ひたちなか海浜鉄道 2025年9月30日()

北千住駅―(常磐線)−水戸駅−(常磐線)−勝田駅−(ひたちなか海浜鉄道)−阿字ヶ浦駅・キハ22 2・キハ2005撮影−(ひたちなか海浜鉄道)−那珂湊駅・構内より車両を撮影

日学祭の代休日を利用して、ひたちなか海浜鉄道と鹿島臨海鉄道沿線を散策しました。北千住駅に集合し、常磐線に乗って、勝田駅へ行きました。勝田駅からひたちなか海浜鉄道湊線に乗りました。湊線は、茨城県ひたちなか市の勝田駅から旧那珂湊市街を経由して阿字ヶ浦駅とを結ぶ、ひたちなか海浜鉄道の路線です。1990年度までは海水浴シーズンに常磐線上野駅から臨時急行「あじがうら」が阿字ヶ浦駅まで乗り入れていました。2008331日まで茨城交通の路線でした。200841日より、湊線はひたちなか海浜鉄道に移管されました。2008年度はひたちなか市が湊鉄道線存続支援事業として約2億円を支出しました。移管後は列車増発や最終列車の繰り下げ、新駅の設置、割安な年間通学定期券の発売など、利便性向上を試み、東北地方太平洋沖地震の影響により路線が被災し全線不通となった2011年度以外、第三セクター移行後輸送実績は少しずつ回復しました。部員たちは、井上工務店のラッピング広告が施されたキハ371001号車に乗り、阿字ヶ浦駅へ行きました。井上工務店の会長は商工会議所などの公職を務めた方で、湊線が廃線の危機にあった時、湊線の必要性を訴えて、おらが湊鐵道応援団の設立や社名の決定などに貢献された方です。長年の功績により旭日双光章を受章され、その祝賀会の日に合わせ、井上工務店の車両広告の出発となりました。部員たちは阿字ヶ浦駅に保存されているキハ22 2とキハ2005を見学しました。



阿字ヶ浦駅構内には、鉄道車両がご神体になっている神社、ひたちなか開運鐵道神社があります。古にレールで作られた鳥居の先にご神体であるキハ22 2とキハ2005が保存されています。キハ22 2は、元羽幌炭鉱鉄道のキハ22 2です。1962年に富士重工で製造され、羽幌炭鉱鉄道に導入されました。羽幌炭鉱鉄道が廃止され、茨城交通に譲渡されました。2015年まで運行され、その後阿字ヶ浦駅構内に放置されていたものを2021年に保存も兼ねた観光資源としての「鉄道神社」として町おこしに使われることになりました。キハ2005は、かつての留萌鉄道のキハ2005です。2015年に廃車となった後に阿字ヶ浦駅構内に放置されていたものが整備されました。






阿字ヶ浦駅で保存車両を見学した後、那珂湊駅の構内や車両基地に面する側道から気動車を撮影しました。構内にはミキ300やキハ205がありました。ミキ300は、1998年に富士重工で製造され、三木鉄道で運用されていました。2008年に三木鉄道が廃止され、2009年に茨城交通が購入しました。三木鉄道時代の塗装と車両番号ミキ300-103で運行されています。キハ205は、1965年に帝国車両で製造され、1996年に水島臨海鉄道より茨城交通が購入しました。車両基地の側道からケハ601やキハ20 429などの保存車両を撮影しました。ケハ601は、1960年に新潟鉄工製により制作されたステンレス気動車です。1992年に廃車になりましたが、車体が錆びないので構内で倉庫として使われていました。車内を整備し、ギャラリーとして公開された時もあります。キハ20 429は、1961年に日本車輛で製造され、広島に配属されました。1984年に鹿島臨海鉄道へ売却され、後に茨城交通へ譲渡されました。廃車後は那珂湊駅構内で保存されています。かつて上野駅から常磐線を通じての直通列車が乗り入れていたとあって、那珂湊駅、阿字ヶ浦駅ともに、ホームが長くて広かったです。