2023年8月9日() 夏期合宿  夏の立山

雷鳥沢キャンプ場・朝食(2277)(107)…一ノ越山荘(2705)(48)…立山雄山(3003)・祈祷…(28)…立山大汝山(3015)(57)…真砂岳(2861)(43)…別山(2874)(24)…別山乗越・剣御前小舎…雷鳥坂(80)…雷鳥沢キャンプ場(2277)・炊事・夕食・消灯



朝、3時30分に起床しました。炊事をし、朝食を食べ、荷物を片付け、必要な装備をザックに詰め、5時に雷鳥沢キャンプ場を出発しました。



本日は台風6号が迫っていました。進路の予測が中国地方にずれたものの、台風の影響で午後には天候が崩れる予報も出ていました。立山雄山頂上の到着時間によっては雄山だけ登り、引き返すことも考えました。



引率顧問が二人ついているので、場合によっては登山隊を縦走組と引き返す組に分けることも考えました。浄土川を渡り、賽の河原を越え、一ノ越を目指しました。だんだん雷鳥沢が眼下に遠くなり、自分たちの居場所が雷鳥荘や室堂よりも高くなってきました。



室堂からの遊歩道と合流すると、直ぐに一ノ越に着きました。一ノ越山荘の前で一休みしました。



だんだん雲が薄くなり、峠の反対側を除くと、槍ヶ岳や穂高連峰が良く見えました。一ノ越から雄山の頂上まで、岩場の急登が続きます。浮石や落石に注意しながら、登りました。



雄山の頂上には、雄山神社があります。立山主峰の雄山、別山、浄土山は立山三山と呼ばれ、立山信仰の中心です。



立山三山をめぐる立山登拝は、須弥山の天界思想に到達するものだそうです。雄山の山頂にある雄山神社峰本社から北辰に重ねて大汝を拝むことが、宇宙に己(大汝)を写して己を悟るものと考えられ、古来修験より信仰が広がっています。



私たちは、祈祷を受ける時、立山登拝の際に、河原で石を携えて雄山の山頂に石を供える習わしがあると伝えられました。祈祷を受けた後、大汝山の頂上へ行きました。立山は、雄山(3003)、大汝山(3015)、富士ノ折立(2999)の三つの峯からなります。



最高標高は3015 mの大汝山ですが、主峰は雄山です。部員たちが雄山や大汝山にいる頃、ヘリコプターが飛んで来て、頂上の休憩所に物資を運んでいました。



部員たちは、ホバーリングしながら荷物を下ろし、飛び去って行くヘリコプターを珍し気に写真に撮っていました。「俺たちが3時間近くかけて登って来た所に、2分で来たな。」とか言っていました。



大汝山を出発し真砂岳に近づいて来ると、広い稜線の上に、いくつもの円錐状の石積みがありました。



部員たちが「これは何だ?」と質問すると、ター先生が「1989年の秋ごろに、ここで10人もの登山隊が遭難したので、道に迷わない様に目印を作ったんだよ。」と説明されました。



1989
年の10月、台風の影響で一時的に冬型の気圧配置になり、中国から寒気団が南下し日本海側の山の天候が荒れると予報されていました。



10名の登山隊が立山に登頂した日、早朝は快晴だったのに、午前中から夜間にかけて立山一帯が猛吹雪となりました。立山三山を縦走中の10名の登山隊が吹雪に阻まれ、中々前へ進めずにいるうちに日没となり、道に迷い、遭難しました。その中の2人は午前3時半ごろ剣御前小舎に向かうが、途中で倒れてしまいました。その時、ご来光を撮影するために別山に向かった剣御前小舎の宿泊客に発見され生還出来ました。残りの8名は、低体温症で亡くなったそうです。



山岳部は、羽根木公園での走り込み、高尾山などでの雨天での登山体験や搬送訓練などは行ってはいます。



真砂岳からの景色を眺めると、ここから大汝休憩所や剣御前小舎まで体調不良者を搬送するのはさすがに無理だなと感じます。天候やメンバーにちょっとでも予想外の異変があったら、全員揃って引き返すに限ると思いました。



真砂岳で一休みしてから、本日最後の登り、別山を目指しました。部員たちが別山と手前のコルを眺めて、「せっかくここまで登ったのに、またこんなに下って、登り返すのかよ。」とか言って苦笑いしていました。先が見える天候の中歩けるのは、有り難いことだよ。



そして別山頂上への登り。山岳部としては何度か登ったことがありますが、このダラダラとした傾斜の登坂が、何となく部員たちの気持ちを削ぎました。一ノ越から雄山頂上への急登と真砂乗越から別山頂上への登りは、前から意識していたので、顧問のター先生が先導しました。



日頃のトレーニングの様子から、部員たちがばらけない様に、絶妙なペースを作って登りました。おかげで、全員一緒に頂上に着きました。が、雲がかかって剱岳が見えませんでした。ここで剱岳を皆で見て、「剱岳を目指して、トレーニングをしようね。」という予定だったのですが。別山乗越で一休みし、雷鳥沢へ下るのみとなりました。



新室堂乗越を経由する別山南峰ルートと雷鳥坂を下るルートがあります。ター先生が「雷鳥坂は、登りの登山者が大勢いるので、すれ違いの渋滞にはまるぞ。」とアドバイスしました。が、部員たちはそのアドバイスを聞かずに眼下に見える雷鳥沢に真っ直ぐ下って行く、いかにも近道に見える雷鳥坂にすうっと吸い寄せられて行きました。



ちょっと下ったら、本当にすれ違いの渋滞にはまりました。道を譲ってすれ違いを待っているうちに、別山乗越でポツポツ来ていた雨粒が、ザーザーの本降りの雨になりました。急いで雨具を着て、渋滞をかわしたら、少し早歩きで下りました。羽根木公園の走り込みや富士山の砂走での動きと比べてみて、体力もあって、登りも下りも早いけれど、大きな石がごろごろとした下り坂は苦手という部員もいることが分かりました。雷鳥坂を下り、浄土川を渡る頃には、すっかり雨が上がりました。



雷鳥沢キャンプ場に着き、ザックを下ろした時は、有り難いことにカンカン照りとなりました。テントと濡れた雨具がたちどころに渇きました。ター先生が「無事に下山し一休みをする時には、デザートが必要。」とパイナップルの缶詰を取り出すと、部員たちが欲しがったので、皆に分けました。実はター先生は富士山の頂上までスイカを持って来たりします。



パイナップルを食べていると、地元のテレビ局のクルーの方々が室堂、雷鳥沢の取材に来ました。「どちらからお越しでしょうか。立山はいかがでしょうか。後で本番を生放送で撮影しますので、よろしく。」とのことでした。テントの近くにコンロと鍋を用意し、夕食の支度をしました。炊事の様子を地元テレビ局にて生放送ということで、部員たちもそれなりに緊張していました。そして本番、「今日は東京の中高一貫校からも、中学生、高校生が立山に登山に来ています。雷鳥平はいかがですか?」「最高で−ス。」という感じになりました。食事の後、炊事用具を片付け、明日の帰京の打合せをし、早々にテントに入りました。あんなに暖かかったのに、日が沈んだら、すげー寒くなりました。雲が解けて星空が綺麗に見渡せました。以前に来たときは、天の川も見えました。