
手術年齢 60歳、72歳 和歌山市在住
忘れもしない2004年9月16日。その日は私の誕生日だった。
市内の総合病院で乳がんの宣告を受けた。
当時、その病院には乳腺外科はなく、第2外科での診察だった。
マンモグラフィの結果、若い医師は「乳がんです」と告げた。
少し前から乳房の下の方に何かあるのではないかと感じていたが「これは違う」と自分に言い聞かせていた。
母も乳がんで亡くなっているので、ショックで病院から帰る途中「死」を考えた。
でも二女はまだ結婚が決まっていなかったので、「この娘を嫁がせなければ死ねない」、と思いとどまった。
翌日知り合いの医師に相談したら和歌山に乳がんの名医がいると教えてくれた。
早速主人に付き添ってもらい、そのクリニックを訪れた。
最初の病院では全摘と言われて落ち込んでいたが、その医師は「温存手術ができます」と言ったので、その医師に任せることにした。
抗がん剤5回、ホルモン剤を7年間服薬し、順風満帆に12年が過ぎた。
その後、勉強して分かったことは、温存手術の場合、放射線治療も併用するのが標準治療であるのに、私は温存手術だったが放射線治療は受けていなかった。
その時は知識もなく、後悔したが遅かった。
2016年6月に二度目の乳がん宣告。
12年も経っており自分でも全く自覚がなかったので、最初の宣告の時以上に『青天の霹靂』であり、頭からスーっと血が引いたのを今でも覚えている。
お世話になったクリニックは12年間通ったが、家族が大きな病院へかわることを切望したので総合病院へ転院することにした。
この時、患者会の友達にも相談にのってもらい心配もかけた。
みんな自分の事のように考えてくれ、転院するか留まるかを悩んでいた私の背中を押してくれた。
この会に入会して7年、今は感謝の気持ちでいっぱいです。
転院先の総合病院で検査の毎日が始まった。
マンモグラフィ、エコー、針生検、CT、骨シンチ、MRI、肺のレントゲン、肺活量、心電図、心臓のエコー、歯の検査。
全ての検査が終わり、主人と長女に付き添われ医師からの説明を受けた。
主人は真っ先に「転移ですか?再発ですか?」と聞いた。
ところが何と原発の乳がんだった。
同じ右乳房に12年前とは違う性質の乳がんができていた。
HERⅡ+、ステージ1、大きさ1.5センチ、浸潤性乳がん、腋窩リンパ節転移なし、Ki67低い、というタイプだった。
検査が終わりいよいよ入院、手術の日が来た。
車椅子で手術室へ。別れ際に付き添っていた二女が突然私の前に立ち、私の胸に手をあてて「ありがとう」とひとこと言って涙を流した。
つられて私も泣いた。
右乳房全摘、腋窩リンパ節郭清。細かく検査した結果リンパ節への転移は全くなかった。

母が乳がんで51歳で亡くなったこと、二度目の乳がんということもあり、リンパ節も郭清した。
現在の医学の進歩はすごく、術後1時間で歩いた。
また切除した部分は、中は溶ける糸で縫合、傷口は上からぴったりテープを貼って縫合はしない。自身の治癒力で皮膚がくっつくのだそうだ。
2~3日で手をあげてリハビリ。12年前との違いにびっくりした。
入院生活は10日。早く家へ帰りたいと思う。
主人は何も出来ない人なので、退院後は大変だった。
1ヶ月後化学療法が始まった。TC療法+ハーセプチン。
1回目は4時間もかかり辛かった。
1週間が経ち、副作用が何も無かったので「抗がん剤楽勝かな」と思いきや、その後身体中が剣山でつつかれているような痛みで辛抱できない。
夜も眠れない日が3,4日続いたかな。
そのあまりの辛さに2回目の時には「明日死んでもいいから抗がん剤をやめたい」と申し出た。
子どもたちには「お母さんの後悔のないように」「私にはまだまだお母さんが必要」と言われた。
医師は「あと3回だから、頑張りましょう」と説得された。
そして2回目、3回目、4回目はなんと辛抱できたのだ。
私だけじゃない、他の人たちもみんな頑張っている、前向きに生きよう、次第にそう思うようになった。
副作用で、抗がん剤1回目ですぐに脱毛が始まったので、理髪店で人生初の丸刈りにした。全身の毛が抜け、爪はしじみ貝のように横すじが入って変色した。関節の黒ずみ、手足の痺れ、筋肉痛などはすべて経験した。
だが発熱や口内炎など他の症状はなく助かった。
食欲はあったので長女の作ってくれた豚の角煮、長男にリクエストしてフライドチキンを買ってきてもらいペロリと平らげた。
髪の毛が抜けたことは、やはり女として一番辛かった。友達にウィッグを貸してもらった。
3週間に1度のハーセプチンも1年、年間17回の投与が今年の8月で無事終了。
「よく頑張ったね、私」。思い切り自分を褒めたい。
ハーセプチンは心臓に悪影響があるそうで時々心エコーも撮る。
「がんになるのは運が悪い」と常々言っていた私。
2度もがんになるなんて。どれだけ運が悪いのでしょうか。
まだまだ心配はたくさんある。左乳房は大丈夫?リンパ浮腫にならないかしら?
どこかに転移はないかしら?
身体に合う下着が無い、裁縫が好きなので試行錯誤しながら工夫するが、色々と考えていたら夜も眠れない。
同じ病気で「力強く人生を歩んだ女性でありたいから」と前向きに生きた小林麻央さんが34歳で人生を終えられたのはとても残念です。
私たち夫婦は今年3月に金婚式を迎えた。50年色々あったなぁ~。
「山あり谷ありの人生も貴方がいたから越えられた」(笑)
お互いに体力も衰えてきたので、支えあい助け合って残りの人生を元気に明るく寄り添って生きていきたい。

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