
手術年齢 38歳 会社員 2015年10月
平成27年10月初旬、3週間前に、職場の健康診断の結果、胸部レントゲンで精密検査が必要と言われました。ちょうど2週間後に、術後丸3年、年に1回の画像診断の予定があったので、それを待つことにしました。
折しも連日テレビで、北斗晶さんの乳がんと川島なお美さんの死のニュースが報道されていました。
悪いことを考えないようにと思っても、どうしても不安が頭をよぎる毎日でした。
今日、検査の結果を先生に「何も異常ないです。」と言ってもらい、電話で夫に報告した際、お互いに涙しました。
そして、ようやく日常生活が戻ってきました。
乳がんと診断されたのは、38歳の時でした。
弟が先に結婚したので、1人暮らしを始めた30代。
30代前半は仕事が楽しくて、仕事ばかりしていました。結婚はできないかも知れないな、と本当に思っていました。
しかし、35歳で結婚し、36歳で娘を出産。私も夫も男女の2人兄弟だったので、娘が1歳4ヶ月で卒乳した時、私は2人目の男の子を!と必死になっていました。
娘が毎日お腹の上に乗って来て、左胸に鈍い痛みを感じていましたが、授乳中に乳腺症になっていたので、それだと思っていました。
そんなある日、娘を左腕で抱いた時、左胸に鈍痛を感じ、上から胸を見ると、上部がボコッと腫れていました。「何だ!?これは…」。
その時、私が思ったのは『乳腺症は不妊の原因になる』ということでした。
翌日私は近くの総合病院の外科を受診しました。
不妊になっては困るからです。
その時は知識もなく、胸のことは外科という思い込みで、(消化器)外科を受診してしまっていました。
それでも、細胞診をしてくれ、結果は1週間後ということでした。
受診の翌日、胸の腫れは引き、痛みも全くなくなりました。
私を受診に導いてくれた不思議な体験でした。
その後、乳腺外科に紹介され、検査を繰り返し1ヶ月後に乳がんの診断を受けたのです。
その瞬間まで自分ががんであることなど、検査を繰り返す中でも、これっぽっちも思っていませんでした。
とにかく、『早く2人目を作りたい!』、『早くOKを出して!』という思いだけでした。2人目がほしいという思いがなければ、私は病院を受診していなかったと思います。
きっと、娘と生まれてくることなかった2人目の子が私に病気を教えてくれたのでしょう。
そんなわけで「乳がんです」と言われた時、突然つきつけられた現実に、頭が真っ白になりました。
直径3センチの腫瘍で、リンパ節転移あり。治療するために2人目の子どもはあきらめるしかないという現実に、ただただ涙が止まりませんでした。
これからどうなってしまうのか、不安で不安でどうしようもありませんでした。
そんな時、数ヶ月前に母が「Mちゃんが乳がんだったって、最近聞いたんよ」と言っていたのを思い出しました。Mちゃんとは、お互いの実家が近所で、学年が1つ上で、小学生の頃まで時々遊んでもらっていました。
けれどもその後は1度も会ったことはありませんでした。
わらにもすがる思いで、母伝いにMちゃんに連絡を取ってもらえるよう頼みました。
すると、その日のうちにMちゃんが電話をかけてきてくれました。
Mちゃんは7年前に乳がんと診断されたそうで「3センチだったら大丈夫!私はもっと大きかったし、脇のリンパ節は腕を下ろしても体から離れるくらい
腫れていたけど、もう7年経つけど、元気だから!
治療は一通り全部やったから、何でも聞いて!」と自分の経験を話してくれました。
得体の知れない不安でいっぱいだった私は、Mちゃんの話を聞いて、自分の置かれている状況、これからしていくことが分かって、驚くほど心が落ち着きました。
その夜はおかげでぐっすり眠ることができました。
Mちゃんは本当に命の恩人です。Mちゃんが私を助けてくれたように、いつか私も誰かの役に立てたらと思います。
その後、検査が進み、ステージUb、ホルモン受容体陽性、HER2陰性というがんの性格も分かりました。
抗がん剤は近くの総合病院で半年間(パクリタキセル・FEC)。
手術は和歌山県立医大付属病院で、偶然にも39歳の誕生日に。
当初全摘出と言われていましたが、抗がん剤治療で腫瘍がいくらか小さくなり、部分摘出で済みました。
化学療法(放射線治療)を経て現在ホルモン療法中です。
治療の中で一番きつかったのは、やはり抗がん剤でした。
ただ、忘れもしません、初めて抗がん剤を打ちに行く日、病院へ向かう車の中で夫が突然「職員採用試験受けへんか?」と言ったのです。
当時、職場は育児休業中でしたが、がんが分かって1ヶ月前に正式に退職したばかりでした。
子供はまだ1歳10カ月。今日これから抗がん剤だっていう時に、「何を言ってんの!」と、一笑に付しました。
でも、その後2日間悩んで再就職にチャレンジすることにしました。
育児と就職試験と抗がん剤を一度にすることになり、病気のことを考えている時間はありませんでした。
よくもまあ、あのタイミングで私に再就職を促してくれたものだなと、夫の英断に本当に感謝しています。がんになって仕事から離れる方もいるかと思いますが、病気にだけ向き合うのではなく、忙しくして病気のことを忘れてしまうくらいの方が絶対良いと思います。
この間、医療関係者の皆さまはもちろんのこと、本当に多くの人に励まされ、助けられました。乳がんになったことは大事件で、今も不安との戦いは続いていますが、もし独身の時に乳がんであることが分かってしまっていたら…結婚もすることなく、子供にも出会えず、アパートで1人でがんと闘うことになったら…きっと私は病気に負けてしまっていたと思います。
最善のタイミングで娘を産むことができたこと、そして、ずっと支えてくれる家族がいること。
いろんな幸運が重なって…、だから私は『絶対に死なない』と何故か心に思うのです。
結婚する時に、夫が私にした願いごと「1つだけ絶対守って欲しい。僕より後に死んでね」と。その約束を果たすべく。
そして何とか、孫の顔を見るまで生きたいと思うのです。病気になって、今まで以上に命を尊く感じるようになりました。殺人、自殺のニュースを聞くたび、自分の命も他人の命ももっと大事にして欲しいと切に願います。
本当に「生きてるだけで丸儲け」なのですから。
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