@霊波之光は信仰を宗教活動にすりかえる信仰です。
そのため一家離散、家庭不和、不登校など人間関係に関わる災難に見舞われます。
また、金銭に関する災難、詐欺事件やマルチ商売に巻きこんだり巻き込まれたりします。
A統一した教義が存在しないため、教祖から職員、末端の班長組長が好き勝手な教えもどきを説き結果精神不安定、攻撃的な性格に変貌してきます。
B神通力なるものは本当は存在いたしません。「魔の通力」なら存在いたします。
そのため教団から下賜される物があれば我先と人を押しのけてでもという行動に現れ、教団内部でスリなどの盗難が発生しております。
結果、人の迷惑を考えない自己中心的な性格に変貌して行きます。
霊波之光キライ氏のカキコを永久保存いたします。
(付録) 長谷義雄は千葉県松戸市に本部があった時代に、その日教団内部で奉仕をした人が帰るのを見送りながら、ある女性職員にこう言ったのだそうです。
「この人たちは今日は無駄な奉仕をしましたね。
雑念を持ちながら奉仕し、雑念を抱きながら帰る。
例えば今日のごはんは何にしようかとか。
無我に一心に奉仕というものはしなければならないのだ」
破折
長谷義雄は「無我の境地で奉仕なり、修行をしろ」と言いたいのでしょう。
そうでなければ救われないということなのでしょう。
しかし、これは現実には実行不可能なことであります。
我々は末法の凡夫である以上、生活上のことが浮かんで来るのは当たり前であります。
このようにできもしないことを教義や修行等で弄びますと
「私は御守護神様(長谷義雄)の言うとおりに無我の境地で奉仕も導きもできないからダメ人間。
教えに反している。だから幸せになれないのだ。」と感じるようになり、
結局はその宗教によって人格が変質し、人格破壊を自らおびきよせ家庭崩壊、人格破壊へと導く結果となるのです。
この長谷義雄の発言を見るように、信者の労など此の程度にしか思っていなかったのです。
信者側で善意をもって教団と接しても努力をしても報われることは絶対無いのです。
ですから「邪宗」と言うのです。
その邪宗に「コリゴリしたよ・・」などと感じている人はまだ良いほうで邪宗の害毒に気が付かずドップリと浸かってる人はもっと悲惨です。