伊予鉄道市内線に乗って松山を散策 2018年3月24日()

松山市駅―(
伊予鉄道市内線)―道後温泉駅―(伊予鉄道市内線)―JR松山駅…ホテル・宿泊



鉄研部員たちは、市内線に乗り、松山市駅から道後温泉駅へ向かいました。



車内は、多くのお客さんで賑わっていました。坊ちゃん列車も2編成が、松山市駅と道後温泉駅を行き来していました。



坊ちゃん列車の客車を牽引する蒸気機関は、車体自体にジャッキアップ装置が付いていて、松山市駅と道後温泉駅で転車出来る様になっていました。




道後温泉駅からお土産物店が立ち並ぶアーケード街を10分ほど歩くと、道後温泉の浴場に着きました。凄い数のお客さんで、大盛況となっていました。



部員たちは、伊予鉄道の1Dayパスを利用して、松山の町を散策しました。



高2C組 ヨッスィー 伊予鉄道 松山市内線について
伊予鉄道松山市内線とは、松山市内を走る城北線(古町〜平和通一丁目)、城南線(道後温泉〜大街道〜西堀端)、城南線連絡支線(平和通一丁目〜上一万)、本町線(本町一丁目〜本町六丁目)、大手町線(古町〜JR松山〜西堀端)、花園線(松山市駅〜南堀端)の5路線1支線からなる。
※城北線は道後鉄道として開業したので免許上は鉄道線、他線は軌道線である。
市内線には系統が1〜6(4は欠番)の5系統からなる。



1系統は緑の幕で、松山市駅から花園線を通り、南堀端電停から城南線、西堀端電停から大手町線、上一万電停から城北線、平和通一丁目電停から連絡線を経由、そのまま上一万電停から城南線、花園線を通り松山市駅に戻る環状線である。



2系統はオレンジの幕で、松山市駅から1系統と反対方向に松山市→南堀端→大街道→上一万→平和通1→古町→JR松山→西堀端→南堀端→松山市、という環状線である。



3系統は赤の幕で、松山市駅から花園線、南堀端電停から終点の道後温泉電停まで城南線を通る系統である。



5系統は青の幕で、JR松山駅前電停から大手町線、西堀端電停から城南線を経て道後温泉に至る系統である。



6系統は黒の幕で、松山市駅から花園線、南堀端から本町線を通り、本町六丁目まで至る。基本的に運転間隔は10分、6系統のみ40分間隔である。
軌間は1067mmで、花園線以外の各線はそれぞれ改軌を経験しており、城北線は762mm1067mm、その他路線は1435mm1067mmという経緯をたどっている。電化方式は全線架空電車線方式の600Vである。



大手町線には延伸計画があり、JR松山駅の高架化の後、JR松山駅の下に駅を設け、そこから南江戸の国道196号線までの700mを延伸するという計画である。またこの計画は、松山空港乗り入れ計画を見据えたものされている。また、本町線を国道196号線沿いに山越・鴨川地区への延伸をする構想も存在している。



市内線の現有車両について
モハ50
自社発注車(5178) 自社発注車は5169はナニワ工機(現アルナ車両)7078は帝國車両工業で製造された。5161の前期形と後期形の6278に分類され、以下の7形態に分類できる。
前期形 前期形は5155は京都市電800形の866880号車を設計ベースに、56以降は広電500形を設計ベースに製造された。1979年に京都市電2600形の廃車発生品を購入し、直接制御から間接非自動制御に改造され、主電動機も50kwのものに取り替えられた。



5153  1951年製のボギー車、製造当初の集電装置はポールであったが、1953年にビューゲル、1966年にZパンタに交換されている。また、客用扉は前後端であったが、1969年に前中扉に改められた。



54,55  1953年製でビューゲル装備で前後端扉だったが、5153と同様にZパンタ化、前中扉化されている。



5658  1954年製でビューゲル装備の前中扉仕様で、側面窓がいわゆるバス窓となっている。



5961  1957年製で防音防振台車、ビューゲル、バス窓を装備。前面窓の中央窓が左右に比べてやや横幅の広いものになっている。

後期形   前面窓が鉄道線600系と同デザインに変更され、軽量構造を採用している。また、製造時から間接非自動制御、パンタ、50kw電動機を装備している。
6264  1960年製、当時のバス車体で主流のモノコック構造を取り入れた軽量車体で、側面にリベットとリブがある。また、このグループは前扉が二枚引き戸である。



6569  1962年製で、前扉が一枚引き戸のほかは6264と同構造である。



7078  1964年に7073が、1965年に7478が製造された。6569とほぼどうこうぞうであるが、リベット・リブが無くなった。台車はコイルバネ台車を履いていたが、保守に手が掛かるため、1974年に名古屋市電1550系の廃車発生品に交換されている。

他社からの譲受車
10011003  1959年製で、元呉市電。1967年の呉市電廃止前に譲渡を受けた。車体は6264とほぼ同型である。
81  1963年製で、南海電鉄和歌山軌道線の321324号車で、1971年に譲渡を受けたが、使い勝手の悪さから1987年に冷房化されることなく廃車されている。現在、他社からの譲受車はすべて引退しており、1001号車のみ呉市電仕様に復元され、呉ポートピアパークに保存されている。また、自社発注車は515557596166687821両が現在も活躍している。



モハ2000形  モハ2000形は元京都市電2000形であり、196465年にかけて200120066両がナニワ工機で製造され、そのうち保存車になった2001を除く200220065両が1979年に伊予鉄道に譲渡されている。伊予鉄道譲渡にあたっては台車枠をそのままに車輪のバックゲージを1435mmから1067mmに改軌し、主電動機の交換やワンマン化などモハ50形に準じた仕様に改造を受け、197980年にかけて竣工した。また、1982年に冷房化された。設計ベースが5161号車と同じ京都市電800形であり、また5161号車が間接非自動制御化されたため、実質同型車として運用されている。



モハ2100形  モハ2100形は2002年に営業運転を開始した車両で、アルナ工機(現アルナ車両)によって20022005年までに毎年2両ずつ、20062007年に1両が導入され、21012110の計10両が活躍している。



モハ5000形  モハ5000形は2017年に5001,5002両がアルナ車両にて製造された。今後も増備をしていく方針である。



坊っちゃん列車  2001年より復元運転を開始した車両で、ディーゼル機関車と客車1〜2両を一編成としたものが2編成在籍する。第1編成はD1形1号車+ハ1形1号車,2号車の3両編成で、第2編成はD2形14号車と+3131号車の2両編成である。第1,第2編成共に新潟鐵工所製であり、D1形は甲1形をD2形は甲5形をモデルとしている。レプリカの蒸気機関車での運行が行われていた時期もあったのだが、市街地を走るためばい煙を排出しないディーゼル方式を採用し、ドラフト音はスピーカーから、煙突からは水蒸気が出るといった工夫がなされている。客車の屋根にはトロリーコンタクターを作動させるためのダミーのビューゲルが搭載されており、トロリーコンタクター付近のみ上昇させる。また、機関車を先頭にするように機回しをする必要があるが、スペースがないため軌道モーターカーと同じ油圧ジャッキによる方向転換装置が内蔵されており、入換時にはジャッキで機関車を持ち上げ、人力で方向転換をするという手法を採っている。運用時間外では、どちらかの編成が道後温泉駅前に留置され、観光客の記念撮影場所になっており、他方の編成は古町の車両基地で留置されている。



また、伊予鉄道は郊外線や市内線だけでなくバス事業も展開しており、伊予鉄バスと伊予鉄南予バスでかなり広い範囲を運行している。伊予鉄バス・伊予鉄南予バスでは、モノコックボデーの曰野K―RL321(1980年式)の国内唯一の動態保存車や、Pー規制の初代レインボーPJ(PーRJ172BA)、ブルーリボンHT(PHT233BA)などの全国的にも希少な車種が現存(2018年3月現在)しており、レトロなバスに乗ることができる。
このように工夫を凝らした坊っちゃん列車や、さまざまな車両を運用する伊予鉄道に1度乗りに来てはいかがだろうか。Pー規制のバスの撮影はお早めに。