日蓮正宗僧俗による霊波之光信者折伏記録


@ 知恵ノート:日蓮正宗から霊波之光に移籍するとどうなるか?:埼玉県東松山市の日蓮正宗寺院三宝山開徳寺の信徒の発表


平成12年1月16日号大白法(日蓮正宗法華講連合会機関紙)に掲載された体験談を紹介させていただきます。
このTさんは日蓮正宗を退転して霊波之光に入信したのですが、
一家離散、本人はヤクザになるなど身を持ち崩したとのことです。

平成11年4月、講中活動日に、副班長のIさんと、友人Tさんの家へ行きました。この方は元法華講員で、よその支部に所属していたのですが、すっかり退転し御本尊様も御返納し、その後霊波之光に入信して2年以上が経過していました。
それまでも何回か訪問をしていましたが、高級車を乗り回し、仕事も順調だと言うのですが、何だか正気とは思えない目つきでした。


でもこの日はちょっと違っていました。疲れた様子で深いため息をつき、その頃の現状を語ってくれました。Tさんは何年も前に離婚して、娘さんと2人暮しです。
近所に住むTさんのご両親が娘さんの世話などをされていました。 

今年に入ってTさんは突然アキレス腱を切り、手術のため入院しました。
退院し、家に戻ってみると、何とTさんのご両親は行方不明になっていました。娘さんは、Tさんの母親によって施設に預けられていました。Tさんは娘さんを施設から出そうとしましたが、たとえ実の父親であっても、預けた本人でないため簡単には出してもらえませんでした。ふてくされたTさんは、飲みに行った店で顔見知りのやくざと兄弟の杯とやらを交わしてしまい、運転手などの使い走りをやっているというのです。どこかへ行ってしまったご両親は、多額の借金を残しており、その取り立てがTさんの家に来る始末です。昔から信心を怠けるとすぐに現証が現れるTさんには、数年にわたって邪宗を信仰した罰がこんな形で現れたのです。

I副班長が「もう、きちんと信心していくしかないでしょう。さあお寺に行こう」と言うと、その気になってくれて、早速開徳寺へお連れし、勧誡式を受けることができました。以前所属していたお寺の御本尊様におわびの題目を唱えてくるよう御指導がありましたので、帰りに寄らせていただきました。

しかし、その時はその気になって勧誡式は受けたものの、Tさんは、謗法払いもできず、お寺にも参詣しないという状態になりました。唱題行中のお寺から、御題目の声が聞こえるように電話をしてみても、理由をつけて断わられるということが続き、少しうんざりしてしまいました。でも10時間唱題の日、お寺の御本尊様に、「彼はあのように苦しんでいるのに、なぜここに来ることができないのでしょう。私は折伏成果がほしいわけではありません。必ず道が開けるのに、きっと幸せになれるのに、だからきちんと信心してほしいのに。どうしたら判ってもらえるのですか」と泣きながら唱題をしていました。


すると、それから1ヶ月後の朝早く、Tさんから電話があり「話を聞いてほしい」というのです。内心、お金でも貸してくれというのではないかと思いましたが、とにかく会って話をすることにしました。 会ってみると、勧誡を受けたときよりも状況は悪くなっていて、助けてほしいと言うことでした。私は翌日、月例登山に行くことになっていましたので、Tさんも登山するよう誘い、すぐにお寺に連れて行き、御住職にお願いしましたら、前日の申し込みにもかかわらずTさんも添書で登山できるようになりました。

翌朝、一緒に登山し、御開扉を戴きました。御開扉後はTさんの顔が、みるみるうちに晴ればれとした顔に変わっていき、周りの方々もびっくりしていました。下山後、夜遅くまでかかって一緒に謗法払いをすることができました。

以後、御経日、御講、座談会等に参加していった結果、娘さんを施設から引き取ってまた親子で暮らせるようになり、いろいろと道も開けていきました。Tさんの家からお寺までは、電車とバスを乗り継いで1時間以上かかります。その上アキレス腱を切っているため医者からはあまり歩かないように言われているのですが、本当にがんばっています。本人も当分は無理とあきらめていた御本尊様を、10月の末に再び御下付戴き、とても喜んでおります。

大人の都合で様々な辛い目にあった娘さんも、以前のような寂しそうな表情が消えつつあります。また、何回か隣で勤行をしていて気がついたのですが、Tさんがきちんと勤行を教えているらしく、日増しに上手に御経が読めるようになっています。11月の支部総登山には1泊で参加し、少年部、青年部の友達がたくさんでき、お寺に参詣するのを楽しみにしている様子です。


A 釧路市の日蓮正宗寺院正門山興徳寺の御住職様


平成19年9月14日北海道第3布教区地涌倍増大結集推進僧俗推進会の釧路市興徳寺信徒のM子さんの発表があり、御住職小口寛道御尊師が折伏したNさんが霊波之光の関係者であったとのことでした。
Nさんは妹の50回忌法要をしてほしいと興徳寺を訪問したとのことでした。
霊波之光では毎年6月8日に先祖供養をすれば盆や彼岸も、何回忌の法事はいらないという考え方なのですが、
Nさんはそれに納得できなかったからこそ興徳寺を訪問したのでしょう。
現実に霊波之光の信者は法事は仏教各派で行っております。
現在しか説かずに過去、未来が説く事ができない、そこが霊波之光の信仰としての限界なのです。
またNさんは霊波之光の他にも真光や日蓮宗の本尊、神棚などを多数有していたといい、
全て法謗払いして処分してしまいました。
霊波之光では「二つ心は救いなし」と教祖長谷義雄は教えていたようでしたが、
結局、担当班長や組長としてはNさんに対しては御札だけ毎年買ってくれさえすればあとはどうでもいいということなのでしょう。
Nさん曰く「この御住職様なら信頼できる、大丈夫だ」とのことです。
このたび小口御尊師の許可を得まして大白法平成19年11月16日号の記事を引用させていただきます。
 
平成19年の6月のある日、Nという方が、妹さんの50回忌法要をしていただきたいと、自ら興徳寺を訪ねてきました。
家は日蓮宗で「日蓮正宗興徳寺の大きな看板が立っていたので来ました」ということでした。
「日蓮正宗の信者でなければ法要はできません」と、御住職様は折伏をはじめられました。
Nさんは「今までこのような信心は聞いた事がなかった」と言い、「判らないから聞くのです」と次から次へと質問しました。
御住職様は真剣に1つ1つ丁寧に答えて折伏されました。
そばにいた私(M子さん)も初心に帰って折伏実践と受け止め、一緒に謗法の恐ろしさを話しました。
その結果、Nさんは日蓮宗と日蓮正宗の違いや謗法の恐ろしさ、そして日蓮正宗の正しさを納得しました。
御住職様と私はお寺の控室で午前11時から午後4時頃迄折伏し、Nさんは心にあるもやもやがようやく解けてすっきりして入信を決意いたしました。
そしてただちに御授戒を受け、御本尊様を御下付いただきました。
 
御入仏をする前にNさんの自宅に行き、謗法払いを手伝いました。
日蓮宗の本尊や神棚と、死んだ飼い猫を供養するための像とか、水子供養のための人形やぬいぐるみを置いて、お菓子、おしゃぶりその他を供え、春夏秋冬それぞれの服を買ってきて着替えさせて、それが信心だと思っていたそうです。
その他霊波之光や真光といった信仰宗教の物が、ダンボール3、4個にもなりました。
Nさんは御住職様と会ったときに「この御住職様なら信頼できる、大丈夫だ」と思ったそうです。
入仏式には御住職様に同行させていただきました。壁には「立正安国論正義掲揚750年、平成21年地涌倍増と大結集を目指して」の日蓮正宗総本山大石寺の五重塔のポスターを貼り、御住職様の読経、唱題で厳粛に御本尊入仏式を行う事ができました。
すると家の中の空気までが清浄となり、明るくなりました。

(付録) 平成15年9月26日の十勝沖地震で釧路の津波が小さいのは霊波之光のおかげ?

標記の内容のビラを霊波之光釧路礼拝所でばらまいていたということであり、当方もTさんが平成15年11月24日に霊波グッズ全てを本部に送り返した時にそのビラを見ております。

震源地は十勝沖ですあり釧路沖や千島沖とかではないのですから十勝地方の方が釧路地方より津波が大きいのは当然の道理であります

[56] また釧路で津波警報ですが。
From: ぷーぎん
以前霊波之光釧路支部では十勝沖地震の時に、
釧路では津波は小さく、十勝港では250センチも
あったのは釧路支部があるおかげだなどと
ビラまで出して騒いでいたと聞きましたが
根拠があるのでしょうかね(笑
[57] また釧路で津波警報ですが。
From: たかぼん
彼等は気象庁からの資料まで持ち出して騒いでいましたね。

http://www.jma.go.jp/jma/press/0310/06a/tsunami031006.pdf

確かに釧路から先については津波の高さは小さいのですが
そんなのは震源地が十勝沖であって釧路沖とか根室沖、千島沖ではないのですから、
震源地に近い十勝やえりもで津波の高さが釧路に比べて高いのは当然の道理であり、
霊波之光釧路礼拝所が存在しようとしまいと関係のない話であります。

顕正会の代表者は会合で今に地震が起きるだの、今に戦争が起きるだの、北東アジアが攻めてくる、などと予言めいたことをいい、会員の危機感を煽り、外れると「先生が災いを食い止めた」などと言わせております。
また「ほんみち」なる教団においても教祖が何らの根拠もなく近い将来に世界的危機が起こるなどと恐怖心を煽っております。
霊波之光のそれも全く同じであり、インチキ教団はいずこも同じと言い切らせていただきます。

B 知恵ノート:インチキ教団霊波之光を脱会した札幌市日蓮正宗仏見寺所属女子高生の体験発表(平成24年8月5日第1回法華講中等部・高等部大会)


大日蓮出版妙教216号:平成22年9月号67頁
仏見寺住職の発言
仏見寺講中は)近所の霊波之光(たかぼん注:札幌市中央区南20条西13丁目)の教会に行こうとする人を、うちの法華講員が引き留めて折伏しますよ。
その霊波之光の人を折伏してそれが成就した時に、その人が持っていたお守りを謗法払いさせてお守りの中身を見たら5円玉が入っていました。


インチキ教団霊波之光から日蓮正宗に改宗


私が小学校4年の時に両親が離婚しました。母はいろいろなことが重なって心労のために鬱状態になっておりました。
そうした中で祖父が脳梗塞で倒れるなど、嫌なことばかり次々と続きました。
その当時、母は祖母の勧めで「霊波之光」の教会に通っていました。そこに通うようになってから悪いことが立て続けに起こっていたのです。
そのような時に、母の職場にお客さんとして来ていたYさんからTさんも紹介していただきました。
それまで、霊波之光の教えに不信感を抱いていた母は、迷わず日蓮正宗の信心をする決意をしました。
そして、母・私・妹の家族3人で仏見寺で御授戒をお受けしました。翌月には、母の両親も御授戒をお受けしました。それからは入院していた祖父の体調も安定し無事に退院することができました。
そして母も、信心してから半年ほどで、鬱状態から抜け出すことができ、何となく暗い雰囲気だった我が家も、ようやく明るい生活に戻ることが出来ました。


鼓笛隊員として活躍


私自身も嫌なことばかりだった生活が、一変して楽しいことばかりの明るい生活になることが出来ました。
その大きな1つに、入信してからすぐに入った鼓笛隊があります。私は5歳の時からピアノを始め、音楽がとっても大好きでした。
でもピアノしか演奏する機会がなかったので、鼓笛隊に入ったおかげで多くの楽器を演奏することができ、とてもいい経験になりました。
そして何より、練習前の1時間唱題、厳しい演習や合宿を1年間懸命に重ね、その集大成として夏のコンクールに出場し、(御法主日如上人)猊下様の前で演奏させて頂いた事は生涯の思い出として私の心に残ります。
唱題の大切さや信心の喜びを実感できた上に、かけがえのない友人もでき、とてもいい思い出となっています。


夢の実現にむけてこれからの抱負


信心したばかりの頃はお経を読むのも大変でした。勤行も時間がかかりすぎてなかなか御本尊様の前に座れませんでしたが、近所に住んでいるTさんが「一緒に勤行しよう」と、まめに声をかけて下さり、丁寧に勤行の仕方を教えて下さったり、自然と朝夕の勤行が出来るようになり、御講を始め年中行事には、必ず家族揃ってお寺に参詣させて頂いています。
私も、今までに何度か友人に日蓮正宗のお話をして、「一緒にお寺に行こう!」と誘ってはお寺に連れて行ったりしてきましたが、まだ折伏が成就したことはありません。特に高校に入学してからは忙しくて、あまり熱心に折伏できていない状況です。
これからは仏見寺支部青年部の一員として、今までの様々な体験をもとに、一層折伏を実践して、YさんやTさんのように、自分自身の信心はもちろんのこと、折伏した相手をもしっかり信心が出来るよう育成できる法華講員になりたいと思います。
私は将来パティシエになりたいと思っています。ですから高校を卒業したらそのための専門学校へ進学して、しっかり勉強し、夢に向かって頑張ります。




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