読み
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ぶつげんじ
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所在地
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宮城県仙台市若林区荒町35
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郵便番号
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984-0073 |
電話番号
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022-223-1624 |
山号
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法龍山(ほうりゅうさん)
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開基
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太夫阿闍梨日尊師
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地図
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沿革
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* 嘉元3年(1305年) - 岩代国渡邑に建立 |
* 延宝2年(1674年) - 仙台に移転
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* 宝永4年(1707年)2月13日 - 焼失する。
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* 正徳元年(1711年) - 京都要法寺より富士流の化儀式を行わないように厳戒される。 |
* 正徳3年(1713年)11月 - 客殿が落慶する。 |
* 明和元年(1764年)10月27日 - 類焼する。 |
* 明和5年(1768年)5月 -梵鐘が再鋳される。 |
* 享和3年(1803年) - 客殿が再建される。 |
* 文政5年(1822年)2月26日 - 類焼する。 |
* 弘化4年(1847年)9月 - 客殿が焼失する。 嘉永2年(1849年)再建 |
* 明治14年(1881年)11月 - 後の第56世法主日応上人が住職となる。 |
* 明治16年(1883年)6月 - 佛眼寺壇信徒、要法寺からの離末趣意書に連判する。 |
* 明治33年(1900年)9月29日 - 要法寺より佛眼寺の明渡を求められる |
* 明治45年(1912年)5月4日 - 第56世法主日応上人、寺籍問題で書をもって壇信徒を激励する。 |
* 大正12年(1923年)9月8日 - 佐藤覚仁師が住職事務取扱となる。 |
* 大正13年(1924年)3月15日 - 佐藤覚仁師、要法寺の佛眼寺引渡要求を拒絶
4月18日 - 本門宗管長が佛眼寺佐藤覚仁師の寺外退去を文部大臣に請願
5月31日 - 文部省宗務局長、仙台市長に佛眼寺寺籍問題に関する5項目の回答を求める。
6月23日 - 日蓮正宗宗務院は寺籍問題に関する5項目の照会について佐藤覚仁師に回答し壇信徒の結束を指示する。
9月11日 - 日蓮正宗宗務院は佐藤覚仁師に大石寺要法寺関係史料及び注意書を送る。
12月24日 - 要法寺僧侶が佐藤覚仁師の寺院退去物件引渡を仙台地裁に提訴する。 |
* 大正14年(1925年)1月27日 - 仙台地裁、寺籍問題を調査
5月20日 - 佐藤覚仁師が住職となる。
12月7日 - 宗会、訴訟費の宗費支弁を決議する。 |
* 大正15年(1926年)5月27日 - 第59世日亨上人、寺籍問題で書をもって壇信徒を激励する。 |
* 昭和3年(1928年)6月13日 - 寺籍問題第1審要法寺が勝訴する。 控訴 |
* 昭和4年(1929年)10月29日 - 寺籍問題第2審要法寺が勝訴する。上告 |
* 昭和5年(1930年)3月27日 - 寺籍問題大審院上告を棄却
4月25日 - 住職の佐藤覚仁師、佛眼寺山門脇に佛眼寺壇信徒集会所を建設。
6月1日 - 佛眼寺壇信徒が総会を開き、大石寺の末寺信徒たることを決議し要法寺に通告 |
* 昭和7年(1932年)1月25日 - 佛眼寺壇信徒、要法寺側の明渡要求を拒絶
2月3日 - 第60世法主日開上人、佛眼寺壇信徒に感謝状、金1封を送る。
2月7日 - 後の第61世日隆上人出席のもと第2回総会で大石寺の末寺信徒たることを再議決する。
3月31日 - 要法寺側より再三の明渡を要求される。
4月18日 - 佛眼寺総代が入寺妨害として要法寺から告訴される。
6月29日 - 要法寺側は佛眼寺に強硬に入寺するが壇信徒の反対で7月4日退去する。
7月7日 - 第60世法主日開上人、寺籍問題で書をもって壇信徒を激励する。
7月25日 - 検事局、寺籍問題につき要法寺側の庫裡への入寺と壇信徒側の本堂使用の妥協案を提示。
8月4日 - 要法寺側、佛眼寺庫裡に入寺 |
* 昭和10年(1935年)1月25日 - 佛眼寺壇信徒、検事局の警告に従い要法寺側の入寺を認める。
1月31日 - 要法寺側、佛眼寺本堂に入寺 |
* 昭和15年(1940年)2月27日 - 佛眼寺壇信徒、同寺の大石寺への復帰をはかり宮城県知事に寺籍問題和解調停を請願する。 |
* 昭和18年(1943年)2月 - 大石寺に復帰する。 |