北海道利尻島・日蓮正宗道宣寺の終末


北海道利尻島にある日蓮正宗寺院法興山道宣寺は、昭和46年(1971年)9月6日に日蓮正宗第66世法主日達上人を開基として建立されましたが、平成12年(2000年)9月8日に29年の歴史を閉じて廃寺となり、現在は敷地と建物は旭川市の大法寺が管理しています。
所在地は北海道利尻郡利尻富士町鴛泊字栄町114にありました。
今回の知恵ノートはこのような寺院が実在したのだという記録を残すために書かせていただきました。


建立(蓮華昭和46年10月号記事)


利尻島・道宣寺建立(蓮華第6号・昭和46年10月号)

昭和46年(1971年)9月6日、北海道の夏には数えるほどしかない好天気に恵まれ、朝晩にストーブを焚いているとは思えないほど、爽やかな朝を迎えた。地元信徒は、初めて総本山より御法主上人猊下をお迎えするという、有史以来未曾有の慶事に、緊張の中にも喜々とした表情で、御到着を待っていた。
午前11時10分、セスナ機は予定通り着陸、御法主上人は利尻の歴史に残る第一歩をしるされた。そして出迎える信徒の中を、すぐ迎えの車にて道宣寺へ向かわれた。
早速僧侶・寺族・学会幹部の順にお目通りを許され、御少憩の間もなく、入仏式は11時50分に開始された。
本堂に一ぱいの信徒の、歓喜を表すかの力強い唱題の中を猊下御出仕遊ばされ、御大導師の下に御開扉(光久御仲居)- 献膳(早瀬総監)- 読経 - 唱題と如法に進行し、御供養目録奉呈 - 請書授与が行われた後、猊下より親しくお言葉を賜った。
次いで北海道特産の「とど松」をお手植下され、盛大裡に法要の全てを滞りなく終了した。
また、御昼食の後には門標等を御揮毫いただき、特に道宣寺落慶式によせて、

天高く 海の青さや 利尻島

と御句を読まれ、「正心」の御銘を西野(玄正)新住職に賜った。
この道宣寺は土地2770余㎡、建物177㎡で、北海道ならではの広大な敷地(総本山の塔ノ原グランドに匹敵する)を有する立派な寺院である。
地元信徒はこの法城の落慶に感激し、
「これから冬が来るが、これでさいはての利尻に本当の春が来た」と語り、また、
「この人口1万余の利尻を、1番早く広宣流布せん」
との力強い信徒の言辞を耳にし、我等の胸にも何か、勇躍するものが感じられた。


第3代住職木村一道が正信会に属して日蓮正宗を破門された後、道宣寺を不法占拠


その後、西野師のあとは、第2代住職は佐々木正演師が就任し、その後に第3代住職に木村一道が就任しました。
しかし、創価学会の昭和52年路線・教義逸脱問題の中、木村一道が自称正信会の者たちと共に本宗の金口嫡々唯授一人の血脈相承を否定し、御法主上人猊下である日顕上人を誹謗したのです。
これによって、木村は昭和57年(1982年)8月21日付で擯斥(破門)処分に付され、日蓮正宗とは何の関係もない人間になったにも関わらず、道宣寺を不法に占拠してしまいました。
日蓮正宗は、木村に対し道宣寺の明渡を求め提訴し、木村も道宣寺の代表役員としての地位の確認を求めて提訴しましたが、宗教上の争いは裁判には馴染まないという理由で、最高裁判所は双方却下の判決を下しました。
裁判所の判決で木村一道一代に限って道宣寺を占有してもよいという判決が下りました。
その後、木村一道は利尻島を離れ、赤平市に「仏心寺」なる正信会の寺院を建立し、ここを己の宗教活動の拠点にしてしまいました。その時点で道宣寺は実質「廃寺」になっていたのかもしれません。


木村一道氏、酒酔い運転で交通事故を起こし死去


北海道新聞・平成12年(2000年)7月21日朝刊

電柱に衝突し僧侶が死亡

【天塩】 20日午後9時40分頃、留萌管内天塩町テシオの町道丁字路交差点で赤平市若木町5、僧侶木村一道さん(51)の乗用車が電柱に激突、木村さんは胸などを強く打って間もなく死亡した。
天塩署によると木村さんは丁字路交差点を曲がらずに直進して電柱にぶつかった。
事故の数分前、現場から約1キロ離れたコンビニエンスストアに木村さんが運転していたと見られる乗用車が突っ込んでそのまま逃走しており、同署はこの事故との関連を調べている。


天塩町にある日蓮正宗寺院天塩山能忍寺(現在、自称正信会僧侶辻満道が不法占拠中)を出た木村氏は、能忍寺近くにあったセイコーマート(現在は閉店)に車をぶつけたにも関わらず、逃げ、その後町はずれにあるT字路交差点を突っ切って、電柱に激突、木村氏は亡くなってしまいました。
警察の調べで木村氏はかなり泥酔していたとのことです。
現在は酒酔い運転の罰則は厳しくなりましたが、当時でも木村氏は当て逃げ行為は行っており、生きていれば木村氏の交通刑務所行きは避けられなかったかもしれません。


廃寺を知らせる宗務広報


宗務広報 842号 平成12年9月8日

道宣寺(北海道利尻富士町)、宗門へ返還

平成12年9月8日、これまでいわゆる正信会の者に不法占拠されていた北海道利尻富士町の法興山道宣寺が18年ぶりに宗門に返還されました。
これは、同寺元住職木村一道が本年7月20日に死亡したことによるもので、これを機にこのたび宗門に返還されたものであります。
なお、同寺は、今後杉広哲師が業務住職として職務を執行し、占有管理をしてまいります。
以上


杉広哲師は北海道旭川市の大法寺の住職であり、残された信徒はなく、そのまま廃寺となってしまいました。
利尻島内の日蓮正宗信徒も札幌市日正寺所属の信徒が1世帯あるだけで、利尻島の広宣流布は夢のまた夢となってしまいました。