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乳がん体験記、乗り越えて今がある

  “ 感 謝 ”


手術年齢 40歳 会社員

私の人生ジェットコースターのよう。
24歳、小さい頃の夢だったウォルトディズニーワールドで海外挙式!
ところが、若いお母さんになりたかった夢はやぶれ、5年間不妊に悩みました。
29歳でやっと、念願だったママになれ、幸せの再来!…が6年後離婚。
まさかの坂をころげ落ち、私の胸に大きなシコリを残しました。

2012年3月、11歳の息子とテレビの健康番組を見ながら、乳房のセルフチェックをしていた時、二人とも胸にゴリゴリがあることに気づきました。
息子のは、成長期特有のもので心配ないものでしたが、私は左胸の内側下にボコッとしたものがあり不安になりました。
あばら骨?脂肪の塊?と思い、夜、入浴時や横になった時に再度触れてみると、やっぱりシコリはありました。

これまで乳がん検診は、ママ友が3年前に乳がんになり検診を勧めてくれたので、息子を出産した産婦人科で1回受けたことがありました。
そしてちょうど40歳を迎え、「検診チケットっていつ来るのかなぁ」と思っていた矢先のことでした。
職場の人やママ友に触ってもらうと、病院へ行くように促されました。

とりあえずその産婦人科で診てもらうと、「よく見つけましたね」と。
そして更に詳しい検査をするよう言われました。
ふくらみの所じゃないからマンモグラフィで挟めないし、ちゃんと写らないんじゃないか、なんて思っていましたが…、そこだけ…真っ白く、くっきりと写し出されていました。

ママ友が手術した病院の予約を取れたのが約2週間後。
細胞診の結果は、通常なら1週間位でわかるが、医師の出張のため、少し先になり、「先延ばしにするくらいだし、本で調べたら私のような部位にできるのは9%とのこと」また、「米粒大の硬いのが悪性」などと思っていたので、「石灰化はみられるが悪いものだと決まったわけじゃない」などと必死で思い込んで、普通に仕事をしていました。

告知の日、母は運転免許を持っていないので、母に一緒に行ってもらうと、もしもの時に困ると思い、「あなたのは乳がんに違いない」と言い張るママ友に付き添ってもらいました。

結果は2.5pの乳頭腺がん。
まさしく「ガーン」でした。

そうと決まれば、一刻も早く悪いものを取り除いて欲しいと思い、翌日MRI、翌々日骨シンチ、センチネルリンパ節生検など色んな検査を入れてもらい、最短で手術日を決めました。
センチネルリンパ節生検の結果、私のタイプだと転移は500人に1人だと言われていたのに、微小転移が見つかりました。

主治医は、ステージUB期だが、リンパ節郭清をしなくてもいいし、ホルモン受容体が陽性なのでホルモン療法の効果が期待できるため、抗がん剤治療をしなくてもいい。
ただし、乳房の形が悪くなるので、全摘して同時再建をする方が良い、という意見でした。

数日後、別の総合病院でセカンドオピニオン。
その病院の乳腺専門医は「年齢の事も考えて全摘はもちろん、リンパ節郭清+抗がん剤治療もする」という意見でした。
「温存術でも大丈夫」などと救いの言葉を待っていた私は、この重い言葉を受けショックでした。

更に不幸は重なり、この夜父が倒れ、救急車で搬送。脳出血で緊急入院したのです。
自分のことで心配をかけ、こんなことになってしまったのではないかと、とても心が痛みました。

ところで、私には二人乳がん経験者のママ友がいます。

一人は右乳房全摘+同時再建手術を受け、綺麗に再建したおっぱいを私に見せてくれました。

全く喪失感を感じさせないし、腋の下に手術跡の白い線が1本残っているだけでした。


おかげで全摘も抵抗なく受け入れることができ、今後行う治療内容が前もって詳しく聞けることができて、とても勇気をもらえました。


もう一人は「乳がん患者サロン・スイートピー」を紹介してくださり、一緒に入会した方です。



乳頭腺がんは普通おとなしい性格だと言われていて、エストロゲンレセプターもプロゲステロンレセプターも陽性の私はルミナールAなのだそうですが、異型度がやんちゃ、いわゆる顔つきが悪いタイプだったのでルミナールBとなり、セカンドオピニオンの先生の意見も踏まえて、主治医も抗がん剤治療をするか悩み出し、手術で採取したものをアメリカに送って検査する方法があると提案されました。


治療法は自分で選択していかなければなりません。

主治医は乳がん治療を登山に例えられ、「自分は安全に登山を成功させるガイド。登るのはあなただから」とおっしゃいました。



私は全身療法の抗がん剤治療を受け、リンパ節郭清はしない方針を決めました。

そんな時、患者会の代表から「あなたはとっても良い選択をしました」と後押しする言葉を頂き、自分の選択に自信を持つことが出来ました。



また、患者会の皆さんは明るく前向きに治療されている方ばかりで、手作りのケア帽子やウィッグを貸出しして下さったり、みなさんで抗がん剤治療の不安を取り除いて下さいました。



入院前日まで仕事のシフトが入っており、深く考える暇もなく、左乳房全摘手術と同時再建術を受けました。



手術にはその後2人目の主治医となる先生も加わってくれていました。



初めての入院で不安でしたが、信頼できる主治医、優しい看護師さんたち、師長さん、薬剤師さんまで話しやすく、メニューが楽しみになるくらい美味しい食事、同室の方たちにも恵まれ、上げ膳据え膳パラダイスでした。



お見舞いに来てくれた人と談話室でお茶会三昧。術後の経過も順調でドレーンのポシェットをぶら下げて、院内をスタスタ歩いていました。


ドレーンの水が溜まることをよいことに、10日間の入院計画だったのに20日間も長居してしまいました。


入院中、同時期に手術、抗がん剤治療を行っていた10歳年下の女性との出会いもありました。

彼女とは3週間に1回4クールFECを一緒に受け、お互い励まし合いながら闘い抜きました。

抗がん剤治療に耐えられたのも、彼女や、時間きっちりに迎えに来てくれ、治療に付き添ってくれたママ友や、病院のスタッフのおかげです。


途中血管炎症を起こしたこともあったし、高熱を出したこともありました。


心配して電話を下さった主治医の声でうそのように元気になったり、“病は気から”を実感!



仕事は休んでいたものの、父の病院や息子の中学受験と重なって通塾の送迎、その上母の手伝いでお習字の先生もしていて、床に臥す間もなく抗がん剤治療は無事終了。



しかし、年明けから仕事に復帰しようと考えていた私におそいかかった副作用。

むくみ、動悸、息切れ…心臓に負担がかかっているのか?

階段を登ったり、2、3歩歩くだけでヒィヒィハァハァ。

その後、指先のしびれや爪がはがれそうな感じは、しばらく続きました。

翌年の春に仕事に復帰しましたが、休んでいた間に人が入り、違う部署に異動。
慣れない仕事に冴えない頭…。辛い日々でした。
けれど、自分の病気のことを知ってくれている仲間に助けられ、今もずっと同じ仕事を続けることができています。

同時再建から1年後、エキスパンダーを入れ替える手術をしました。
今は、ノルバデックスを服用しており、3ヶ月に1回、3人目の主治医に診ていただいています。

抗がん剤治療中もママ友が「歌って、声出して、細胞を活性化させよう!」とコーラスに誘ってくれたり、私の為にヨガの先生を招いてヨガ教室を始めてくれたり、ママ友はじめ、本当にたくさんの方々に支えて頂きました。

波乱の人生、なんとか一つずつ乗り越えて、告知から早3年。
家族のサポートもあり、また絶妙なタイミング生まれてくれて、私に素敵なママ友をプレゼントしてくれた息子にも感謝、感謝です。

出会った周りの人々の支えで今の自分があるのだと、今では毎日感謝の日々を過ごしています。