東日本大震災時の福島県南相馬市の日蓮正宗寺院国見山正徳寺住職光久信涌師の記録


正徳寺の現状


* 昭和40年(1965年)9月18日 - 建立

* 平成25年(2013年)4月2日現在講中137世帯、内60世帯が平成23年(2011年)3月11日に起こった東日本大震災により発生した、東京電力福島第一原発事故の放射能の被害を避けるため避難する。


 御住職様より


正徳寺は原発から最も近い寺院で、原発から22kmの地点にあります。

正徳寺を中心にして、海側に80kmくらいの所に御信徒の家が点在していました。

震災後の原発事故があって居住している地域が3つに分断されてしまったような状況です。

原発から20km圏内に住んでいた方は直ちに避難しなければいけませんでした。20-30kmの地域は当初は屋内退避という指示があり、その他、影響がないとされた30km圏外の3つに分断された形です。

震災と原発事故の発生で、当初は本当に混乱しました。また、原発の影響を受けなくても、海に近い所の方は、地震発生直後に津波の被害を受けました。すぐに連絡の取れる所にはできるだけ連絡しましたが、連絡がつかなかったご信徒の中で、特に海に近い所に住んでいた方々について、周辺の避難所を訪ねて探しました。3か所、4か所、5か所と、次々に避難所を巡って行く過程で、会うことができた方もありました。

しかし、その間に原発事故が起きて、20km圏内に住んでいた方などは2次避難、3次避難と次々と避難所を移動されて行きましたので、全く所在が掴めない状況になり、ただただ、不安な気持ちで毎日を過ごしました。

そういう中で、記憶に1番残っているのは、津波の被害に遭われて、屋根の上に登って一命を取り留めたという方がいたんですが、津波が引いた直後にその地域を回った時、以前は建物があったのが瓦礫しかなくなっていて、写真で見た東京大空襲のあとのような状況でした。

ですから、その地域に住んでいた方が助かったどうかもわかりませんでした。しかし、避難所を何か所か訪ねていくうちに、その方とお会いすることができて、本当に涙ながらに再会することができました。

その方がすぎに仰ったことは、「お金が工面できたら車を買いたい」ということでした。なぜ車が欲しいのかと尋ねると、「すぐに車を買ってまた御講に参詣したい」と言うんです。その方は、御講の時などに、お寺に来る交通手段のない年配の方々を車に乗せてきて下さっていました。本当にどんな時でも、信心のことを第一に考えておられることに非常に感銘を受けました。

その後にも、その方の家の辺りを訪ねたのですが、半径500mくらいにわたって、家が1軒もなくなっていて、その方の家と其の後ろの2、3軒が残っているだけでした。

私は、信心の功徳、有り難さを本当に実感しました。「立正安国」ということは頭では分かっていたつもりでしたが、あのような状況を目の当たりにして、「正法治国邪法乱国」ということが、文字の上だけのことではなく、現実に起こりうることだと、正徳寺の皆が身をもって体験させていただきました。

平成25年(2013年)は「団結前進の年」という年間方針ですが、団結ということについては、実際に原発事故や津波の被害によって、避難生活を余儀なくされている方もおり、お寺から遠く離れた所に避難されていたりするので、 お寺の法務を執行して行く上でも、圏内の法務よりも圏外の法務が多くなっています。しかし、住む所は離れてしまっても、お互いの心は近くなったという実感はあります。