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乳がん体験記、乗り越えて今がある

  “ 乳がんになって知ったキャンサーGIFT ”


手術年齢47歳                2016年3月

 体に異変を感じたのは、たしか2014年6月頃のことです。
 右の脇にゴルフボールくらいのものが、挟まっているような感覚に気付いたのです。
 そうだ、前日草刈りをしたからそのせいに違いない、と自分に言い聞かせました。
 でも2日たっても違和感が消えることなく、そのうえ痛みが出て、市販の痛み止めなしにはいられない状態になり、やっぱり……、と。
 そう、このやっぱり……は『乳がん』。

 実は母が10年前に乳がんになり、自分もなるのではないかという不安がずっと前からあったのです。
 だから母が乳がんになってから、毎年欠かさず乳がん検診は受けていました。 右の脇に違和感を覚えたのは、介護に加え、子どもたちのクラブの為に越境中学校への送迎をしなければならず、毎日忙しくて1年検診を受けそびれた、その翌年の出来事でした。

 乳がんの検査をすると、思った通り乳がんの腋窩リンパ節への転移でした。  2014年8月、温存手術、9月から抗がん剤のFEC、タキソテールの治療を半年間続け、その後放射線を33回照射。
 抗がん剤しか効かないトリプルネガティブタイプという診断でした。


 がんの大きさは3.5p、リンパ節転移は26個中12個、レベル2まで郭清。  
 子どもたちにこの事実をどう伝えればいいの?今まで通りの生活は出来るの?

 そのことがぐるぐると頭の中を巡っていました。

 自分では言えず、主人から子どもたちに、乳がんのこと、これからの治療のことを伝えてもらいました。


 子どもたちは、私が思っている以上に案外冷静だったのでちょっぴり安堵しました。


 手術まで前向きだった気持ちは、術後の検査結果が思っていた以上に悪くて、それを聞いてから落ち込み気味になり、何をしても笑えない、大好きな吉本新喜劇を見ても笑えない、幸せそうな家族を見ると妬んでしまう、そんな自分がいました。

 そんな頃、インターネットで乳がん患者サロン・スイートピーを見つけ、御坊のおしゃべり会に参加しました。
 みんな元気で前向きに歩いている姿を見て、私も頑張ってみようと思えたのです。いっぱい話をして、自分の不安な気持ちを聞いてもらって、またアドバイスをもらったりしている内にトンネルの中から一筋の灯りを見出すことができました。

 もしスイートピーの会に参加していなければ、今でも暗闇をさまよって泣いていたかもしれません。同じ痛みを持つ先輩たちに出会えたことに感謝しています。

 リンパ浮腫、色素沈着、まだまだ脱ウィッグできませんが、前向きになることが出来ているのもこの会のお蔭です。


 最後に乳がんからのキャンサーギフトについて話します。
 乳がんになって良いことなんか無いけれど、なっていなければ気付かなかったことにたくさん気づくことができました。
 1日1日、いいえ1分1秒を大切に生きること。
 何気なく過ごしてきたことがとても幸せなんだと気付いたのです。
 
 がんになって、周りの景色が変わったような気がします。
 多分自分自身の考え方が変わったせいなんでしょうね。
 それがキャンサーギフトの1つ。
 
 今までは家族、特に主人(笑)に対し不平不満ばかりで、感謝の気持ちを持てなかったり、毎日ダラダラと過ごしたりと本当に無駄な時間を過ごしていました。

 でも乳がんになり、主人が家事や子どもの世話も手伝ってくれるようになり、子どもたちも自分たちで出来ることは手伝ってくれるようになったのです。
 
 一番笑えたのが、ドリカムの『サンキュ』の歌詞のように“♪ちょっとカッコ悪いけど 髪切るなら付き合うよ なんて♪”〜私が抗がん剤で脱毛し始め、バリカンで髪の毛を自分で刈ろうとしている時に、そんなことを言ってくれたこと。

 乳がんになって、主人の優しさ、子どもたちの成長、時間の大切さ、そして人は一人で生きているのではないことに改めて気付かされました。多くの人に支えられて生きているのですよね。

 これが私のキャンサーギフトです。
 乳がんになって一つも良いことなんか無い。

 でも乳がんになって、私自身の考え方や気持ちの持ち方が変わり、強くなったことは確かです。

 本当に本当に日々感謝。
 これからも、感謝の気持ちを忘れずに、がんに立ち向かって生きていきたい。来るならいつでも来い、いつでも真っ向勝負してやるーって気持ちです。

 まだまだ怯えながら、ですがね。

 今年8月でやっと2年。これからも笑って家族と共に生きていきたい。
 子どもたちの夢のために…、自分の夢のために。