2007年11月20日、21日と播州赤穂を女性3人(同級生グループ)ぶーらぶら、天気も良く、紅葉も程よく・・・花岳寺、赤穂城、大石神社、坂越散策と美味しい料理に舌鼓満足の2日間でした。

浅野赤穂藩の初代藩主、浅野長直が常陸国笠間から転封になったとき、浅野家の菩提寺として建てられた曹洞宗の寺です。以後、歴代藩主の菩提寺となり、浅野家、森家の歴代藩主と遺髪が納められていると伝えられる四十七義士の墓碑があります。赤穂藩と義士ゆかりの品々が保存されている義士宝物館や義士木像堂など見所も数多くあります。
花岳寺本堂 13:16 赤穂義士四十七人の墓碑 13:19
花岳寺・義士木像 13:37 花岳寺・義士木像(中央大石内蔵助) 13:37
花岳寺・二代目大石名残りの松 14:00 花岳寺・ならずの鐘 14:02
ならずの鐘 : 元禄16年2月4日四十六士は切腹を仰せつかり四候邸で見事に自刃した。この報が赤穂に届いたので町民は四十六士の死を悼み悲しみを花岳寺に集まりこの鐘を撞いてついてつきまくった。 全国の寺々の鐘は供出を命じられたがこの鐘は「義士との由緒深きにより」供出を免れた赤穂市内唯一の梵鐘である。



大石神社 : 大正元年、大石内蔵助以下四十七義士と萱野三平などを合祀して創建されました。境内には、国指定史跡の大石良雄宅跡の長屋門や庭園、義士ゆかりの武具・書画などを展示している義士宝物館があります。また、義士木像奉安殿には、第一級の彫刻家によって彫られた浅野内匠頭と四十七義士の木像が展示されています。

赤穂城跡 :
JR播州赤穂駅から南へ、風情のある街並を抜けると、白亜の二層の隅櫓がある赤穂城跡に着きます。正保2年(1645)、5万3500石をもって常陸国笠間から転封された浅野長直が近藤正純に築城設計を命じ、慶安元年(1648)から13年を費やして築いた城です。甲州流軍学による城郭の縄張りは本丸と二の丸は輪郭式、二の丸と三の丸の関係は梯郭式になっており、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式海岸平城です。天守閣は築かれず天守台のみが築かれました。明治の廃藩後、赤穂城もまた取り壊さましたが、昭和30年に隅櫓、平成4年〜8年にかけて本丸門が復元されました。
赤穂城 14:13 大石良雄宅跡:長屋門 13:16
大石神社鳥居 14:17 大石神社 14:18
大石神社 14:21 大石内蔵助良雄像 14:25
赤穂城:庭園の秋色 14:46 赤穂城:本丸門 14:49
赤穂城:本丸門 14:49 赤穂城:御殿跡 14:53
天守台 14:54 天守台から本丸門を見下ろす 15:55



赤穂ハイツ一泊です。
シルバーパック料金での宿泊です。年をとるのは嫌ですが、いいこともちょっぴりあるかも
ホテルの窓から・幻想的な瀬戸内海 15:30 夕食・この他に茶碗蒸し、天ぷら、
海老しんじょう、汁  17:59
夕食の天ぷら 18:15 ホテルの窓から日の出が 6:45




生島 : 坂越湾内に浮かぶ周囲わずか1.63kmの小島ですが、古来より大避神社の神地として人の入ること禁じたため原始の状態を保っています。樹種は大部分が常緑樹で、特に蔓生植物が繁茂しているのが特徴です。わが国の植物分布の温帯林の限界をみる上からも貴重な樹林であり、国の天然記念物に指定されています。

大避神社 :
延喜式以前の創建といわれ、秦河勝、天照皇大神、春日大神を祀っています。拝殿両翼の絵馬堂には、40数枚におよぶ大小の絵馬が掲げられ、中には明和年間のものもあって、舟絵馬としては日本で最も古いものだといわれています。毎年10月第2日曜日に行われる例祭(坂越船まつり)は瀬戸内三大船まつりの一つに数えられ、国選択無形民俗文化財となっています。

坂越(さこし)のまち並み : 波静かな瀬戸内海の坂越浦に浮かぶ原生林生島や、緑豊かな周囲の山々、清流を誇る千種川など優れた自然に恵まれ、また、港町の面影を偲ばせる風情ある古い町並みがいまなお残っています。 この落ち着いた魅力ある坂越のまちを、ゆっくり散策しました。

大避神社 10:33 寒桜の花が 10:46
天然記念物:生島・展望広場から 11:07 展望広場から妙見寺観音堂 11:07
観音堂から奥の院へ:妙見寺・奥の院 11:17 帰り道・妙見寺観音堂を右手に 11:28
秋色の道を帰る。 11:29 旧坂越浦会所
江戸時代に赤穂藩主の立ち寄り処として
利用されていました

無料で内部を見学することが出来ます
旧坂越浦会所・部屋 12:15 旧坂越浦会所・箱庭 12:15
坂越まち並み 12:16 奥藤酒造郷土館 12:20
小野御前の墓 12:51
南北朝時代の後亀山天皇の皇子、小倉の宮の墓と言い伝えられています。皇子は京都嵯峨の小倉山に住み人々に小倉の宮と慕われていましたが将軍家との争いのために坂越へ逃れ隠れ住みました。しかし争いに負けたことを知った小倉の宮は坂越浦に身を投げて亡くなったと伝えられています。
2日目の昼食・かもめ屋のかもめランチ 13:28


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