2007年11月4日、天気晴れ。岐阜県と長野県の境にある木曽路の隠れ里・十曲(じっこく)峠ウォークまつりに参加しました。お楽しみポイントも盛り沢山です。 @木曽路銘菓のご賞味 A五平餅のご賞味 Bあったかいお茶のサービス Cとん汁の振る舞いサービス D信州山芋入りそば250gです。 三宮・観光バスステーション7時30分集合です。高速道を走り、中津川の木曽路“元起”で、五目ご飯ご膳の昼食です。12時過ぎからスタート。800mで落合宿・・・ 1.1kmで十曲峠・・・1kmで新茶屋・・・1.5kmで諏訪神社・・・600mで馬籠宿まで約5kmゴール後は馬籠宿自由散策です。登り坂ばかりのウォークでした。
落合宿に向けて出発です。12:02 車道を歩きます。12:07
道しるべ 12:12 落合宿・善昌寺 12:17
大釜・容量1000リットル 口径約1.5m 落合宿本陣跡・明治天皇も宿泊された 12:22
落合宿の高札場跡 : 宿や村の庶民に法令を徹底
させる手段として高札場が設けられていた。
(赤い陸橋は中央自動車道) 12:28
下桝橋 : 落合宿にかかる下桝橋は江戸時代には
「大橋」とか「落合橋」と呼ばれ少し下流にあったと
言われています。 12:31
医王寺 : 山中薬師で親しまれる瑠璃山医王寺は
落合川に架かる下桝橋からしばらく登った所に
あります。 12:45
医王寺の枝垂桜 12:45


馬籠宿と落合宿の境にある標高500mの峠です。 石畳は急な坂道の流出を防ぐためといわれています。 現在では復元された部分も含め約840mほどあり、 このうち70.8mは岐阜県の史跡に指定されています。
ここは十曲峠の看板
(読売ツアーが用意したもの) 12:52
朴葉 : 朴葉味噌が食べたくなりました。
12:54
ここから石畳 12:54 十曲峠の秋色 12:54
石畳の茶屋(今は営業していないよう) 13:02 えんえんと続く石畳 13:06
なんじゃもんじゃの木 : 学名を「ヒトツバタコ」というモクセイ科の落葉高木で5月〜6月頃小枝の先に多数の白い花を咲かせその姿は壮観です。村人達はこの木の学名が分からなかったことから、なんじゃもんじゃと呼んでいました。 13:07
休憩所(温かいお茶と木曽路の
銘菓でおもてなし)13:16
新茶屋遊歩道 : 旧長野県境まで約120mを合併記念
事業により落合石畳遊歩道(新茶屋遊歩道)として
整備された。13:17
新茶屋 : 江戸の頃十曲峠の岐阜県側にあった
立場茶屋がここに移ったことからこの地名
があります 13:20
石垣の間から綺麗に咲いている菊。 13:30 ???  13:52
諏訪神社 13:44 島崎正樹碑(夜明け前・青山半蔵) 13:44
馬籠城跡 : 荒町の集落の中程の左手、竹藪の茂る
小丘上にある。一名丸山城とも呼ばれている。 13:47
丸山坂から馬籠宿へ
(ここだけが下り坂) 13:48


中山道69宿のうち木曾谷には11の宿場が置かれており、馬籠宿は板橋を1番目とすると43番目になる。江戸からの距離は83里(333km)余りとなる。中山道の難路、木曽路の最南端に位置し、宿場町として栄えた馬籠。全長600mの石畳の坂道に沿って、軒の低い格子造りの家並みが宿場時代の面影を残す。明治28年の大火事により江戸時代からの建物は焼けてしまったが、町の人達の努力で、当時を彷佛させる町並みを復元された。文豪・島崎藤村の生まれ故郷としても知られ、名作「夜明け前」の舞台にもなった宿場町。
またまた登り坂の馬籠宿 13:57 馬籠宿: ここで一息
(大きな水車が廻っています) 13:59
店の前に生けられた花に秋を、感じる 14:01 店の前に生けられた花に秋を、感じる 14:01
馬籠宿散策中です(人人でいっぱいです)。 14:01
島崎本陣の跡: 藤村の生家、
 藤村の生家、島崎家は馬籠城主、島崎監物の子孫で本陣、問屋を勤めかつては代官と呼ばれていた。
黒板塀に冠木門、門の奥の白壁に藤村の言葉『血につながるふるさと・・』。中に記念館と記念堂、
裏には隠居所建物や井戸があり博物館相当施設となっている。   14:05
ススキが似合う馬籠宿 14:14 馬籠宿から恵那山が 14:16
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