2008年3月27日、28日マイカーで山口県津和野に行ってきました往復900kmのドライブです。。16日、17日に続いて2回目です。前回は春帆楼のふぐ会席がメインでしたが今回は青海島・津和野散策をメインにしました。自宅9時ごろ出発です山陽自動車道を走ります。 |
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山陽自動車道を走っています 11:39
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宮島SAにて (昼食タイムです)13:09 |
同行した友人が秋芳洞・秋吉台が初めてと言う事なので立ち寄る事にしました。2週間ほどの間に2回の秋芳洞です。前回に写せなかったのを再び挑戦ですがフラッシュが届く範囲しか綺麗に写す事が出来ません。
秋吉台の地下を流れる水は長い年月をかけ少しずつ石灰岩を溶かし巨大な空洞を作りました。地底に広がる大小の鍾乳洞、中には洞口の高さ24m、幅8mの規模のものやもっと広い場所では高さ80m、幅200m延長10km。この内観光ルートとして公開されていいるのは1km程ですす。 |
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南瓜岩 15:42 |
大松茸 15:42 |
ずぼ柿 15:43 |
黄金柱 15:52 |
くらげの滝のぼり 15:56 |
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今回宿泊する楊貴妃浪漫のお宿は“ゆこゆこ”という全国の温泉旅館の雑誌から予約を入れました。楊貴妃が好んで入浴したお風呂が再現されているそうです伝説となった悲劇の美女、今も玉仙閣に生き続けるそうです。
楊貴妃は、玄宗皇帝のあまりの寵愛に周囲の募る不満を浴び、悲運の最期をとげたと歴史上はなっています。 ところが実は危うく難を逃れて船に乗り、山口県の日本海側に位置する油谷町の向津具半島の北西の唐渡口に辿り着いたという説があります。これが「楊貴妃日本漂着説」です。 |
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山あいの閑静な自然に抱かれた「玉仙閣」。
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大浴場華清湯 貴妃湯
大理石の階段を降りるとほぼ肩までお湯に
浸かります。その美しさが伝説となった
楊貴妃が座ったとされる玉座です。(写真右) |
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夕食です。
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朴葉焼き・てっさ・薬膳雑炊・うにご飯・ふぐ天ぷら |
2日目です お宿9時出発です。青海島遊覧、津和野散策、太鼓谷稲荷神社観光です。 |
海岸風景の探勝には遊覧船で島を一周するコースがありますが今回は波が荒いということで大島コースを楽しんできました。
青海島:その名のとおり、きらめくような青い日本海に浮かぶ島“青海島”。別名海上アルプスと称され、断崖絶壁、洞門石柱、数多くの奇岩怪岩などが連なる景勝地で、北長門海岸国定公園の代表的景観となっています。
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今から遊覧します
9:18 |
松島 9:46 |
仏岩 9:48 |
屏風岩 9:49 |
釣りをしている
人が 9:53 |
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穴の口灯台 9:57 |
船かくし 9:58 |
金華山 10:00 |
中江洞門 10:00 |
貝積み場10:06 |
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殿町通り:白壁の土塀や武家屋敷が建ち並び城下町の風情が残っています。
殿町通りは津和野大橋のたもとから、本町通りに続く道筋で、白壁の土塀や武家屋敷が建ち並び城下町の風情が残っています。200mほどの白壁が続き、約3,000本の花菖蒲が植えられ、優雅に泳ぐ鯉の姿も見られます。
次回は花菖蒲の季節に訪れたいものです。 |
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津和野駅のSL12:15 |
旧津和野藩
多胡家老門12:26 |
津和野・殿町
12:29 |
白壁が続く
12:30 |
津和野カトリック教会
12:34 |
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カトリック教会
12:39 |
津和野・殿町
12:40 |
昼食場所・
よしのや 12:47 |
殿町を歩く
13:31 |
役場(郡庁址)
13:32 |
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1200本もの朱塗りの鳥居がトンネルのように続く参道がありましたが車で上がって行きました。
太皷谷稲成神社は安永2年(1773年)に津和野藩主7代亀井矩貞(かめいのりさだ)公が津和野藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するために、三本松城(津和野城)の表鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に、京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのが始めです。(日本五大稲荷神社に数えられ、五穀豊穣、商売繁盛、開運厄除けなどを祈願する人が日本全国から訪れます。)。
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太鼓谷神社より
眼下を13:42 |
朱塗りの鳥居を
通て来ました13:42 |
駐車場より
太鼓谷神社を13:41 |
太鼓谷神社境内13:47 |
太鼓谷神社境内
13:50 |
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森鴎外旧宅: 森鴎外は代々津和野藩の藩医を勤めた家の嫡男として生まれ陸軍軍医である一方次々と小説を発表した小説家です。 |
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森鴎外旧宅内部 14:20
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森鴎外旧宅 14:19 |
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