岩手県宮古市の日蓮正宗寺院妙応院信徒の東日本大震災の体験発表
妙応院の概況
所在地:
岩手県宮古市磯鶏沖10番20号
沿革:
昭和59年(1984年)1月19日 - 建立
宮古市内には昭和47年(1972年)12月18日に本縁山真浄寺が建立されたが、初代住職が昭和57年(1982年)8月21日に第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定し、日蓮正宗宗制宗規に違背したため破門されたが、真浄寺を不法占拠したため建立された。
参考資料:妙応院
家ごと津波に流されても護られる - 女性信徒の体験(平成23年6月1日号大白法)
私は、数年前から更年期障害で体調を崩しておりました。
私は平成23年(2011年)3月11日午後2時46分に突然大きな地震が起き、その後何やら遠くからゴォーゴォーという音が聞こえてまいりました。 私は、更年期障害で耳鳴りがしたものだと呑気に構えて、茶碗など洗い物をしておりました。実はそのゴォーゴォーという音は、高さ30m以上、速さが時速100km超の勢いて押し迫ってきた津波の音だったのです。私は、洗い物をしながら耳鳴りではないことに気がつきました。窓の外を見ようと思ったその時、急に地面がドドドォーと揺れたので、とっさに仏壇の扉を閉め、揺れが収まるのを待とうと思いました。
その途端、2階の窓を突き破って私の横をザァーとものすごい勢いで津波が通っていったのです。
もう私はだめかと思い、御本尊様を仏壇ごと抱きかかえ、御題目を必死に唱えておりました。御題目を唱えながら、今年「実践行動の年」に当たって、新年より一週間に2人ずつ、一カ月で10人下種し、3月11日の津波が来る前日も下種活動をさせていただいたことを思い出し、その活動をさせていただいたことのご報告と御礼を御本尊様に申し上げておりました。
その報告を終えた瞬間、私に津波が襲ってきました、必死に「南無妙法蓮華経」と叫んでいたことは覚えておりますが、その後どのようになったか全く判りません。
ハッと気がついたとき、自分が一命を取り留め、生きている、ということが判りました。
そして玄関に濡れていない長靴があったので、その長靴を履きました。
なぜかすぐそばに山があったので、御本尊様を抱いたまま何も考えずに山を歩いて避難していくことができました。
途中、山の中のプレハブ小屋で作業員らしい人が暖を取っていたので、一緒にそこでしばらく暖まりました。
そこにいた作業員の方は、後で御主管からお聞きしたのですが、つい先日お寺の物置を修理に来た大工さんだったそうです、
そして私は、避難所のほうに向かって歩いていきました。
その後落ち着いてからいろいろなことが判ってきました。住まいの1階部分の姑夫婦の住居は津波で全壊しました。私の住んでいた2階部分は、津波によってかなり離れた所まで流され、山の中腹から出ている大木に、2階部分が丸ごと乗っかっているではありませんか。その光景は、まるで御書の中に出てくる一眼の亀の浮木に値うかのようで、周辺の家は全壊して跡形もない状態の中、本当に御本尊様がら護って戴いたとしか言いようがありませんでした。
そして家の中は、御書や折伏資料等が床に落ちてはいたものの、ほとんど濡れておらず使える状態でした。家の中を見たとき、私は「今こそ折伏に立ち上がらなければ」と身震いを感じ、強い決意で胸がいっぱいになりました。
平成23年4月度の広布唱題会の砌での御法主日如上人猊下指南
今、大震災の復興へ向けて、各機関の方々、ボランティアの方々、国内のみならず、国外からも支援の手が差し伸べられていることは大いに評価すべきであり、賞賛に値する行為であることは間違いありません。しかしまた、さらに根本のところから、仏法の視点に立って、今、我々がなすべきことは何かといえば、私ども一人ひとりが『立正安国論』の御理想実現へ向けて、一人でも多くの人に、また一日でも早く、一人ひとりの心田に妙法の仏種を植え、折伏を行じていくことが、今、なすべき最も大切なことであります。
『立正安国論』に示された大聖人様の御正意を体して、仏国土実現をめざして一切衆生救済の慈悲行たる折伏を行じていくのが、私たち本宗僧俗の大事な使命である。
私たちは、ともすれば今回の震災という大きな魔に負けて愚癡が多く出てしまいかねません。でも、愚癡は一切の功徳善根を消します。
真剣な御題日は一切の迷い、愚癡を打ち払い、罪障消滅の道を切り開いてくださいます。
そして折伏をすることで罪障消滅できるものと私は思っております。
御主管様の御指導のもと、必ずや折伏を成就することを、ここ得道寺の御宝前で固く決意し、私の震災体験発表とさせていただきます。