日蓮正宗の信心あれこれ


知恵ノート①:日蓮正宗では寺院の所属替えは簡単にはできない


ある邪宗霊波之光信者とそれに同調する応顕寺所属冨士宗学研究関係者による疑難


たかぼんさんは札幌市内の複数の寺院に所属替えを申し出て拒絶されてしまったのはどうしてですか?

参考資料:札幌市内の日蓮正宗寺院(5か寺)

日正寺

仏見寺

大慈院

聞仏寺

直唱寺


破折


移籍が認められる事由については、以下の四つがあり、移籍する人は、必ず、このうちのいずれかに概当します。(『誠心』五十項目参照)  

①御法主上人の御命である場合。
②婚姻・養子縁組等の場合。
③小師が本師に違背したとき。
④退転に至らせぬため。   

そもそも、寺院御住職や講中の幹部とそりが合わない、他の寺院に気の合う人がいて誘われた、引っ越しして遠くなった――等という個人的都合で、いとも簡単に所属寺院を移ってよい、などと思ったら、たいへんな間違いです。  
弟子の側から師匠を変える、などということはきょう慢であり、小筋を正していませんから即身成仏の道に外れる謗法となり、初発心の師を捨てるが故に五逆罪を犯すことになります。 ですから、本宗の信仰においては、前記の①から③の場合以外、簡単に所属寺院を移ってはならないのです。

しかしながら、どうしても本人の信仰が薄弱なため、そのままそこに置いたら退転してしまう―というような人については、やむなく、指導教師が慈悲をもって他の寺院への移籍を許される、という場合があります。  

それが④の措置(そち)であり、①~③に概当しない移籍は、すべて④に入ります。

この④の場合、移籍を許されたとしても、やはり、小筋を貫かなかったわけですから成仏の道から後退し、初発心の師を捨てるが故に五逆罪が形成されることになります。

しかし、もし移籍させずに、そのまま退転させてしまえば、その人は大謗法者となって、勝(まさ)れる大重罪となる――それを避けるために、やむなく慈悲の上から移籍を認めるのであります。

したがって、簡単に所属を変わる、などということは、ゆめゆめ考えてはならない、これは法華講の師弟子の道の基本である、と弁えておかなければなりません。  
また、指導教師の許可さえいただくことなく、勝手に他の寺院に移籍してしまう等に至っては、宗制宗規違反であり、論外の所行であります。  
そのようなことをして、何かの手違いで先方の寺院で受け入れられたとしても、信心の本質においては、その時点で退転であり、退転者が新たな寺院で入信して信心を最初からやり直すことにあたる、といえましょう。けっして胸を張れるようなことではありません。

ですのでたかぼんさんはどこの寺院にも移籍を申し立てたりはしていません。

するつもりもないそうです。

「寺院を移すなんてのは宗制宗規もあるが、

法律的にも遺骨を移すにしても埋葬許可とか面倒くさい手続きが沢山あるのだぞ、

バカも休み休み言ってもらいたい、寝言は寝ている時にいうものだ。」

とのことです。


まとめ


日蓮正宗においては菩提寺は転勤したからといって本人の希望でほいそれと変えることなどできません。
御法主上人猊下の命、もしくは所属寺院御住職の命によって行われることです。

日蓮正宗においては信心の筋目を大切にしなければなりません。
すなわち


唯授一人の御法主上人→御法主上人より任命された住職→住職の指導を伝える講頭

御住職様同士の話し合いで冬季で参詣が難しい場合などは近くの日蓮正宗寺院の御講に参詣はできることになってはおりますが、菩提寺に鉄道も高速道路も不通で行けないことがない限り私は菩提寺での行事に参加するようにしております。


知恵ノート②:クリスマスはなぜいけないの -大日蓮出版妙教平成23年12月号より


クリスマスは謗法ですか?
皆さん、だんだん寒くなってきましたが、お元気ですか。
前回は「謗法について」お話をしました。その後、お友達から「クリスマスは謗法ですか?」という質問がありましたので、答えたいと思います。

日本のクリスマス

12月に入ると、学校の登下校や町の中には、クリスマスソングやツリー、サンタクロースの恰好をした人やキャラクターなど、「クリスマス」に関する物でたくさんあふれていますね。
それらはとてもキラキラしていて、見る人に興味と楽しい気分を与えてくれるかも知れません。でも、クリスマスが本来はどのような行事であるかを、皆さん知っていますか。
日本ではキリスト教徒でない家庭にとっても「特別な1日」として広まっていき、子供たちにとっては「ずっと欲しかった物をサンタさんからもらえる日」であり「クリスマスケーキを食べられる日」と思われ、年末商戦の時期であることから様々なイベントが設けられていますね。
このように宗教とは、無関係な年末の大きなイベントとしてとらえがちですが、実は、「イエス・キリスト」と呼ばれるキリスト教の教祖が降誕したとされる12月25日を祝う、キリスト教の宗教儀式が元となっているのです。欧米では、特にこの日は教会の儀式に参加し、神への感謝を新たにする日であるとされています。
ですから、皆さんが、たとえ他宗の記念日を祝う気持ちがないとしても、クリスマスのイベントに参加することで、キリスト教の記念日のお祝いに知らず知らずのうちに荷担していることと同じことになり、やがては自分の生命が謗法の教えに染められてしまうことになるのです。

謗法与同罪について
謗法与同罪とは、「日蓮大聖人様の正しい教えを信じていても、間違った教を指摘しないで見て見ぬふりをしたり、他の宗教の行事に参加をするならば、大聖人様の教えに背くことと同じです」という意味です。
大聖人様は四条金吾というご信徒に送られたお手紙の仲で、
「日本中の人々は、みな謗法の人になってしまいました。同じように、四条金吾さんの主君も謗法の人になってしまったのです。心では南無妙法蓮華経と信じていても、あなたも一緒に間違った教を行うならば、謗法与同罪からはのがれられません。(趣意)」(日蓮大聖人御書774頁)
と仰せられています。ですから、「私は日蓮正宗を信仰しています」と言っても、クリスマスの習慣に流されてしまうことは、間違った教えを見て見ぬふりをすることになります。
 なぜ謗法はいけないのでしょうか。前回もお話ししましたが、御法主日如上人猊下は、「世の中の不幸と苦悩と混乱の原因は、すべて謗法にあります」と御指南あそばされています。
 では、どうすれば謗法与同罪にならないのでしょうか。お手紙の続きの中で、
「四条金吾さんは主君に対して私の正しい教えを話しました。今は信じてくれなくても、正しい仏法の教えをお話しましたから、あなたは謗法与同罪にはなりません。諸天善神もあなたを守ってくれるでしょう(趣意)」(同頁)
と大聖人様は仰せられています。

大聖人様の仏法が幸せの根源
 皆さんの周りの「クリスマス」を楽しんでいるお友達にも、本来は宗教的な行事であり、知らないうちに謗法に毒されていくことを教えてあげることが大切です。
 世間の人々は、楽しく生活したいという思いから、多くの人々に働きかけてイベントなどを企画したり行ったりしますが、その元には宗教が関係する行事も少なくありませんから、気をつけなければいけません。そうした誤った宗教に関わる行事に参加していては、本宗の本当の幸せを得ることはできません。この機会に、宗教の正邪など信心についてお話しましょう。
 大聖人様は、
「素直に間違った教えを捨てて、ただ法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人は、過去から現在までの苦しみの因縁から解き放たれ幸せになります(趣意)」(日蓮大聖人御書694頁)
と仰せられています。
 ただ大聖人様、御本尊様を信じ、一生懸命に御題目を唱え、弘めることによって、世界中のすべての人々が幸せになれるのです。
 間もなくお正月を迎えます。
 お正月といえば、テレビで謗法の神社やお寺にたくさんの人が行列を作って参拝している姿が放送されますが、これも謗法の姿です。
 皆さんは、必ず日蓮正宗のお寺の元旦勤行に家族で参加して、一年の決意を御本尊様にご報告いたしましょう。
 今年も残りわずかです。毎日朝夕の勤行と唱題を真剣に行い、間違った教えに迷わされない強い心になって、折伏に励んでいきましょう。


青森市・専妙寺のホームページより
http://okigaruni01.okoshi-yasu.com/senmyouji-sin/sinjinnosiori/22/221216/1.htm

札幌市手稲区・聞仏寺のホームページより
http://monnbutuji.la.coocan.jp/daibyakuhou/habatake/siori/siori-803.html

ある日蓮正宗信徒の対応


病院では時期に応じて各種イベントあり、イベント自体はそれなりに意義もあるのですが、問題はクリスマスにて聖歌隊の賛美歌合唱とかカード配布があるのです。
世間一般ではそんなものどうってことない貰ったり参加して構わないとの意見は多数でしょう。
然しこと正宗正嫡信徒である以上どの様な小さな事でも起原が邪宗にある以上毅然と辞退すべきです。
個人的に今回もクリスマスの「メリー・・云々」のカード配布あったのですが丁重に辞退させて頂きました。
クリスマスに限らずこの時期初詣とか機会は多種あるでしょう。
然しどんな場合でも正嫡正宗信徒としての堅い姿勢は絶対大事なのです。
実際その小さな容認が大きな謗法へと発展してゆくのです。
基本はあくまでも「正宗」と「邪宗」の二つしかないと言うことです。
どちらも良いところ、悪いところあるとの中途半端なことは絶対ないのです。 


知恵ノート②-2:謗法与同を恐れよ、クリスマス-大白法 第969号 平成29年11月16日


キリスト教の宗教行事
昨今の日本人の宗教行事に対する軽率ぶりは、大いに憂慮すべきものがある。

その典型がクリスマスに表れている。
毎年十二月になると、街はクリスマス一色になる。
各地でツリーが並び、きらびやかなイルミネーションが飾られ、様々なイベントが開催される。
また、サンタクロースからのプレゼントを願ったり、ケーキを囲んで「メリークリスマス!」などと声を上げたりすることが、すっかり定着してしまった感がある。
そもそもクリスマスとは「キリストのミサ」という意で、イエス・キリストが誕生されたとする12月25日(ただし正確な誕生日は不明)に、キリスト教徒が教会の儀式に参加し、キリストに感謝の祈りを捧げるという宗教行事。ちなみに、近年の欧米社会では「メリークリスマス(楽しいクリスマスを)」との言葉は気楽に使用してはいけないらしい。
その理由は、クリスマスが宗教行事である以上、キリスト教徒でない人々に対して、キリストの祝い事を押し付けるのはよくないという考え方が広まったからだという。それに比べて今の日本人はどうだろう。
クリスマスを”楽しいイベント”ぐらいしか認識していない。
物事の意味や本質を深く考えず、ただ、「楽しいから」という理由で、お祭り騒ぎをして浮かれているだけである。

金儲けの道具
日本でクリスマスが庶民に広まり始めたのは明治に入ってからという。
では、どうしてこれほど浸透してしまったのか。
その発端は「商売」のようだ。
我が国においてクリスマスは、本来の宗教儀式の面よりも、楽しいイベントとして広められた。
そこには金儲けを狙う、企業の巧みな宣伝があった。
人々はその思惑に乗せられて、様々な関連商品を購買する。さらに、過熱する年末商戦と相まってエスカレートし、今日の如き有り様となった。
つまり日本のクリスマスは、企業の商業戦略に踊らされ蔓延してしまった、悪しき産物と評することができよう。
どんなに広く行われていても、紛れもなく宗教行事である。仏教の厳正なる眼から見れば、けっして見過ごすことのできない、謗法の所業なのだ。
たとえ人々に宗教的な行事だとの意識がないにせよ、クリスマスを容認する何らかの行動があるとすれば、それは知らず知らずのうちに、謗法に荷担していることになる。

与同罪恐るべし
本宗信徒がクリスマスの諸行事に積極的に参加する道理はありえないが、問題はここからだ。
日蓮大聖人は日蓮大聖人御書744頁「主君耳入此法門免与同罪事」に、

「心は日蓮に同意なれども身は別なれば、与同罪のがれがたきの御事に候」

と仰せである。
クリスマスの悪弊に流される周囲の人々に対し、見て見ぬふりをしていないだろうか。
相手が謗法によって苦果を受けると知りながら、それを放置することは与同罪に当たる。
大聖人は、また、日蓮大聖人御書1040頁「曾谷殿御返事」に、

「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし」

と、折伏を行ずることで初めて与同罪を免れ、功徳を積んでいくことができると御示しである。
すなわち、正法を受持する我々は、クリスマスの本来の意味を知らず、知らぬ間に謗法の害毒を受けている人々に、
救いの手を差し伸べるべきなのだ。
今回取り上げたクリスマスの行事に限らず、日本の人々はあまりにも宗教に無知だと痛感することが多々ある。
たとえ無知であっても、法を犯せば罰せられるように、知らなかったでは済まされないのが謗法の怖さ。
また、たとえ正しい信仰をしていたとしても、間違った宗教の行事に関われば、功徳はおろか、かえって悪業を積むことになる。今こそ、宗教の正邪についうて語り、是非に迷う人々を折伏していく好機である。


知恵ノート③:日蓮正宗信徒の修学旅行 - 他宗の神社・仏閣には参詣してはならない


大日蓮出版妙教平成24年6月号 - 中学生仏教教室・修学旅行


コース中に神社仏閣の見学が含まれている場合は勿論ですが、スキーなどのスポーツ合宿型の旅行でも、「安全祈願」等と銘打って、宿の近隣にある神社や寺院(他宗)に参詣する予定が組まれている場合があります。
結論から言います。修学旅行の行程とはいえ、こういうところにお詣りしてはいけません。
日蓮大聖人は他宗寺院や神社がどのような所なのかということについて、「新池御書」に「此の国は謗法の土なれば、守護の善神法味にう(飢)へて社をすて天に上り給えば、悪鬼入りか(替)はりて多くの人を導く。仏陀は化をやめて寂光土に帰り給へば、堂塔寺社は徒(いたずら)に魔縁の栖(すみか)と成りぬ」(日蓮大聖人御書1458頁)と示されています。
つまり、日本国民のほとんどの人が「謗法」、つまり正しい仏法を信じようとしない人達なので、正法の法味(功徳)を唯一の食として威光勢力を増すとされる諸天善神は神社の建物(社)を捨てて天に昇ってしまい、入れ替わりに悪鬼が神社・仏閣に住み付いているいるということです。
更に「日興遺誡置文」には、
「檀那の社参詣でを禁ずべし。何に況んや其の器にして謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣づべけんや」(日蓮大聖人御書1884頁)と示されています。
つまり、「ご信徒に神社や他宗の寺院にお詣りさせてはいけません。日蓮大聖人の教えを信じる身でありながら、謗法の悪鬼が入りこんでいる寺社仏閣に詣てはいけないということです。
日蓮大聖人、日興上人が示されているように、これらの宗教施設には全て・・・いいですか、全てですよ、悪鬼が入り込んでいて、そこにお詣りすると効き目があるように思い込ませるための、魔の通力というものが効いています。そして、その悪鬼の魔力は、やがて人々を不幸のどん底に陥れるのです。


 「化儀抄」より日蓮正宗信徒は修学旅行時はどのようにふるまうべきか。


では修学旅行の場合、どうしたらよいのでしょうか。
第9世日有上人は「化儀抄」の中で、「物見遊山なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず、誠に信を取らば謗法の人に与同する失あり」(聖典987頁)と示されています。
つまり、「他宗の神社仏閣を見学しにいくことはかまわないが、そこの神や仏と称するものを信じる(手を合わせる)ことは、謗法の人々と同様の罪をこうむる」と教えて下さっています。
つまり、皆さんは神社などに見学目的で行くのはかまわないけれども、周囲の人達に同調して、手を合わせてはいけないということです。まして「合格」とか「恋愛成就」には、全く効き目はない、というよりも、叶ったとしても、それが不幸を招く原因になって行くのですから、決して信じて拝んだりしてはいけないのです。
修学旅行などでもなければ、神社仏閣巡りをする機会はあまりありません。ある意味希な機会でもあります。
他宗の神社仏閣が、日蓮正宗の寺院と比較してどんなところが違うのか、折伏のためにじっくり見てきて下さい。
特に総本山大石寺は全世界のご信徒が大御本尊様を求めて自らの信仰ゆえに、大勢登山してきます。観光が目的ではありません。
ともかく、分からないことがあれば、正宗のお寺の御住職や法華講の先輩に聞いて、間違いがないようにして下さい。
良い旅行になるといいですね。


知恵ノート④:日蓮正宗信徒は神社のお祭りの屋台に行ってはいけない?


夏休み中の謗法に注意しよう- 大日蓮出版妙教平成24年8月号より


謗法とは「誹謗正法」を短くした仏教の言葉です。謗とは「そしる」という意味ですが、正しい教えを軽んじる言葉や行動のことをさします。
その謗法について日蓮大聖人様は、
「謗法とは正しい仏法に背くこと(取意)」(日蓮大聖人御書286頁顕謗法抄)と仰せのように、大聖人様の正法に背くことを言います。


夏祭りへの参加


夏休み中は地域の神社などで色々な「祭り」が行われます。
屋台や花火、盆踊りなど、色々な行事があるので、つい、「行きたいなぁ」と思う人もいるでしょう。しかし神社や寺の祭りは、そこの神や仏に感謝するという意味をこめて行われているものなのです。
ですから、「神社の神を信じているわけではない」と思っていても、祭りに参加するということはそれらを拝むことと同じであり謗法になってしまうのです。
「遊びなのだから信心とは関係ない」と簡単に考えてはなりません。
日蓮正宗の信心で一番気をつけなければならないことは、日蓮大聖人様が「してはいけない」と説かれた「謗法」を犯さないことです。
ですから日蓮正宗の信心をしている信徒は、謗法の神社や寺が関係する祭りに参加してはならないのです。

 


北海道内のある日蓮正宗寺院の御会式の屋台


その寺院の御住職様が、地元の神社のお祭りに参加できない信徒の子供に楽しみをつくりたいと毎年行っている。



さまざまな誘惑に注意(北海道内の某地方新聞に投稿されたものを加筆)


昔は(左翼)過激派に注意ということが言われましたが今はマルチ商売とカルト教団そして覚せい剤など麻薬です。
特定の団体についてどうこうと言うつもりはありませんが、寂しさや仲間を求めたいという気持ちにつけいって、これらのマルチ商売やカルト教団の関係者の人々は近づいてきます。
 
はっきり言いますがマルチ商売については「安易にお金がもうけられるのであるならばもう既にあなたのお父さんやお母さんが実践している」ということを言っておきます。
それからカルト教団については「結局リーダー(教祖ですが信仰の自由の問題もあり表現を変えております)のためにカネや労力をむしりとられるだけでなく、人格も破壊させられる可能性があります。
学校でも職場でも地元の青少年ホーム等が主催している各種趣味の団体に入ればいくらでも友人は作れる」ということを言っておきます。
麻薬については言うまでもなく心身を破壊します。

学校関係者や会社の経営者や労働組合の方にはこれらの若者が間違った道に入って身を持ち崩さないよう、マルチやカルト、麻薬などについてきちんとオリエンテーションや研修などできちんと教える問題かと思います。
これからの希望ある人生なのですから、そんなもので身を持ち崩すことなく、実りある夏休みにならんことをお祈りいたします。

物事には原因があって、結果が存在するということや、超能力などの奇跡で、一時的に物事が解決することはあるかもしれないが、
二度三度と奇跡など続かないという道理をきちんと教える必要があります。
占いや霊など、擬似宗教に近いものが氾濫しているのもよくない傾向です。
良縁を求め神社巡りや、占い師を求める人が多いですが、縁を遠くしている可能性が高いです。


日蓮正宗信徒の質問から - 他宗主催のイベントに付き合いで行っても構わないか?


Q:映画やオーケストラや鼓笛隊などを見に行ったりすることも謗法なのでしょうか?
霊波之光教団の映画に信者が洗脳されて同じことばかり掲示板で言っているのを見てふと思いました。
友人から立正佼成会のオーケストラの演奏会に誘われまして、法華講員は行くべきではないのかお聞きしたいと思います。

A1:結論からいうと、邪宗教団が主催している、いかなるイベントにも参加すべきではないと思いますよ。…なぜなら、彼らには意図があるからです。そのイベントを通し、あなたを勧誘する、個人情報を握り後日家庭訪問にくる、物を売りつけに来る等です。
毒は毒として登場しません。気をつけてください!

A2:結論ですが「行くべきではありません」

なぜかと言うと慈善事業(バザー等)やお祭り、および文化事業の「音楽、演劇」はては邪宗の病院経営各種ありますが、主催が邪宗(外道、内道とも)である場合、無意識層であっても影響を受けてしまうからです。
例えば教会での音楽界で重厚なパイプオルガンなどの演奏を聴き、帰宅の際音楽に感激すると同時に、主催の邪宗の「意思」も受けてしまっているのです。
日蓮正宗の指導では例え祭りの日ではなくても神社の鳥居は絶対くぐりませんし、十字架のペンダントも堅く辞退しなければなりません。
まして初信のかたが邪宗の主催行事に参加でもしておそらく色々な意味で感激、感心してくるでしょう。
すると正宗の御本尊様一途の信心が「二頭の信心」に陥る(意識・無意識とも)可能性が大きいのです。
反対に「逆縁」と言ってこの御本尊様の話を聞いて反対しても「正境に縁した」とのことが因となり心田に種が植えられるのです。
それを考えると僅かでも邪宗色の行事は神経質すぎるほど忌避していかなければならないのです。
社会生活上の困難(特に地方の田舎では)も確かにあるでしょうが、世間法よりも仏法の正邪に対しての「信念」を厳格に堅持させて頂くことが先ず第一なのです。
破門直前の頃の創価学会の指導では「謗法払い」も必ずしも必要ではない・・みたいなこと言ってましたが、あれが邪宗化への証左なのです。

知恵ノート⑤:日蓮正宗信徒は神棚や邪宗の仏壇に供えられたものは食べてはいけない?


化儀抄九十四


他宗の仏事善根の座へ法華宗の出家、世事の所用にて行く時、彼の仏事の時、点心を備うには食すべきなり、既に請せず又ロサイにも行かざる故に態(わざ)とも用意して翫(もて)なす客人なれば備うるなり、又受くるも世事なり、されば同座なりとも経をも読まず布施をも引かざるなり、又法華宗の仏事作善の所へも禅宗・念仏宗の出家の請せず又ロサイの義もなくして、世事のようにて風渡来らるるには有りあえたる時、点心を備うるなり、是れ又謗法の人を供養するにはならざるなり、世間の仁義なり云云。


通釈


他宗の法事や葬儀等の座へ、本宗の僧侶が世間的な所用で出向いた際に、そこで、仏事のために用意していた茶菓子や軽食を出された場合、それを食することは謗法にはあたりません。

なぜならば、他宗の仏事を行うために本宗の僧侶が招かれたわけではないし、本宗の僧侶も、他宗の仏事に行ったのではなく、あくまでも世間的な付き合いの範囲で出向き、接待されたことであり問題にはなりません。

従って、本宗の僧侶が他宗の仏事に同座することがあったとしても、お経を読むことはないし、布施を受けることもありません。

また反対に本宗の葬儀や法事の座へ、禅宗や念仏宗などの僧が頼まなくとも世間的な儀礼上訪ねて来た場合には、仏事に用意していた軽食を出してもかまいません。

これも世間的な付き合いの範囲なので、謗法の人を供養したことになりません。これは一般的な儀礼です。


 解説


化儀抄九十四は、御僧侶に対しての御指南ではありますが、在家にも通じます。

日有上人はここで、他宗の仏事に遭遇した際、一緒になってお経を唱えたり布施を受けたりするのは謗法与同になるのでいけないが、出された軽食や茶菓子を食するのは、世間一般の儀礼として通常行われているものであり、謗法にはあたらないと仰せられております。

逆にまた、本宗の仏事の折りに、世間的な所用で他宗の僧侶が来訪した場合にも、同じく軽食や茶菓子を備えることは、これも世間一般の儀礼のためで供養のためでではないと仰せられています。


良識ある行動が大事


日蓮正宗は謗法を厳しく戒めています。

その理由は、御本仏日蓮大聖人の教え・法に背くという謗法行為が、信仰の目的である成仏の、大きな妨げになるからです。

謗法には、正法である大聖人の教えを誹謗する、重大な不信から、信仰に入っても日が浅いために犯してしまう、浅いものまで種々あります。

しかし謗法を犯さば苦果を招くことになってしまいます。

「顕謗法抄」(日蓮大聖人御書626頁)に次のようにあります。

「謗法とは法に背くという事なり。(中略)法に背かばあに謗法とならざらん。謗法とならばなんぞ苦果をまねかざらん」

また。、曽谷殿御返事(日蓮大聖人御書1040頁)には、

「何かに法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんがごとし」

とあり、こうした結末に陥らないように、謗法行為を厳しく戒めているのです。

縁あって唯一無二の三大秘法の御本尊を信仰できても、謗法と知りつつそれを犯して信心していたのでは、折角の信仰生活も水泡に帰してしまうばかりでなく、かえって害をもたらすことになると御文は指摘しています。

そこで、そうならないように、そして、成仏という最高の幸福境涯を会得できるように、日蓮正宗では、その妨げとなる謗法行為を厳しく戒めています。

こうしたことから、法華講員は謗法に気付いたら互いに注意しあって、日頃の信心活動を通して切磋琢磨して行くことが肝要です。

信仰者であると同時に私達は社会の一員です。

社会にあっては常識をわきまえ、良識ある態度で常に事に処することが求められます。

正しい信仰をしていればこそ、模範となる振舞いが要求されているといえなくもありません。

そうした意味から、本文でも社会人として世間一般の儀礼を心得て、良識ある行動が取れるよう、御教示されたものと拝せます。


下種は常に意識して


日蓮正宗の僧俗は、明らかに謗法の物と判断できる邪教の仏像や絵像、それに神札をはじめ」、それとおぼしきいかがわしい物に関係することを極端に嫌います。

というのも、信心で得た清い色心を謗法のもので汚したくないという思いが強いためです。

修学旅行や、友人との旅行で神社仏閣を見学する時なども、鳥居をくぐるのを避けたり、社殿の中に入るのをためらったりするのもその理由からです。

だからといって、この際、友人と異なる行動をするのがなんとなく気が引けるとか、一々話すのも言い訳をするようで面倒だということで、友人の誘いを断ってばかりいたのでは友情を損ねかねません。

 

このような時は、むしろ、素直にその訳を勇気を出して話してしまうのがよい方法です。

話すことで相手が日蓮正宗に興味を示すかも知れないし、関心を示さないまでも、それがきっかけとなり後日折伏につながらないとも限りません。

何時どこに仏縁が待っているかわからないので、常に意識して下種を心掛けたいものです。

 

また、他家を訪問した時に、他宗とわかるお菓子を出されたら、菓子には手をつけないでお茶だけをいただけばすむことだし、無理に進められるようなら、「●今ダイエット中ですので」とか、「●甘いものを控えていますので」と言って辞退すれば、礼を失せずに済むことだと思います。

ただ、子供連れで伺った場合には、相手の方が善意で「これは○○さんのありがたいお菓子だからおいしいよ」とか、「××さんのお供物だからご利益があるよ」などと言って子供に出されたら、戸惑うことがあるかもしれません。

しかし、このような時も、「●後でいただきましょうね」と言って、その場では食さないようにすれば問題はないでしょう。

親の言うことを日頃から聞き入れられるように、日頃からしっかり躾けることも大切だと思います。

子供は法灯相続の大切な宝です。

信心の面からも早いうちからしっかり躾けることも大切だと思います。

他家と親しい間柄なら「○私は日蓮正宗の信仰をしていますので、他宗の神仏にお供えした物は頂戴できません」とハッキり断っても良いと思います。

いずれにしても、世法の礼を欠いて、独善にならないように心掛けたいものです。


 結論


知らずに食べてしまった場合はその限りではありませんが、分かっているのであれば食べない方が良い、ということです。


 実例


 地元所属山岳会の例


地元所属山岳会において、山開きの際に神事が行われた場合に供えられたものは口にいたしません。

事前に山岳会幹部に連絡をして根回しを行い、料理を作る会員の方に敬意を払った上で丁重にお断りをしてから山開きに参加しております。そのためトラブルは起きません。

私は神事を伴わない行事の場合は、人一倍飲み食いをしますので、余程の事だろうと皆さん思っていただいているだろうと確信いたします。



 お客様が神社から頂いた酒をお土産に私の部署に「お分け下さい」と個人的に持ってきていただいた例


所属寺院に相談したところ、「受取を拒んだらカドが立つので、会社の代表としてお酒を受取、飲むことは教義上許されないので他の方にあげるように」とのお話がありました。

そこで、先輩社員や上司にお話をして、先輩社員がお酒を私の代わりに受取、上司にお渡しいたしました。

事情を知らなければ、そのまま飲んでいたのにもったいないなと思ったのですが、宗教上の問題ですので致し方ありません。

お客様にはお酒をお送りいただいたお気持ちには感謝する次第です。


ローソンの恵方巻は食べられるか


ローソンの全ての恵方巻には京都市内にある音羽山清水寺で“厄除開運”の祈祷をされた海苔を使用しています。

質問した信徒がいて、それに対する私の所属寺院の御住職(前住)の回答は「食べない方がいい」ということになりました。

http://megalodon.jp/2015-0203-2250-52/www.lawson.co.jp/company/news/098301/