独自の教会歴が制定された、とあります。


結論 - インチキ教団の世界は所詮はウラ社会


霊波之光の大幹部である御大神後援会長の霊波暦に関する対応を見る限り、新宗教の幹部はどこでも同じですが、教団の内部と言う「糞壷」の中では元気ですが世の中の日の目にさらされることを極端に嫌う生き物であります。
要は自分の信じる教団は実は世の中から見るとおかしいことをやっているのだ、ということがよく分かっているということであり、
自分の信じる教団がインチキ教団なのだということが潜在意識の中にあるということであります。
一般的に霊波之光の信者は仲間同士でも自分の素性を隠したがります。変な宗教をやっていることを周囲に漏らされるのは知られるとヤバイと考える人が多いのです。
自営業よりサラリーマンの霊波員に顕著です。
霊波之光など新宗教の人間は、所詮は「ウラ社会」の人間であり、本人たちの潜在意識は自分たちは社会から後ろ指差されるような、やましいことをやっているという意識なのであります。

霊波暦を使用した滝行申込用紙を入手


申込締切日の日にちが間違っています。
平成25年が霊波99年だとしたら、締切日も霊波99年でなければおかしいはずです。
霊波員にも霊波暦なるものは訳がわからないのかもしれません。