島根県益田市多田町



その名の通りんぼのい町です・・・・・

益田市内より少し山間部に入った所にあり、周りは全て山に囲まれ中央には多田川が流れ、その川沿いは田んぼで埋め尽くされています。
春には蛍が飛び交い(通常より少し早い時期に発生します)、夏は窓を開けるとカブト虫、クワガタ虫が飛び込んできます。秋山には猪、猿等の野生動物も数多く姿を現します。
名所等はほとんどありませんが、その豊かな自然こそ多田町の宝です。

名 所 扇原関門跡(史跡)
杢の木(天然記念物)
宿 泊多田温泉白龍館
アクセス石見空港より車で20分
益田駅より車で10分
多田大元神社鳥居

新しく建替えられた鳥居。


[2000年3月撮影]


扇原関門跡 益田市指定文化財 指定 昭和四十六年六月二十一日
元治元年(1864年)江戸幕府と長州藩が緊迫し始めた頃、浜田藩と津和野藩の藩境にあたるこの扇原に番所が設けられたと言われる。
慶応2年(1866年)六月十六日朝、大村益次郎(旧名 村田蔵六)率いる長州軍約千五百名が横田方面からこの地にさしかかったが、扇原関門の守 岸静江国治(浜田藩)は通過を許さず、僅かな部下と急募の農民と共に門の守りにつき、ついに戦闘が開始された。
属に「石州口の戦い」言われ、大島口(防府大島)・芸州口(安芸)・小倉口(九州小倉)の戦いと併せ四境戦争と呼び、第二次長州戦争の口火となった。
圧倒的多数の敵兵をまえに岸静江はまず部下と農民を退去せしめ、唯一人関門を死守するうち不幸敵弾を受け仁王立ちのまま絶命したと言われる。
関門を通過した長州軍は翌一七日には医光寺、勝達寺、万福寺に布陣していた幕府軍(浜田藩、福山藩)を敗走させた。
昭和八年岸静江国治は靖国神社合祀せられた。

※益田市教育委員会 史跡案内板より引用
関所跡に続く旧道。
今では通る人さえいない。
関門跡に建てられた石碑 石碑横に置かれた仏像
標石 首を洗ったといわれる井戸跡。 関所跡より少し離れた市道沿いにある
岸静江の墓。今でも花が供えられる。

杢(椋)の木 益田市指定天然記念物 指定 昭和五十一年六月十一日
樹齢二百五十年余
幹廻り約八メートル
写真では分かりにくいかと思いますが、山の斜面に銀杏の大木と寄り添う様に生えています。
以前はこの杢の木の真下に河内神が奉られていましたが。平成十年十一月十五日に近くの市道沿いに新築移転しました。
この河内神は
紀元 延享二年九月吉日
祭神 大国主命を奉っています。