すみだリバーウォーク・京成電鉄押上線の高架工事 2023年5月21日(日)
東京駅・散策…日本橋…三越本店…三越前駅―(東京メトロ銀座線)―浅草駅…東武浅草駅…すみだリバーウォーク…東京スカイツリータウン…押上駅―(京成電鉄)―四ツ木駅…京成電鉄押上線…京成立石駅―(京成電鉄)―京成高砂駅京成高砂駅・撮影―(京成電鉄)―京成上野駅…上野駅・散策・解散
東京駅で新幹線を撮影しながら昼食を食べた後、日本橋へ行きました。1601年、江戸幕府が江戸と各地を結ぶ東海道・甲州街道・奥州街道・日光街道・中山道を整備しました。
日本橋は、1603年に五街道の起点に定められてから、日本の道路の中心として交通と経済の中心地となりました。日本橋は何度もかけ替えられ、1911年に現在の石造二連アーチ橋が完成しました。日本橋の中央に街道の起点であることを示す「日本国道路元標」が埋め込まれています。
三越日本橋本店に立ち寄り、東京メトロ銀座線の三越前駅から銀座線に乗って浅草駅を目指しました。部員たちは、「日本学園の制服を買う時、ここに来た。」と言っていました。
東武鉄道の浅草駅に立ち寄り、すみだリバーウォークの入口スロープで東京スカイツリーを眺めました。隅田川の景色と隅田川を行き来する東武電車の眺めながら、東武スカイツリー線に沿う遊歩道を歩きました。隅田川と北十間川の接続点に設置された幅11mのローラーゲート式水門である源森川水門の横を通り、東京ミズマチへ行きました。
東京ミズマチは、東武スカイツリー線の高架下に作られたコミュニティスポットです。国内外の宿泊需要に対応するコミュニティ型ホステル、公園と川の環境と一体化した新業態のレストラン、スポーツと一緒にカフェが楽しめる施設などがあります。
部員たちは、高架線を行き来する東武電車を撮影しながら、東京スカイツリーを目指しました。東京スカイツリーを通り抜け押上駅へ行きました。業平橋駅時代とはすっかり変わり、商業施設が立ち並ぶ繁華街になっていました。押上駅は、京成電鉄と東京都交通局、東京メトロと東武鉄道の共同使用駅です。京成押上線と都営地下鉄浅草線が乗り入れている押上駅は、両方向折り返し可能な2面4線の駅ですが、両路線の列車の殆どが相互直通運転となっています。
京成電鉄押上線は、5.7kmの路線です。都営地下鉄浅草線、京浜急行電鉄との直通運転を行っていて、東京国際空港にも繋がっています。京成電鉄本線と成田スカイアクセス線直通により成田国際空港を結んでいます。京成電鉄、東京都交通局、京浜急行電鉄、北総鉄道の車両が行き来しています。
四ツ木駅で降りました。四ツ木は、日本にサッカーのブームを起こし、サッカー選手に影響をしたと言われる「キャプテン翼」の原作者である高橋陽一先生の出身地です。葛飾区四ツ木に、サッカーファンが訪れる様になりました。四ツ木駅も「キャプテン翼」の世界観を感じてもらうために、京成電鉄が四ツ木駅全体に「キャプテン翼」の装飾を施しました。
私たちは、四ツ木駅から京成立石誌駅までの間を歩きながら、地上線を行き来する電車を撮影しました。京成電鉄押上線は、2028年4月に四ツ木駅―青砥駅間の上り線を、2030年3月に四ツ木駅―青砥駅間の下り線を高架に切り替える予定です。既に路線の北側に側線が敷かれていました。
京成立石駅は、2024年10月に下り線を仮下り線に、2026年3月に上り線を仮上り線に、2028年4月に上り線を高架に、2030年3月に下り線を高架に切り替える予定です。既に、下り方面の跨線橋の一部が撤去尾されていました。
京成高砂駅で、青砥駅―京成高砂駅間の複々線区間、北総開発鉄道への高架線、高砂車両基地を往来する電車を撮影しました。
京成高砂駅は、京成電鉄本線、金町線、成田空港線と北総鉄道の北総線が乗り入れています。
部員たちは京成高砂駅での撮影の後、京成3400形3448編成の快速特急に乗って京成上野駅へ行きました。京成3400形電車は、1993年に導入された車両です。京成電鉄AE形の走行機器を再利用し、新たに大栄車輌で新製した普通鋼製車体と組み合わせた通勤形車両です。
京成上野駅から上野公園にある西郷隆盛像を見に行きました。上野公園にある西郷像は高村光雲の作、傍らの犬「ツン」は後藤貞行作、鋳造は岡崎雪聲、台座は塚本靖が設計しました。1889年の大日本帝国憲法発布に伴う大赦により、西郷隆盛の「逆徒」の汚名が解かれ、薩摩藩出身者が中心となり、西郷像の建設が計画され、1898年に完成しました。最後にJR上野駅で解散しました。
上野駅は、1883年に開業しました。鉄道が電化されるまでは皇居付近への乗り入れが認められず、また東京市が戦前に私鉄の都心乗り入れを認めなかったため、北は上野駅、南は新橋駅(後の汐留駅)、東は両国橋駅(現在の両国駅)、西は万世橋駅(現在の中央線お茶の水駅―神田駅間)が端点し、新宿駅・渋谷駅・池袋駅・上野駅・浅草駅は郊外へと伸びる路線のターミナル駅として発達しました。
1973年から2015年までの東京駅―上野駅間列車線分断期間は東北本線、高崎線、常磐線の出発点として、寝台列車や急行列車が発着していました。1991年に東北新幹線が東京駅まで延伸、2015年に上野東京ラインとして東京駅―上野駅間の列車線が復活したため、上野駅始発の列車が減りました。部員たちは上野駅で課題レポートの分担を確認し、解散しました。