知恵ノート①:大山ねずの命神示教会を破折する


 1 成立の歴史


大山ねずの命神示教会は、昭和23年(1948年)、稲飯定雄(供丸斎・ともまるさい・1906-88)によって創設された新興教団である。
稲飯定雄は明治39年(1906年)、富山県立山町の農家に生まれ、小学校卒業後、上京して赤坂の軍服店に勤めた。そして23歳の時に独立して、九段上で軍服店を開業したが、戦後、その店で儲けた資金を投入して、横浜市西区に「ぼたん湯」という銭湯を開いた。
教団の機関誌によれば、稲飯は、昭和20年(1945年)の春に喉を患い、医師から喉頭がんとの診断を受けた。そして、病が悪化して苦しんでいた翌21年(1946年)の12月、稲飯の枕元に、髪を耳元に束ねた高貴な姿の婦人(女神)が現れ、「命が欲しければ、大山ねずの命のにすがれ」と告げた。
それを境に、喉の痛みはピタリと止まったので、奇跡と思った稲飯は、翌日から連日連夜「大山ねずの命」という言葉を唱え続けた、という。
更に昭和23年(1948年)9月23日、再び、稲飯のところに神が降りてきて、
「其の方がすがっていられる大山ねずの命である。今日より、其の方、並びに妻マサ子を大山ねずの命の使者として神の力を授けるほどに、神の力を受けよ、よって大衆を救助せよ」
とのお告げがあった、という。
教団ではこの日を創立日としており、稲飯は、神示によるとして、自分を「供丸斎・ともまるさい」、妻マサ子を「副使者・供丸姫・ともまるひめ」と称し、共に、神示の受け方、加持の術、祈祷の方法(占いや手かざし)などを身につけていった。
そして昭和27年(1952年)、教団名を現在の「大山ねずの命神示教会」と称するようになった。
その後、昭和41年(1966年)12月、後に稲飯の後継者となる森日出子(当時20歳)が、父母とともに入信してきた。
この日出子に目を付けた稲飯は、翌年2月、日出子に「神から『片腕となる女が現れる』とのお告げがあった」と言い、神の言葉に事寄せて、自分のもとで神の教えを学ぶよう、告げた。
かくて、日出子は稲飯の片腕となっていくのであるが、昭和47年(1972年)には、日出子の母が家屋敷を全て教団に寄付し、そこが現在の教団本部になっている。
その後、詳しい事情は不明だが、稲飯定雄とマサ子は、夫婦仲に亀裂が生じて別居状態になった。
そうした中で昭和50年(1975年)7月、日出子は、神示によって「副使者・供丸姫」の名を与えられたのだという。
そして、もう1人の供丸姫である妻マサ子は、長男と共謀して独立を企てたために、副使者の座を降ろされた。
日出子を後継者と決めた稲飯は、その布石を打つべく、昭和61年(1986年)、日出子に「大山ねずの命直々使者」(直使)という任を授け、更に翌62年(1987年)11月、日出子の41歳の誕生日には「供丸姫(日出子)の実体は、大山ねずの命の化身である」という神示が下った、と言いだした。教団ではこの日を「聖日・せいび」と称し、大山ねずの命がその実体を現わした日、としている。
創始者の稲飯定雄は、昭和63年(1988年)10月に死亡。教団は供丸姫(日出子)を直使、日出子の兄・真一を教会長、弟森正人を副使者とした。
その後、供丸姫は、平成14年(2002年)9月に55歳で死去。 それ以後は、教義や信者の教育を担当する教主・供丸光(供丸姫の弟森正人)と、教会の組織長である神主教会長(供丸姫の兄森真一)、及び2人を補佐する神奉仕・供丸清(供丸姫の甥・教会長の長男森信秀)のトロイカ体制で現状を保っている。
現在の教団は、本部を横浜市南区に置き、信者数は約82万人と称している。 

大山ねずの命教団の登記簿 


2 教義と本尊


大山ねずの命神示教会では、「大山ねずの命」と書いた神札を信仰礼拝の対象とする。信者は、その神札を自宅に祀って、朝晩6時という、決まった時間に祝詞のようなものを唱えるのであるが、神札は毎年、買い替えることを義務付けられている。
大山ねずの命とはどのような神か、について、教団では、
① 大山ねずの命は、我々人間にとって、ただ1人の救世主である。
② 大山ねずの命は、神々を統一している、最高の神である。
③ 大山ねずの命、並びに天地八百万の神々には肉体はない。すなわち透明人間である。それゆえに、生もなく死もない、無制限体である、等々と説明している。
そして「大山ねずの命にすがれば、どんな悪しき因縁でも断ち切ることがことができる」が、「他の神々や仏にお経、お題目を唱えても、また良き教えや善悪の行いをしても、絶対に悪しき因縁は断ち切れない」とする。
また教団の教えには、「大山ねずの命は『神の指名した使者こそ、神に代わる救世主であることを信ぜよ』と申されている」ともあるが、これは、教祖および後継者が「神示である」と言えば、全て大山ねずの命からの言葉として受け止めなければならない、ということである。
教会では、毎日、信者からの悩み相談を受け、幹部がこれに適当なアドバイスを与える。さらに信者には、「教会の十教訓」(これも神示によるものとしている)といって、
「1 妥協せよ、妥協に進めよ。1 争うな、争いを避けよ 1 人を怨むな、過去を忘れよ。 1 人を憎むな、人の罪許せよ」等々といった倫理道徳を浸透させている。
更に「信者の心得」として、
「1 神仏を敬うこと。 1 神仏で世を渡ること。 1 人の道を守ること 1 正しき事はやること」等々を挙げている。
これらを実践すれば、「夫や妻に恵まれ、子供に恵まれ。健康に恵まれ、職業に恵まれ、希望に恵まれる」という。
また「自分の良い運命も、親や先祖から受ける悪い因縁によって壊されて行き、そのために苦悩が起こる。
その悪因縁を断ち切るためには、大山ねずの命と直使、供丸姫の偉光にすがっていく以外にない」とも説いている。


3 破折


大山ねずの命神示教会は、教えから教団の運営まで、全て大山ねずの命からの神示という大義名分によって成り立っている。
つまり、創始者の稲飯定雄(供丸斎)が「自分は大山ねずの命の使者だ、とのお告げを受けた」と言えば、それが罷り通り、また「森日出子(供丸姫)が大山ねずの命の化身だ、告げられた」と言えば、またまた、それが罷り通る、というように、どんな口からの出まかせでも、教団では「神の言葉」として通ってしまうのである。


存在しない大山ねずの命


ならば、その託宣を垂れる大山ねずの命なる神はいかなる存在かと言えば「肉体がなく、透明人間だ」という。
神示を垂れるということは、当然意思を持っている、ということに他ならないが、いったい、肉体を持たない透明人間がどうやって意思を持つことができるのか。性質(精神)のあるところには、必ず実体(肉体)があり、実体(肉体)のあるところには、必ず性質(精神)が具わる、というのが、宇宙森羅万象を貫く道理である。精神だけが存在するということは絶対にありえない。
それに教団で出しているパンフレットには姿のないはずの大山ねずの命の画像が描かれているではないか。これでは自語相違である。
また大山ねずの命なる神は、どうやって神になることができたのであろうか。
大山ねずの命神示教会では「神は、生もなく死もない、無制限体である」としているが、つまり「神はもともと存在していた」という意味であろう。
これでは生ずる原因がなく、もともと存在していたことになり、根本的に道理から外れている。
道理から外れた神など、あろうはずがなく、よって大山ねずの命神示教会で言うところの大山ねずの命なる神などありえない、ということは明白である。


創始者の姿こそ恵まれぬ見本


現実には存在しえない神の言葉が聞こえたなどと言うのは、口からの出任せか、幻聴以外の何物でもない。
現に教団の教えを信仰すれば「夫に恵まれ、妻に恵まれる」はずなのに、創始者の稲飯定雄・マサ子夫妻は別居・離婚し、神示によって選ばれたはずの初代副使者・供丸姫(マサ子)は、造反劇を起こして追放の憂き目に遭っているのだから、これほどアテにならない神も珍しい。
信者は、こんないい加減な教えを信仰していれば、人生がメチャクチャになる、ということを知るべきであろう。


知恵ノート②:大白法平成26年6月16日号諸宗教破折大山ねずの命神示教会 - 始まりは「風呂屋の神様」


日本全国に「大山祇命(おおやまつみのみこと)」という神を祀る神社は多数あるが、今回紹介するのは「大山ねずの命」という神を祀る、神道とは無関係な新宗教だ。この「ねず」という漢字、「祇」に酷似しているが、教団が独自に作り上げたもので、もともとは存在しない。

参考資料:ねずの字
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d2/Nezu.png

 教団の発祥


大山ねずの命神示教会の創始者稲飯貞雄(別名・供丸斎)は明治39年(1906年)1月富山県立山町に生まれ、小学校卒業後、上京して赤坂の軍服店に奉公したが、その後独立し、昭和20年(1945年)に「ぼたん湯」という銭湯を開業した。
昭和21年(1946年)、稲飯は喉頭ガンを患って苦しんでいたが、夢の中に女神が現われ、
「命が欲しければ大山ねずの命にすがれ(趣意)」とお告げがあり、この時を境に、喉の痛みがピタリと止んだという。
更に昭和23年(1948年)9月23日、再び女神から
「神の使者として苦しむ人々を救え(趣意)」とのお告げがあり、これ以後、稲飯は供丸斎と名を改め、風呂屋を神殿として病気治療の手かざしや占いなどを始めた。
その後、「風呂屋の神様は病気が治る」と評判になり、多くの人が救いを求めてやって来たという。

 教団の転機「50年事件」


順風満帆だった教団に転機が訪れたのは昭和50年、教団支部長が女性信者に性的暴行を加え逮捕されるという事件が起き、新聞各紙にも報道された。
事件の収束で手柄を立てて、教団内で絶対的な地位を確立した支部長の森日出子は、昭和62年(1987年)、供丸姫と改名し、供丸斎の後継者となった。
その後、供丸姫(森日出子)とその親族による組織改革によって、信者数は飛躍的に増加し、現在までに信者数は80万人を数えるのだそうだ。
信者の増加に伴い、教団は横浜市南区・横浜市営地下鉄蒔田駅周辺の土地を次々と買いあさり、現在、駅一帯は、巨大な教団施設が軒を連ねる。
所有地拡大の過程では、近隣住民と激しく対立したというが、現在では完全に大山ねずの命の宗教タウンと化しており、反対の声はほとんど聞かれない。

 空虚な神とその教義


教会の教典である「直伝心の道」には、この得体のしれない神について、
「大山ねずの命はただ1人の救世主で、神々を統一する神である(趣意)」
「大山ねずの命にすがれば、どんな悪因縁でも断ち切ることができる(趣意)」
旨の裏付けに乏しい空虚な言葉が並ぶ。
その規範も
「肉親・身内・近所同士は、和合せよ。人を恨むな。正しいことはやること、曲がったことはやらぬこと(趣意)」
などと、ごく平凡な倫理道徳を標榜するのみで、他の宗教より優れているという根拠は全く示されない。
もともと風呂屋での病気治しや占いから始まった教団だが、現在の教団ホームページには、「ひとことで言えばここは生き方を学ぶための幸福学校です(趣意)」とあり、病気治しに代表される現世利益的な色合いは微塵も感じられない。
教団の理念が大きく変わったと考えられるのだが、もともと確固たる教義など存在しないというのが実状であろう。


 「三証」兼備の正法


正しい宗教には、正しいという「証(あかし)」が不可欠だ。
日蓮大聖人は信仰の正邪を見極めるために、理証・文証・現証という3つの判定基準を明示された。
理証とは道理、つまり正しい教理は、時間と共に変化するものではなく、終始一貫しているということ。
文証とは教祖の独りよがりではなく、仏の正しい経典、すなわち法華経によって正当性が確立されていること。
現証とは善因善果・悪因悪果が実際にその身に現われること。
大山ねずの命神示教会には三証はなく、信じる価値は全くありません。

知恵ノート③:大山ねずの命教団も霊波之光教団も邪宗教である - 私の弟夫婦の質問に答えて(平成19年2月22日付け)


大山ねずの命神示教会について


先日質問のありました大山ねずの命神示教会についてご質問がありましたので回答いたします。
なお当方が専門とするところの霊波之光教団についても触れることがあります。


 正しい宗教と間違った宗教の違い


まずはじめに正しい宗教と間違った宗教の違いについてお話いたします。
正しい信仰では以下の3項目全て説明することができます。
1 文証―経典などによる証拠であります。教えが独断ではなく、仏が説いたお経によっても裏付けられているかどうか?
2 理証―教えが「物事にはすべからく原因があって結果が存在する」という世の中の当然の道理にかなっているかどうか?
3 現証―その教えが単に理論のみの観念ではなく、現実の人間の生活の上でどのように証明されているか?


霊波之光の場合は昭和29年3月7日に長谷義雄が「霊峰山」なる場所で神からの啓示を受けたとされております。
しかし霊波之光教団の信徒は誰1人として「霊峰山」の場所を教団発行の出版物を用いて証明できる者はおりません。また教団も霊峰山の場所について説明しようとしておりません。
すべからく世の中の物事を証明するには「誰が」「どこで」「どのように」して「どうなった」か説明できなければ「事実」と証明することはできません。
神の神示なるものを受けた場所を証明できない以上、長谷義雄は「脳内」で神からの神示をきいたことになりデッチアゲという結論となります。
これは精神病で言う「神がかり状態」、医学用語では「憑依妄想(ひょういもうそう)」と言いますが精神が錯乱して訳が分からなくなり自分が神になったのだと思い込んでしまったというわけです。
大山ねずの命神示教会においても創始者の稲飯定雄は喉頭ガンに苦しんでいたといいますが昭和21年に突然神がかって夢の中で女神が「命がほしければ大山ねずの命にすがれ」との御告げを聞き
目を覚ましたところ苦しみがなくなっていたので、それ以来昼夜を分かたず「大山ねずの命」の名を一心に唱え続け、そして昭和23年9月23日にまたも神がかり、稲飯貞雄は今日よりの使者としての力を与えるという神示が降りて神より直々の指導を施されたとして「供丸斎」と名乗っているとあります。
出発点からして両者は若干の違いはあるものの「神がかり」から出発したという点では両者は共通しております。
実は「天理教」も「幸福の科学」も、海外では「エホバの証人」も教祖の神がかり=精神錯乱からスタートしております。
このような精神錯乱、精神分裂の妄想が出発点になっている宗教ではまともに信じるに値しませんし誰も幸せになることはありません。


次に理証ですが、きちんと原因と結果を立てているのは仏法だけです。
霊波之光の神はどこから生じたのでしょうか?同様に大山ねずの命はどこから生じたのでしょうか?
神は本からの実在で何処から生じたものでもないというように原因がとだえます。
本から神だとするとだれも神にはなれません。しかも神は造った側、人間は造られた側という絶対的な差別がありますから、神は絶対的な超越者、人間はそれに従属する者で差別は絶対に埋められません。

だから霊波之光では創立者による長谷一族によって、大山ねずの命神示教会では稲飯の後継者である森日出子が、日出子が亡くなったら日出子の弟がと実質森一族の独裁であり、長谷一族や森一族と一般信徒との差が埋められることはありません。
仏教の場合は仏である日蓮大聖人も御両親があって貞応元年2月16日に誕生し、修行をするという原因があって仏になるという結果が生じております。このように必ず原因と結果があるわけで、私達も同じように修行することにより同じ原因をつくれば仏となれます。絶対平等なわけです。
原因結果を無視している大山ねずの命神示教会と霊波之光と原因結果に徹した仏教ではまったくその勝劣、どちらが勝っているか明らかであります。
そして過去、現在、未来にわたって原因と結果が永久的に連鎖することを説き、因果を極めたのが仏教です。
ついでに言いますが霊波之光も大山ねずの命神示教会も過去を説いておりません。
なぜなら稲飯貞雄は大山ねずの命から神示を受け救済を開始したという昭和23年9月23日以前の人は救われないのかということになります。
昭和23年9月23日まで大山ねずの命は何をしていたのでしょうか?
それまで大山ねずの命は人類を救おうとしなかったということになり無慈悲といわざるを得ません。

いくら魂の永続性を説いても過去が説かれないということは未来への永続性を示す教えは確立できません。
今がよければよいということになるわけで、霊波之光では葬儀を教団で行なうことはありません。
霊波之光も同様で昭和29年3月7日まで大宇宙神は人類を救おうとしなかったという結論となり、無慈悲という結論となります。
このような神々が人類を救える道理はありません。


最後に現証ですが、そうしますと、大山ねずの命神示教会でも霊波之光でも確かに経典による裏付けもないし、道理にもかなっていないが奇跡なるものが起きたので私は信じているという人が出てきます。
ここを説明いたしましょう。
低い教えを信ずればそれを信じることによって、病気が治ったとか、お金が儲かったという小さな利益らしきものは出てくることはあります。
人間はある特定の教団に入り信仰するとそれなりの利益が当初は出てくるのです。それは今までの生活を省み生活パターンに変化が起こるからであります。新宗教はみな同じです。新宗教に入会し利益がもらえた、というのはこのことなのです。一般人はそれをもって「この教団には力がある」と思ってしまい、ずるずると入り込んでしまうのです。悪徳金融会社の騙しの手口と同じことです。

日蓮大聖人は「邪宗教を信仰して少しばかりの功徳があるように見えても、人生の真の幸福を勝ち取っていける大きな利益は絶対にない。その信仰をして利益があるように見えても、ついには安穏な生活は送れなくなり、身を滅ぼす結果となる」と仰せられております。
最初の小さな利益に目がくらんで邪宗教にのめりこんでいった人は、後々まで見れば、病気や家庭不和、経済苦など、文字通り地獄のような生活の中に陥ってしまったということが多々存在しております。
そしてそういう生活に陥っていながら最初に小さな利益があったからといって、その宗教を疑わず、自分は幸せなのだ、これからも幸せになっていけるのだと思い込んでいる人が多いのです

精神がマヒして不幸も不幸とも感じられなくなる状況を仏法では頭破七分=頭が7つに割れる の現象といいます。
最後は精神病になって身の破滅を招くこととなります。


 なぜ大山ねずの命神示教会は邪宗教か?


大山ねずの命神示教会については邪宗教であります。
1 出発点が創始者の稲飯定雄の妄想から出発していて大山ねずの命なるものを裏付ける文証、理証が存在しない。
2 本尊つまり信仰の対象物は大山ねずの命とあるが実際は稲飯貞雄や森日出子、正人ら歴代の教祖である。しかしこの3人はただの人間である。
3 2の根拠として稲飯定雄は教団の内紛で妻と離婚し、長男と別離している。そして晩年は寂しいものであったという。そのような者を本尊として拝めば感応されて家庭不和を巻き起こすであろう。また森日出子は平均寿命よりもかなり短い56歳の若さで亡くなっている。つまり頓死したということである。羨ましい最後とは言えないであろう。ちなみに霊波之光の創始者長谷義雄も昭和59年3月19日午前5時10分、心筋梗塞で68歳で頓死している。つまり自分すら救えなかったということで長谷と森は共通している。
4 更に教祖ですら出来ないことを「教義」としてもてあそぶと、それを実生活において実践できない会員は「自分は駄目人間、仏、神、稲飯貞雄や森日出子の教えに背いている」と感じるようになり、結局はその宗教によって人格が変質し、人格破壊を自らおびきよせ家庭崩壊、人格破壊へと導く結果となる。

宗教とは、その「教祖・本尊にいかに自分が近づくか」ということである。これを仏法では「感応妙」と言う。 正しい宗教に近づくと人格が向上し幸せを享受することが出来るが、そもそも根元から何ら根拠もないデッチアゲの教団に身を置き、その教えに近づこうとすればするほど、その根本の教祖のインチキな人格に近づくことになる。

大山ねずの命教団の場合は稲飯定雄氏や森日出子氏がデッチアゲにたけた人物であるため、熱心に信仰すればするほど、あなたの人格そのものが「二重人格」となってしまう結果となる。。
5 大山ねずの命神示教会においては親や先祖の悪因縁が苦悩の原因と教えているが、悪いことは親や先祖のせい=他人のせいというのは自分には誤りがないという無反省な自己中心の考えである。この苦悩の因縁を断ち切るには教祖の威光にすがるというのは一切の幸不幸には原因と結果があるという物事の道理からかけ離れている。根拠もない。
信者は毎年、奉納金を払い、御神体を改めることが義務付けられているが1年契約の神ということになる。霊波之光も同じ。

以上大山ねずの命神示教会について説明いたしました。
信じる価値はないと言い切らせていただきます。
万が一関わりがあるようでしたら1日も早く脱会しましょう。
敬具


未だに弟夫婦は大山ねずの命教団を信仰しています。

1日も早く脱会し正法に帰依されることを心からお祈りし折伏を続ける所存です。


 弟からの暴言メールがあったため、絶縁を決断(平成29年4月5日)


母親の一周忌に際して決められた日時まで参加の連絡をしない、母方の親戚に対し自分があたかも「主催者」でもあるような「越権行為」があったことに対し、たしなめたところ大変な暴言のメールがきたことから、冷静にやんわりと「絶縁」を言い渡しました。
すなわち
あなたの気持ちは分かりました。
非常に残念です。
お元気で。
これで弟からメールは一切きておりません。
メールは破棄しておきました。
「今までは母が弟や姪の肩を持っていたから我慢していたけれども、母も亡くなり気兼ねする必要もなく、次回問題が発生したら絶縁することは決定済みだったため、
事件が発生したので一切挑発にも乗らず、感情的にもならず、淡々と実行させていただいた。
今回の件はこちらには落ち度は全くないと判断している。
姪とは当然には絶縁とは考えていないが、以後つながりがなくなるのも致し方ない。
夏までに親戚を回り説明する考えである。
あとは公正証書遺言を作成して弟を相続人から排除して手続き完了となる。」
そういう結末になってしまい残念です。
たかぼん拝

知恵ノート④:大山ねずの命神示教会への折伏記録


平成26年(2014年) 4615時、後私の他4名で札幌市東区北37条東18丁目2-27にある大山ねずの命神示教会北海道第一偉光会館を訪問し、館長が対応されました。1時間ほどお話いたしました。


訪問目的 


まず私より、「訪問した目的は弟夫妻が信仰している大山ねずの命神示教会とはどういうところか、弟については詳しい質問をしても『人の宗教を批判するのはおかしい』とか、『教団の人に聞いてくれ』というような新興宗教を信じている者にありがちな対応しかしてくれない。

また弟の妻の実家は教祖の一族と同じ苗字である。

○彼らの言動や行状を見ると弟の妻の家が上、我が家が下と言うような態度が目立っている。その原因は大山ねずの命神示教会の教義に問題があるのではないかと思い訪問いたしました」と切り出しました。

そうしたところ館長からは

●弟夫婦が信者であることは認めましたが、弟の妻の実家が信者であるかどうかは分からない。従って教祖一族かどうかも分からない、という答えがありました。

 


 大山ねずの命の実体について


次に「質問がいくつかあります。○まずあなた方の信じる大山ねずの命とは何か?その実態を説明していただきたい。私はもともと存在するものなど何1つないと思っている。また大山ねずの命は神示を垂れるということは意思を持っているということであり、精神・性質のあるものは必ず実体・肉体があり、実体・肉体のあるものは必ず精神・性質があるはずである。然るに大山ねずの命は肉体はないということになっているようだがどうなのでしょうか?」と言ったところ、

館長は「あなた方は大山ねずの命を求めてこられたわけではないようだ。日蓮正宗の主張をしに来ているのであれば答えても意味がないのではないか?」と言われたので、

私は「いいえ、喧嘩を売りに来たのではありません。率直にお教えいただければありがたいです。

教えていただいてどのような感想を持つかは私の問題であって、お答えいただいた館長さんに対しては感謝するのみです」と答えました。

そうしたところ館長は「●大山ねずの命とは運命を司る神であり、人間の幸せのために生じた」と答えられました。

私はそれに対して、「○そうであったとしたら、人類は200万年もの歴史があり、戦争や災害等もあったでしょう、立教の日とされる昭和23923日まで大山ねずの命は何をしていたのでしょうか?無慈悲な神だと思います」と返答したところ館長は

「●大山ねずの命は適した時期に降りられた。適した時期が昭和23923日だったということです」

と答えられました。


 大山ねずの命の発するとされる神示について


次に私は「○大山ねずの命の神示は教祖一族にしか降りないものなのか?それとも信者11人に降りるものなのか?」と質問したところ館長は、

「●教祖一族にのみ神示が降りる」と答えられました。

そこで私は「○教祖一族にしか神示が降りないとしたら、教祖一族しか救わないという無慈悲な神であり、これでは信者11人が救済されるということにならないと思う。また、人間は絶対に神にはなれない、神は造った側、人間は造られた側という絶対的な差別を説いており、更には私が取り上げたように森家は神の一族であり上、信者やその他の人は下で従う側、ということになりませんか」と尋ねたところ館長は

「●大山ねずの命は人の幸せのために神示を垂れる。答えが入っている場合もある。差別なく11人に説いていると私は考えている」と答えられました。

そして私は「○教団のパンフレットでは開祖の稲飯さんについてはほとんど説明がなく、2代目教祖の森日出子さんの説明がメインとなっている。信仰というものは尊敬とは違い、教祖なり本尊なりと一体化するということになる。稲飯さんは妻と離婚し息子とは別離しているし、森さんは若くして亡くなられている。私としてはお断りだ」とお話した上で、「大山ねずの命神示教会さんは今は森家が経営している教団ということですよね」と聞いたところ、館長からは

「●これは私からは答えられない。ただ、初代教祖は開祖、2代教祖は教えを発展させて広めた方と私は考えている。これからも森家かどうかはわからないが少なくとも初代と2代については血縁関係にはない」と答えられました。


 別の宗教に関しての教団の考え


次に別の新興宗教霊波之光との比較において

(○特に葬儀を行うのか?生まれ変わりについて教団ではどう考えているのか)館長からは「●私たちは生まれ変わりを認めている。教団では葬儀も行っており過去世・未来世は否定していない」という答えがありました。

更に私は○天理教の成り立ち、霊波之光の成り立ちについて説明した上で、「教祖の憑依妄想から出発しているという点では同じような宗教であり高い教えではないと思う。天理教・霊波之光の教えについてどう思うか?」と質問したところ、館長は

「●そういう教えがあってもいいと思う。否定はしない」という旨の答えがありましたので、

「○大山ねずの命神示教会さんの教典である『大山ねずの命神示 直心の道』には大山ねずの命はただ1人の救世主で神々を統一している最高神である」という教えに反ませんか?」と聞いたところ、館長からは

「●いい教えであれば否定はしない」という答えがありました。 

館長からは

「●日蓮正宗では神は否定するのか」という質問がありましたので、私と同行した女性Sさんより、

「○曼荼羅には『天照大神』とか『八幡大菩薩』とか『鬼子母神』等神も書かれており、曼荼羅を拝むことによってそれらの神も拝んでいるということになる。ただこれらの神は『諸天善神』と言われておりその神を単独で拝むことはありません。あくまでそれらの神は仏のしもべであり仏が上、神は下です。従って一神教のような神は日蓮正宗では否定しています」とお話いたしました。


 当方の所感


大山ねずの命教団と接触ができて館長さんから丁寧にお話が伺えた結果、将来の弟一家や他の信者一家への折伏に大きく寄与できたと考えます。

霊波之光のような人の足元を見ながらの現世利益一辺倒、パンフレット等を大量に信者に配らせて布教するという考えはないように思われました。

また同行した所属寺院の講員さんもいつもの創価学会員に対する攻撃的な折伏ではなく、理性的に相手に自分の主張をしつつ、相手方の教義についても話をすることができ大変参考になったとの声がありました。