鶴見線の紹介 中A組 サー

鶴見線とは、鶴見−扇町間を結ぶJR東日本の路線の一つであり、浅野−海芝浦間を走る海芝浦支線と武蔵白石−大川間を走る大川支線を持っている。



歴史
1924年に浅野財閥が中心となって鶴見臨港鉄道会社を設立。浅野総一郎が取締役社長に就任し、1926310日に浜川崎−弁天橋間、大川支線分岐点−大川間が貨物線として開業。同年410日には石油支線分岐点−石油(のちの浜安善駅)が開業。1928年に浜川崎−扇町間が開業した。1932610日に芝浦製作所(現在の東芝)の専用線を買収し浅野−新芝浦間が開業。19341223日に鶴見駅に乗り入れ開始。1943年国有化し、鶴見線となる。1971年に鶴見駅を除いた各駅の出改札業務が全て無人化された。

ナンバリング
鶴見線内のナンバリングはJIである。

鶴見線の見どころ
1.駅舎が国鉄時代の面影を残しており、車両も国鉄型の車両
2.本線の鶴見−国道間に残っている本山駅跡



3.鶴見−国道間で東海道線、京急線などの路線を跨ぐ
4.ホラー要素全開の国道駅
5.扇町の猫
6.”出られない”秘境駅海芝浦駅
7.本数が少なく、日中は運行しない大川支線
8.各線に残る廃線跡

運行形態
旅客輸送
全ての列車が各駅停車であり、全列車が鶴見を発車する。
朝夕は鶴見−浅野間が3〜10分間隔、浅野−扇真、海芝浦間が10、20分間隔である。
日中は鶴見−扇町、海芝浦間で1時間に1、2間隔で運行されていたが、2009年の改正で2時間間隔に減便され、武蔵白石、浜川崎止まりの列車が多くなった。浅野−武蔵白石間は20分、浜川崎間は40分間隔が基本であるが、海芝浦発着列車がある関係で、浅野−武蔵白石間が40分間隔になる時間帯がある。大川支線は日中(9〜16時台)は、1本も運行されておらず、土休日は朝の2往復と夕方の1往復のみである。2004年3月13日の改正まで土曜ダイヤが残されていたが、改正によって休日ダイヤと統合された。夜間停泊は鶴見と弁天橋で行っており、南武線浜川崎支線で運行すしている205系1000番台の出入りのため、弁天橋−尻手間で回送列車が設置されている。
鶴見−弁天橋間・鶴見−武蔵白石間・鶴見−浜川崎間・鶴見−扇町間・鶴見−海芝浦間・鶴見−大川間(武蔵白石駅は通過)・弁天橋−尻手間(回送列車)


貨物輸送



沿線が工場の並ぶ京浜工業地帯であるため、かつては多数の専用線が各駅に接続し、化学薬品や石油等の輸送が盛んに行われていた。その後、鉄道貨物輸送の縮小により、大きく数を減らしたが、現在は扇町(三井埠頭)への残土輸送と安善からの在日米軍横田基地向けの石油(ジェット燃料)輸送が行われている。また、海芝浦支線は定期列車が運行されることはないが、新芝浦の東芝向けの特大貨物輸送が稀に行われる。


鶴見線の車両 中1A組 マキ



205系 205系は1985年に開発された、国鉄初の本格的な車両で、もともと埼京線や山手線などで活躍していましたが、時代とともに古い車両という扱いが多くなり、2013年以降急速に置き換えられ、現在205系が走っているのは、南武支線と鶴見線のみです。



103系 1963年から1984年までに3447両が製造されました。最高速度は100kmで鶴見線の103系は2005年に引退しました。