プロフィール |
■生年月日:1955年3月
■性別:男 ■血液型:O型 ■住所:群馬県 ■職業 : サラリーマン ■趣味:アマチュア無線 JE1GLN ■特技:コーヒーを 淹れること ■家族:男子×2女子×2 犬×1 |
鎌倉 七福神巡り 2012年01月29日 |
江ノ電でGO! |
禅宗の寺院で、臨済宗円覚寺派に属する。鎌倉五山第4位。山号を金峰山(きんぽうざん)と称する。 本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏で、それぞれ過去・現在・未来を象徴する。 境内は「浄智寺境内」として国の史跡に指定されている。 |
●袋を持たないユーモラスな表情の布袋さん 浄智寺の布袋さまは、庫裏(くり)裏手の洞穴の中に立っています。 布袋さんといえば、その名の通り大きな袋がトレードマークですが、浄智寺の布袋さんは袋を持っていません。 たいへんユーモラスな表情。 お腹をさするとご利益があるとされ、参拝者が皆触っていくので、お腹が黒くなっています |
鶴岡八幡宮の源氏池の島にある旗上弁才天は、 琵琶橋の辺りにあったものを源頼朝が遷したといわれています。 |
弁天様のお像は、鎌倉国宝館(鶴岡八幡宮境内)に寄託中。国宝館で拝観できます。 この木造弁才天座像は、文永3(1266)年に八幡宮の楽人であった中原光氏が奉納したと言われる像で、裸体に本物の衣服が着せられています。 手品でしか見たことが無い「白い鳩」が 枝にいっぱいとまっていました。 |
鶴岡八幡宮は、康平6(1063)年に源頼義が奥州の戦乱「前9年の役」で勝利した礼として京都の岩清水八幡宮を現在の材木座元八幡(由比若宮)に勧請したのが始まり。その後、治承4(1180)年、本拠地を鎌倉に定めた源頼朝が現在地に移し、鶴岡八幡とした。 |
宝戒寺は、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、北条一族の霊を弔うために建立させ、 勅命により円観慧鎮を開山とした(1335年(建武2年)創建)。 秋には、200株ともいわれる「シロハギ」が見事で、「萩の寺」と呼ばれている。 |
勇ましいお姿の萩寺の毘沙門天
毘沙門天は、本堂の中、本尊の地蔵菩薩坐像の 左隣に安置されています。 |
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麗らかで幻想的な春の朝。 |
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白い髭を蓄え、 経典の付いた杖を持ち、 鹿を伴う姿でかかれることが多い。 中国の道教に起源を持つ、 長寿の神様。 |
もともとは、幕府の鬼門除けの夷堂(天台宗系)があった場所で、 1436年(永享8年)、 開山の日出が日蓮宗の寺とした。 二代日朝が身延山に参詣することが困難な人のために、 身延山久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したことから「東身延」と呼ばれる。 |
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「仁王」というのは、寺院の門に左右一対で配置された「金剛力士」のこと。 寺院内に仏敵が入り込まないように防いでいる守護神です。 右側・・・怒りの表情を表した阿形(あぎょう)像 左側・・・怒りを内に秘めた吽形(うんぎょう)像 |
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すっかりお昼を過ぎてしまいました。
小町通りにあるお店でひと休み。 |
長谷寺は、736年(天平8年)の創建と伝えられ、 長谷観音の名で親しまれている。 また、奈良の長谷寺に対し、 新長谷寺とも呼ばれていた。 本尊の木造十一面観音像は、 一本のクスノキから彫られ9.18メートルあり、 日本最大級のもの。 |
大黒堂の本尊である大黒天は
応永19(1421)年の作といわれる古い像で、 大黒堂2階の宝物館に安置・展示されています。 現在、七福神巡りで参拝するのは、 代わりに祀られている出世開運授け大黒天。 なお、出世開運授け大黒天の隣にいらっしゃる カラフルな「さわり大黒」が人気。 |
国宝阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏)を本尊とする浄土宗の寺。
大仏は青銅製で、 台座を含め高さ13.35メートル、 顔の長さ2.35メートル、 目の長さ1メートル、 耳の長さ1.9メートル、 重量約121トン。 東国にも大仏を造ろうとした源頼朝の遺志を受け継ぎ、仕えていた稲多野局が計画したといわれる。暦仁元年(1238)に着工され、6年後に完成した。しかし、最初の大仏は木造であったため台風によって崩れてしまい、その後建長4年(1252)から青銅の大仏が鋳造された。 |
後姿を見ることはあまりないので、1枚撮ってみました。 あたまり上にあるのは、ごみではなく、お月様です。 |