京都散策 鞍馬寺 2018年12月26日(水)
貴船―(京都市営バス)―貴船口駅―(叡山電鉄)―鞍馬駅…鞍馬寺・散策…鞍馬駅
私たちは、京都市営バスと叡山電鉄を乗り継いで、鞍馬駅から鞍馬寺へ行きました。鞍馬駅の前には大きな天狗の像がありました。
部員たちは、仁王門を潜り、鬼一法眼社、川上地蔵堂など牛若丸史跡を巡りながら本殿金堂まで登りました。與謝野晶子寛歌碑を見学してから、鞍馬駅に戻りました。鞍馬駅の待合室には松明や牛若丸と鞍馬天狗の伝説を伝える絵が展示されていました。
鞍馬寺は、京都盆地の北部にある鞍馬山の南斜面に位置します。1949年までは天台宗に属したが、以降、独立して鞍馬弘教総本山となりました。鑑真の高弟である鑑禎により開山されたそうです。本尊は、寺では「尊天」と称しています。「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるそうです。
鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として有名で、能の『鞍馬天狗』でも知られています。鑑禎は、鑑真が唐から伴ってきた8人の高弟の中で最年少でした。772年に、鑑禎は霊夢を見て、山城国の北方に霊山があると告げられました。霊山を尋ねて出かけた鑑禎は、ある山の上方に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見ました。その山が鞍馬山でした。山に入った鑑禎は女形の鬼に襲われ殺されそうになるが、あわやという時、枯れ木が倒れてきて鬼はつぶされました。翌朝になると、そこには毘沙門天の像があったので、鑑禎はこれを祀る一寺を建立したそうです。
『今昔物語集』『扶桑略記』など諸書には別の伝承が見られます。それによれば、796年に藤原南家の出身で造東寺長官を務めた藤原伊勢人は、自分の個人的に信仰する観音を祀る寺を建てたいと考えていました。伊勢人は、ある夜見た霊夢のお告げにしたがい、白馬の後を追って鞍馬山に着くと、そこには毘沙門天を祀る小堂がありました。「自分は観音を信仰しているのに、ここに祀られているのは毘沙門天ではないか」と伊勢人はいぶかしがりました。ところが、その晩の夢に童子が現われ、「観音も毘沙門天も名前が違うだけで、実はもともと1つのものなのだ」と告げました。こうして伊勢人は千手観音の像をつくって、毘沙門天とともに安置し、鞍馬寺を創建したそうです。
9世紀末、東寺の僧・峯延が入寺したころから、鞍馬寺は真言宗寺院となるが、12世紀には天台宗に改宗し、以後の鞍馬寺は長く青蓮院の支配下にありました。1091年には白河上皇が参詣、1099年には関白藤原師通が参詣するなど、平安時代後期には広く信仰を集めていたようです。『枕草子』は「近うて遠きもの」の例として鞍馬寺の九十九(つづら)折りの参道を挙げています。
鞍馬寺は、江戸時代の1812年には一山炎上する大火災があり、1945年にも本殿などが焼失しています。このため、堂宇はいずれも新しいものだが、仏像などの文化財は豊富に伝えられています。昭和期の住職・信楽香雲は、1947年に鞍馬弘教を開宗しました。1949年には天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となりました。