日蓮正宗大石寺御用達の弁当屋について
静岡市・東海軒
http://www.tokaiken.jp/
静岡駅の駅弁業者として明治22年(1889年)以来120年以上の歴史を持っています。
日蓮正宗総本山大石寺に寺院ごとに団体でお登山すると、宿坊で食事をいただきますが、東海軒のご飯は夕食・朝食・昼食もとても温かく、特にご飯は山なりになっていて小分けできるようになっていて食べやすいと評判もいいようです。
最寄りの静岡市清水区の妙盛寺(明治14年=1881年建立)では長年法事や宴席等で実質的に指定業者となるほど信頼されており、東海軒がお勧めという信徒さんがおられました。
富士市・富陽軒
http://www.fuyouken.com/
富士駅や新幹線新富士駅の駅弁業者として大正10年(1921年)開業。90年の歴史を持っています。
東海軒ほどのきめ細かさはありませんが、ご飯は近郊で作っているためか温かく食べやすいと評判は上々です。
このたび御影堂落慶法要登山の記念弁当を担当しています。
富士宮市・明日香
平成24年11月3-4日のお登山の際には富士宮市内の仕出し屋である明日香さんの弁当が出ましたが、朝の勤行の終わり頃に弁当が到着しご飯があたたかくおいしかったという講員さんからの声がありました。
沼津市・桃中軒
沼津駅や三島駅の駅弁業者として明治24年(1891年)開業で120年以上の歴史を持っています。
http://www.tochuken.co.jp/
富士宮市・大富士
富士宮市内で給食弁当事業を展開している会社です。
http://www.ofuji.co.jp/
ちなみに社長は観行坊信徒とのことです。
ハズレの弁当屋があった。
講員さんの声です。
もっと研鑽していただきたい
日蓮正宗の信徒は基本的に総本山の決めたことは絶対で、逆らう余地はない。遠方からの登山者の楽しみの1つになっているのだから、期待を裏切らないようにしっかりと研鑽していただきたいと、
次回は写真撮影するので載せてほしい、日蓮正宗信徒の立場では主張するにも限界があるので宜しく、とその弁当屋に抗議した信徒さんは仰っておられました。
私の意見は総本山が決めたのだからまずい弁当でも文句言わずに食べろ、という多くの日蓮正宗の人の考え方はちょっと違うのではないかな、と思います。
そういう声が出ないように担当者の坊さんもきちんとチェックしなければいけないよな、と感じました。
法太郎氏より
今から40年ほど前の大石寺の弁当は、おかずについては云うことは無いが、
ごはんが蒸し米で、年寄りの講員さんは〝お山のごはん〟と云って有り難がって食べていたが、私は食べられなかったな。(笑)、
どんなものにも云えるが〝対価に対する要求〟というものがあり、したがってサービスの高低が行程の成否にかかわってくるものだ。
登山は修行であって物見遊山ではないことは事実であるが、弁当代を徴収されているいじょうはその対価に見合ったものが提供されてしかるべきである。
仏教では信者の供養に対して出家は法施をほどこして完結するが、大石寺に出入りする弁当業者は商売として出入りをしているわけである。
大石寺の権威を利用して粗忽なものを信者に提供して利益を得ているのであれば正法利用の似非業者といわざるを得ないもので、少なくとも地涌菩薩に対する礼儀を持っているとは云えまい。
・・・もっとも、私は〝痴涌のボケツ〟の立場ではあるが・・・・・・(エヘヘ)、
肉料理や野菜料理は前日に作ったものを冷蔵して常温に戻してもなんとか料理の種類によっては食べられるが、ごはんのような炭水化物は冷化した表面のたんぱく質を加熱して壊さないと常温に戻してもパラパラして食べられない。
最近では生協などでも280円弁当なるものが出現している昨今である。信仰によりかかったいい加減な業者など駆逐すべきであろう。
日本人の〝技術〟というのは料理の世界にもいえることであり、顧客の意見を聞くことは観世音の妙用であり、
これを怠れば因果応報の報いが待っていることは仏教の根幹思想である。
・・・と思う。
たかぼんより
あくまでお金を出しているのは1人1人のお登山者である以上、本州と違い泊まりの団体旅行の登山で地理不案内の土地で、提供される3食の食事について問題を口にする者も多々いるのも現実である。
またお登山をする人間も近年は減少傾向にあり、お登山の啓蒙も大切ではあるが、問題点があれば大石寺に要望を述べる必要性もあり、所属寺院でもそれを認めている。今回は弁当の点で問題を提起したまでであって他寺院の1信徒が口を出す筋合いは全くない。
その結果前回の支部登山である11月3日4日には所属寺院と大石寺の配慮もあって、近隣の仕出し屋さんの弁当が手配されて温かくて大変おいしかったという講中からの評判であった。
やればできるではないか、というのが当方の感想である。
海外ほどではないが35000-40000円の旅費を負担しなければならない北海道では年1度のお登山できる人は立派な信徒であり、中には年1度のお祭りと考えている人もいる。そういう人にとっては弁当も楽しみの1つだと分からなければならない。
信心は人それぞれであり、それに合わせて対応してあげなければならない場合が宿泊を伴う団体登山では多々あるのだ。
わがままがあったらそれを押さえ、聞ける要望はできるだけ聞いたうえで高速道路での渋滞にはまらないように飛行機の時間にいかに間に合わせるのか、それが北海道の寺院の登山を担当する者の重要な任務である。
私は寺→新千歳空港→羽田空港→大石寺(布教講演・丑寅勤行・御開扉)→羽田空港→新千歳空港→寺と自分の時間もほとんどなく同志の成仏のお手伝いをしている身である。
総一坊や総二坊から清貫洞を通り、客殿、奉安堂までその信徒は同志のために何往復も車いすなど押したことはあるまい。
皆協力的にやってくれるおかげでお年寄りも障害を持つ者もお登山に参加できるのである。
お登山者の世話など全くしたことなどない者がパソコンの前で何をぬかそうとお登山の「現場」を知らない者の机上の空論に過ぎない。
また、講中によってはバスに10時間以上揺られ、宿泊もバスの中というところもあろう。居住性や乗り心地等の不満もあろうし、登山代金の高低の不満さまざまあって噴出している場合もあろう。
基本的にはこの講中で解決して行くのが筋であるが、事情の異なる問題に大石寺に近い恵まれた講中の者があれこれ文句を垂れたとすると、「何だこいつ」ということにもなる。
自分たちの恵まれた状況に感謝し、更に信心に研鑽しなければならないだろうと私は思う。
fujigozan_takimyoniko氏より
http://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/fujigozan_takimyoniko
① 私は以前、たかぼん氏が登山で出る弁当の酷さについて、住職や宗務当局へ改善を要望した話を彼のHPで拝見した事がありますが、現在の宗門ではそんな信徒の囁かな要望さえ、言い出し難い環境である事は確かです
宗門に不都合な事柄などは尚更聞けようはずもなく、例え質問出来たとしても『信徒が知る必要はない』の一言で終いでしょう
宗門組織至上主義の方々は、宗門の不都合を信徒が知ると不信に繋がるとご懸念されていますが、不都合だからこそ、誤解や不信を招かぬために、予め懇切丁寧な解説が必要ではないでしょうか
② もう二年以上前になりましょうか、たかぼん氏が弁当の事で宗務院に申し立てしたそうですが、このカテゴリでモデムーン女史ら日蓮正宗信徒から総攻撃を受けていましたね
確かに私たちは信仰のため、仏道修行のために登山させて頂いている分際です
決して贅沢を言える身分ではありません
しかしだからと言って、何でもかんでも我慢できる訳ではありません
抑もとして食事は人々にとっては楽しみの一つです
遠い道のりを厳しいスケジュールで登山していれば猶のこと、食事くらいは楽しみにしたいものです
それが寒い中で冷えた弁当を食べさせられたらどうでしょうか
信仰していようと信仰していまいと、不味い弁当は不味いのです
昭和五十年頃の登山で出る弁当ときたら、ビニールパックに詰められた弁当で非常に開けづらく、飯も蒸し飯で冷えたら頗る不味かった事を覚えています
それに比べたら随分ましになったと思いますが、まだまだ改善の余地はありそうです
宗務当局の方々は自らその弁当を食する事はないのでしょうが、御自身が食する気持ちになって弁当業者を選定して欲しいものです
しぶけん氏(本行寺支部)より
http://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/ken5_shibuya
複数の業者を競争させるようになってから大分改善されましたね。駅弁とかで見かける業者になりましたからね。総本山の宿坊は旅館やホテルではないのですから、一食530円では限界もあるのではないでしょうか。そもそも宿泊無料で寝具使用料すら支払っていないのですから。