御住職様の道念で北海道池田町の長圓寺甦る。



北海道池田町の日蓮正宗寺院広大山長圓寺の概要


所在地:北海道中川郡池田町西2条3丁目21-14

沿革:昭和63年(1988年)9月30日建立


第3代住職に佐藤正悌師就任


大阪・平等寺所属信徒の家庭から少年得度され、函館市の正法寺の執事様を歴任された方です。

平成18年(2006年)10月に長圓寺に赴任されましたが、当時の長圓寺は所属信徒が10世帯余りしかなく、毎月行われる御報恩御講の出席者も2-3人という状況で前任住職が解任され還俗してしまうという状況でした。

就任早々、佐藤御尊師は地図を片手に全信徒宅を訪問、お登山や御報恩御講への出席を指導して回りました。

平成19年の年明け早々からは御住職様は毎日3時間の唱題をし、
寺院を訪問してきた営業マンを折伏。御住職自ら、この年の皮切りとなる1世帯の折伏を成就させたのである。
それに伴って長圓寺法華講はそれまでの眠りから覚めたように俄かに活気づき、寺院への参詣者が月を追うごとに増えていきました。

そして折伏においても平成19年度は10月をもって年間目標を達成したです。

支部結成以来1度も達成したことがなかったのですが、平成19年度以降は平成25年まで達成できなかった年はなく御住職様の道念のたまものだと思います。

同期である北海道留萌市の開道寺の御住職様(当時・現在群馬県太田市高林寺住職)とは仲が良く、折伏誓願目標の達成を良い意味で競い合っています。

現在講員数は折伏誓願目標の150%超えの年が続き50名を超え(平成23年5月)、実働率は全講員の8割、秋に行う支部登山も同じくらいの方が参加を申し込んでいる状況といいます。

私が転任していなくなっても寺院が更に興隆するよう全力を尽くす、と佐藤御住職は語っておられます。

 


長圓寺の折伏攻勢で釧路市の正信会寺院正興院壊滅状態


釧路市にある日蓮正宗寺院興徳寺は昭和57年(1982年)8月21日に第2代住職山本量道が第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定したため破門されましたが、同寺を明け渡さず不法占拠していました。しかし、山本は昭和58年(1983年)12月25日に死去し、昭和59年(1984年)3月14日に返還されました。

正信会は昭和59年(1984年)2月26日に北海道釧路市新富町10-2に民家を借り、興徳寺の執事だった蟹江勉道氏を住職として発足させました。蟹江氏も第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定したため昭和57年(1982年)9月27日に日蓮正宗から破門されています。

平成19年6月には正興院で幹部をしていたSさんが晴れて長圓寺に帰伏した。
Sさんによれば、正興院住職は、無道心の上に素行が悪く、当初200人いた信者は櫛の歯が抜けるように離れて行き、今では数えるほどしか残っていないという。
Sさんは「正信会が日蓮正宗であると思っていた私は、半ば日蓮正宗の宗教自体に懐疑的な気持ちになっていましたが佐藤正悌御住職は、私のくだらない質問にも、懇切丁寧に答えて下さいました。そうした中で自分は悪くない。僧侶が悪いと思い続けていた私の気持ちもどんどんほぐれていったのです。そして長円寺の会合に参加させていただくたびに、これが日蓮正宗の本当の御僧侶のお姿なのだ、と感激しました。」
そして無事に勧誡を受けるところまでこぎつけたものの、それでもまだSさんの気持ちの中では、「佐藤御住職だけが特別なのかもしれない」という思いが消えなかったという。しかし、そうした疑念もすぐに払拭された。
Sさんは「後日、法珠寺の御住職様や、他の御僧侶にも接する機会があったのですが、どの方も立派な方だったので、本当に感激いたしました。これで私の迷いはすっぱりと断ち切れたのです。」という。
Sさんは7月の合同座談会に旧知の正信会員Aさん(婦人)を連れてきており、そのAさんも後日無事に勧誡を受けることができた。
なおAさんは勧誡式の当日、新来者のSMさんを連れてきており、そのSMさんも8月末日に夫婦揃って勧誡を受けた。さらにSMさん夫婦は別に住んでいる娘を折伏した。
こうしてSさんから始まった正信会からの帰伏と折伏の連鎖は、止まることなく続いている。現在Sさんはまだ正信会に残っている人達に電話をしては、日蓮正宗の御僧侶の素晴らしさを訴え、折伏しているという。

平成23年5月現在正興院信徒世帯は30世帯を切り、佐藤御住職とSさんは正信会の壊滅に向けて邁進しています。


佐藤正悌師北見市法眼院に転任(平成25年12月3日)


佐藤正悌師の更なる飛躍を心からお祈り申し上げます。


最後に、 先日佐藤正悌師の布教講演を拝聴させていただく機会に恵まれました。


長圓寺時代のお話はありませんでしたが、京都市立伏見工業高等学校ラグビー部総監督山口良治氏についてお話がありました。

山口氏は昭和59年(1984年)のTBS系土曜21時台のテレビドラマ『スクール☆ウォーズ』(馬場信浩原作)の主人公の滝沢賢治のモデルとなった教師でもあった方です。

無名の弱体ラグビーチームをわずか数年で全国優勝をなしとげたという話でした。

長圓寺の建て直しのヒントは山口氏の経験にあったかもしれません。