春の雨と鶴見線 2023年3月26日()

鶴見駅―(鶴見線)―国道駅…鶴見小野駅…弁天橋駅―(鶴見線)―浅野駅―(鶴見線)―海芝浦駅―(鶴見線)―新芝浦駅…浅野駅―(鶴見線)―武蔵白石駅…大川駅…武蔵白石駅―(鶴見線)―扇町駅…昭和駅…浜川崎駅―(南武支線)―尻手駅・解散



春休み、鶴見線を散策しました。鶴見駅に集合しました。1926(大正15)年、臨海埋立地への輸送機関として、鶴見臨港鉄道が開通しました。1934(昭和9)年に省線(国鉄)と連絡し現在の鶴見線、鶴見駅が開業しました。1943(昭和18)年に国鉄に買収され鶴見線となりました。



鶴見駅は、鶴見線がかつて鶴見臨港鉄道の路線であった名残りで、2022228日まで京浜東北線と鶴見線の間に中間改札が設けられていました。



鶴見線が発着する3・4番線はアーチ型の鉄骨の屋根が設置されていて、レトロなこげ茶色の長い木製ベンチや壁掛け時計があります。



全員集合してから鶴見線に乗り、国道駅へ行きました。国道駅の高架下には、戦時中にアメリカ軍から空襲を受けた際の銃弾痕が残っているそうです。



忘れ物をしないように言い聞かせ電車に乗ったら、早速ホームのベンチに折りたたみ傘が置き去りになっていました。



鶴見小野駅で電車を降り、鶴見川を眺めながら国道駅へ戻りました。



今度は、国道駅から弁天橋駅まで鶴見線に乗りました。弁天橋駅は、漁師の守護神「弁天神」が奉られていたことから付けられたそうです。鶴見線沿線は工場地帯で、弁天橋駅の前にJFEエンジニアリングがあります。



弁天駅近くのコンビニで昼食を買う予定でしたが、工業地帯ということで、日曜は休みでした。コンビニを3件ほど回って、昼ご飯を買うことが出来ました。



浅野駅まで歩き、鶴見線海芝浦支線に乗って海芝浦駅へ行きました。海芝浦駅が東芝京浜事業所の敷地内の一部にあるので、一般人は海芝浦駅から外に出られません。



海芝浦駅は、「関東の駅百選」に認定された海のすぐそばにある駅です。改札の外には出られませんが、ホーム内に海芝公園があり、鶴見つばさ橋が綺麗に眺められます。



先日まで暖かい春の陽気が続いていたのに、今日は凄く雨が降りました。ゆっくり海を眺めている余裕がありませんでした。



折り返しの電車に乗り、新芝浦駅で降り、線路に沿って浅野駅まで歩きました。新芝浦駅は、運河に沿う小さい無人駅です。新芝浦駅舎の前に東芝工場のゲートがあります。



浅野駅は、浅野駅は本線と海芝浦支線の分岐駅。ホームはつ・番線まであり配置がユニークです。



鶴見線沿線は埋め立て地です。浅野駅の名称は、東京〜横浜間の遠浅な海岸に注目し、大型船が着岸できる東京湾の建設し、運河を開削した、明治時代にコンクリート王と呼ばれた浅野総一郎にちなんでいます。



次に、鶴見線に乗り、武蔵白石駅で降り、大川駅まで歩きました。大川駅は大川支線の終点で、平日は朝のラッシュ時間の後の時台から夕方16時台までは電車が来ない駅です。



部員たちは運河に浮かぶ船などを眺めながら武蔵白石駅と大川駅を往復歩きました。



武蔵白石駅は、大川支線への分岐はありますが、大川支線のホームはありません。武蔵白石駅の周りには日本鋳造や富士電機などの工場があります。



武蔵白石駅の名称は、日本鋼管(現・JFEスチール)の創立者である白石元次郎の名前にちなんでいます。



鶴見線に乗り、扇町駅へ行きました。扇町駅は鶴見線本線の終着駅です。かつては貨物輸送で賑わっていました。



扇町駅周辺は四方を運河に囲まれ、化学工場が沢山あります。扇町駅の名称は、浅野家の家紋である扇にちなんでいます。扇町駅には、猫が住みついています。



部員たちは、昭和駅に立ち寄り、浜川崎駅まで歩きました。部員たちは雨の中はしゃいで、水たまりの中を走り回りました。



昭和駅の駅名は、近くにある昭和電工の名前にちなんでいます。1931(昭和)6年、昭和電工(旧 昭和肥料)へのアクセスや貨物輸送を担う駅として開業しました。



浜川崎駅は、南武支線と鶴見線とが結節する駅です。南武線の浜川崎駅と鶴見線の浜川崎駅は一旦改札を出て道路を隔てて乗り換えます。浜川崎駅のホームより、貨物列車を撮影できます。



浜川崎駅より南武支線に乗り、尻手駅で解散しました。今日の散策で、部員たちは鶴見線と鶴見線沿線をのんびり散策しました。