日蓮正宗応顕寺の本堂


私、たかぼんは応顕寺の寺院を挙げてのインターネットホームページ上の人権侵害行為について抗議いたします。
私は、応顕寺については参詣することを閲覧の皆さんには推奨いたしません。

応顕寺は人権意識に欠けている寺院です。
応顕寺住職は私と応顕寺に所属するところの冨士宗学研究との問題は個人の問題なので介入できないと言いながら、寺院の中では「緘口令」を敷いて、彼らの人権侵害行為を正当化しています。
こういう「二枚舌」をたかぼんは絶対に許しません。


応顕寺がついにネット風評被害対策業者を投入



御法主上人猊下御指南・平成27年3月度 広布唱題会の砌


魔に魅入られた人は、争いを好み、悪に染まり、破壊を好み、自己本位の人格となって、わがままで、我意・我見に基づいた考えを持ち、世の中に争いと怒りをまき散らすのであります。
これが今日のすべての災いの元となり、様々な悪現象と不幸と争いをもたらすのであります。
仏法の上から言えば、実は天災も人災も、一切がここから起きてきていることを知らなければなりません。


法太郎氏より


宗祖、四条抄に云く
「食法餓鬼と申すは、出家となりて仏法を弘むる人、我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて、名聞名利の心を以て人にすぐれんと思ひて今生をわたり、衆生をたすけず、父母をすくふべき心もなき人を、食法がきとて法をくらふがきと申すなり」(御書・469頁)

また佐渡の抄に云く、
「般泥おん経に云はく「当来の世、仮りに袈裟を被て我が法の中に於て出家学道し、懶惰懈怠にして此等の方等契経を誹謗すること有らん。当に知るべし、此等は皆是今日の諸の異道の輩なり」等云云。此の経文を見ん者自身をはづべし。今我等が出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは、是仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給へり」(御書・580頁)

応顕寺住職が、真に御書を拝することが出来るのであれば、恥ずべし、恥ずべし、速やかに還俗すべし。


たかぼんより


応顕寺は、寺院を挙げて名誉棄損や脅迫、勤務先への威力業務妨害などを私に対して行っている超ブラック寺院であり、応顕寺住職早瀬道寧や法華講応顕寺支部が違法行為をしなければ私はそのような行為はしない。
応顕寺住職早瀬道寧や法華講応顕寺支部は寺院を挙げて人を誹謗中傷する掲示板を立ち上げるのを公然と支援したり、無関係の人の勤務先や所属団体、それに所属寺院に意味不明な怪文書を送付させるなど懲役刑、罰金刑がある刑法違反を行なっていることをまずは反省すべきではないのか。応顕寺は自ら違法行為をしながら、私に難癖をつけられる立場なのか、と強く指摘するものであります。


大白法平成26年3月1日号より



大白法平成27年11月1日号より



大白法平成29年3月1日号より



大白法平成31年3月1日号より



御法主日顕上人猊下昭和58年12月26日慈含山応顕寺落慶入仏法要の砌


本日は慈含山応顕寺落慶入仏法要を奉修するに当たり、おうかがいをいたしました。
信徒各位多数御参詣をいただきまして盛大にこの法要を奉修できえましたことを有り難く存する次第でございます。
この応顕寺はただいま御宝前において慶讃申し上げました如く、現法道院主管・日蓮正宗重役・早瀬日慈師が56世日応上人の最後御留錫の地としてのこの東神奈川の地における教会の復興のために建立をせられた寺院でございます。
この神奈川教会が大正10年に出来ましたときには非常に官の規制等がやかましく、そのために寺院を建立することができなかったのでございます。
そこで当時日蓮正宗においてあちらこちらに僧侶の在住する布教所を造ったのでありますが、それが直ちに寺院の名称を称することができなかった次第でございます。そのようななかで神奈川教会が昭和20年まで存続をしておりましたけれども、戦災とともに焼失いたしまして、その後、再建ができなくなっていた次第でございます。
しかるに観妙院日慈師の永年の心願としてこの神奈川の地に日応上人の御威徳を偲んで復興したいという志がありまして、それがめでたく成就されたのであります。
振り返ってみますると明治以来、日本の国も様々な文化の形が大きく転換いたしました。その時代においてさきがけて日蓮正宗の大法をこの東都に弘めようということをもって、身をもって実践された方が56世の日応上人でございます。この因縁によって色々と今日の法流布の相があることを、私は前からこれは感じているというよりも知っているのでございます。
皆様方も今日、ここに日蓮正宗の信仰をせられておるそのためには、どなたからこの正法の話しを聞いて入信せられたのだと思います。その話しをしてくれた人はまた、その前にその話しをしてくれた人がいるというわけで、法華経に五十展転・随喜の功徳と説かれておりますが、やはりその次から次へと信心の流れが伝わってきておりますから、逆にその元を考えていくと、ずっとその道が存するのであります。その辺を皆様も我々もこれからまた、この正法を受持つしていく上において、よく肚に入れておくということも大切であると思います。

例えば、創価学会の初めは牧口初代会長から始まっておりますけれども、その牧口会長が日蓮正宗に入信をされたところの元はまた、その別の方がおられたのであります。そのように、そういう方々の因縁があって流布の道が開いて来たわけであります。
それらの因縁の元として、明治の日蓮正宗の東都における弘教は、日応上人が初め、本郷西片町から始められまして、そののち深川等を転々としたとされておりますけれども、その時代はたいへん貧乏ななかで、長屋住まいのような形から御本尊を御安置して、しかも一宗の法主になられた方がそのような立場で法を弘められ始めたというところに、その頃の実情が偲ばれるのでございます。そこのところから始まって今日の宗門のこのような隆盛があるということを深く考えてみまするときに、やはり我々は先人の、色々な立場における御苦労を深く拝して、これからまた決意を新たにいたしまして正法護持に邁進していくことが肝要と思うのであります。
また、そのときに日応上人が御留錫をせられた神奈川教会を建立されたのは、高津たきという当時の強信の方でございましたけれども、その方の子孫が今日、創価学会員として-本日も御参詣になっておるかもしれませんが、邪宗に走ることなく正法を受持して、創価学会員として信行に邁進されておるということを私も承りまして、これは本当に先祖の大きな功徳であることを感じたのでございます。
今日は創価学会の死身弘法の折伏教化によって、この下種仏法が日本ないし世界に広宣流布をしている次第でございますが、この状況を見、また、本日の慶事を寂光土より日応上人が御覧あそばされて、いかに御満足であらせられるかを拝し奉る次第でございます。
そして、我々はさらにこれからも、いかなる魔が競いましょうとも大法の功徳を確信いたし、その成仏の大益が未来永劫にわたることを確信いたしまして、たゆむことなく広宣流布のため、また一生成仏のために邁進されることをお願いいたしまして、一言、御挨拶に代えます。本日はまことにおめでとうございました。


平成4年2月1日号大白法 - 応顕寺支部(横浜・神奈川区)結成式


平成3年12月22日午後2時より法華講応顕寺支部結成式が横浜市応顕寺で行われた。これには庶務部長の大願寺住職早瀬義寛御尊師、関東大布教区副宗務大支院長の護国寺住職土居崎慈成御尊師、神奈川布教区副支院長の久遠寺住職木村真昭御尊師をはじめ、教区内外の御尊師方が多数御出席。連合会から篠田登山部長、東京第二地方部からは三宅地方部長、横尾島吉副地方部長、関野洋夫総務部長が出席し、地方部内各支部の代表並びに法道院支部関係者も激励に駆け付け、610余名の結集となった。
応顕寺支部は、法道院支部からの移籍者と、創価学会からの退会者により、10月12日付けで支部組織を許可された。(応顕寺支部の連合会加入11月20日)
御住職・舟橋義秀御尊師の導師で結成法要が執り行われ、引き続き式の部に移った。「唱えてゆこう妙法を」の合唱の後、佐藤英二総務より経過報告があり、次いで土居崎御尊師より許可書授与、指導教師・舟橋御尊師より認証状並びに辞令授与があった。
続いて婦人部の石田祐子さん、北原稔青年部長、伊東洋子婦人部長、大川鹿蔵壮年部長より、それぞれ体験並びに決意発表が行われた。
メッセージ並びに祝電披露の後、為我井忍講頭が「外護」「再折伏に獅子吼の叫び」「憶持不忘の法華講」の三指針をモットーに正邪を糺して御法主上人猊下の御指南に信伏随従し、指導教師のもと異体同心で力強く邁進して行くとの抱負を語った。また、石渡秀男法道院支部講頭、横尾地方部長の祝辞に次いで篠田登山部長は異体同心の信心の大切さを話し、法華講員であることに誇りを持ち、学会員の再折伏戦を展開して、更に精進されるよう念願した。
次に土居崎御尊師より、布教とは正しい法義をどこまでも正しく守り、正しく貫き、弘めることである。大法広布の使命を決意して戴きたいと、激励した。
続いて早瀬御尊師は、あくまで「自分の心」を御本尊に任せ、成仏を願っていく信心である。一人ひとりが、真の広宣流布に向かって、新たな出発をする時であると述べられた。最後に指導教師・舟橋御尊師より参列の各位に対して丁重な謝辞が述べられ、熱原の法難の原点に返って法華講精神を如何なく発揮し、創価学会に対して大鉄槌を下す自覚と勇気を持っていただきたいと御指導された。この後合唱して終了した。

平成24年8月16日付大白法 応顕寺信徒Y・S君の体験発表


皆さん、こんにちは。応顕寺支部5年Y・Sです。
今日は僕が体験した唱題の功徳についてお話しさせていただきます。
僕はお母さんのお腹にいる時から、左水じん症という病気で1歳になるまでは熱が出ると死ぬ場合があると言われていたようです。
この病気は、腎臓に水が溜まってしまい、おしっこが作れない病気だそうです。
5歳になったら検査して、その結果によっては左の腎臓を取ることになっていました。
お母さんはいつも、僕の背中をさすりながらお題目を唱えていました。
僕は平仮名が読めるようになった3歳の頃から、お母さんと一緒に勤行をしました。
勤行をやることが楽しくて、一生懸命に勤行をしました。
5歳になった時の検査で、左の腎臓は形は悪いけれど、おしっこが作られていると、担当の先生が泣きながらお母さんに話してくれました。
お母さんは泣きながらご本尊様のおかげだねと話してくれました。
僕はその時から唱題がすごく大切なんだと、唱題の功徳はすごいんだと思いました。
僕が3歳の時に両親は離婚しました。
その頃からお母さんに連れられ、お寺や講員さんの家の唱題行に参加していました。
僕とお姉ちゃんは時々お父さんの家に遊びに行っていました。
その時に僕が、「何でお父さんはご本尊様を信じられないの?」と聞いてみたら、お父さんは、「目に見えないものは信じられない」と答えました。
でも僕は目に見えないからと言って実際に幸せになっている人がいるのに、何で信じられないんだろうと思っていました。
そんな僕も1年生になった頃から、勤行や唱題が時々面倒臭いと思うことがありました。
そんな中、2年生の時に同じお寺のH美さんから鼓笛隊に誘われ、入隊しました。
練習に行くと毎回1時間半の唱題をしてからの練習で、初めの頃は正直すごく嫌でした。
僕はなかなかピアニカを上手に演奏できませんでした。
「どうしたら、上手に演奏できるようになるのだろう」と悩みました。
僕は上手に演奏している人は皆一生懸命に唱題をしているのに気が付きました。
それから僕は真剣に唱題をしてみました。
すると、今まで上手に演奏できなかったところが弾けるようになりました。
やはり唱題の力はすごいんだと思いました。
4年生になって僕はミニバスに入りたくなりお母さんに相談しました。
バスケットは激しい運動なので腎臓のことを心配して、病院に検診に行きました。
先生から「もう何をやっても大丈夫だよ」と言われました。
ご本尊様から大きな功徳をいただき、うれしく思うと同時に、僕は唱題をもっともっとやらなくちゃと思いました。
そしてお母さんと朝夕の勤行・唱題と鼓笛隊との両立をすることを約束して、願っていたミニバスに入ることができました。
今年の1月の1か月間、お寺で夜7時からの唱題行に毎日参加しました。
僕は友達をお寺に誘いたいと思い、K太郎君に声をかけました。K太郎君は2月26日の神奈川地方部総会に喜んで来てくれました。
そしてK太郎君は御住職様のご慈悲で、無事ご授戒を受けることができました。
僕はとてもうれしかったです。
4月の支部登山にも一緒にお登山することができました。
K太郎君は「とても楽しかったし、また行きたい」と言ってくれました。
これからはK太郎君をお寺に誘い、一緒にお題目を唱えて行きたいです。
そしてこれからも御本尊様を信じてお題目を唱え、友達にご本尊様の素晴らしさを伝えて行きたいと思います。