横浜市電保存館 2017年10月3日()

横浜駅―(横浜市営バス)―滝頭…横浜市電保存館・見学…滝頭―(横浜市営バス)―横浜スタジアム



本日は、日学祭の代休です。無事に日学祭を終え、横浜を散策しました。まず、横浜市営バスに乗り、横浜市電保存館へ行きました。横浜市電は、1904年から1972年まで横浜市民の足として活躍しました。



横浜市電は、だいたい1927年以前の横浜市域を中心に運行していました。比較的後年まで単車が多く使用され、塗色は青を基調としたものでした。



1系統 六角橋→保土ヶ谷橋→弘明寺→尾上町→馬車道→桜木町駅前→横浜駅前→六角橋(循環運転)
2系統 生麦 - 横浜駅前 - 桜木町駅前 - 馬車道 - 麦田町 - 本牧一丁目
3系統 生麦 - 横浜駅前 - 西平沼橋 - 日の出町一丁目 - 長者町五丁目 - 山元町
4系統 保土ヶ谷橋 - 高島町 - 桜木町駅前 - 馬車道 - 麦田町 - 本牧一丁目
5系統 洪福寺 - 浅間下 - 平沼橋 - 高島町 - 桜木町駅前 - 馬車道 - 麦田町 - 間門
6系統 葦名橋 - 前里町四丁目 - 日の出町一丁目 - 桜木町駅前 - 8系統(循環運転)
7系統 中央市場 - 横浜駅前 - 浜松町 - 久保山 - 浦舟町 - 八幡橋
8系統 6系統 - 桜木町駅前 - 日本大通県庁前 - 浦舟町 - 杉田(循環運転)
9系統 六角橋 - 横浜駅西口 - 洪福寺前 - 浜松町 - 久保山 - 浦舟町
10系統 桜木町駅前 - 本町四丁目 - 吉野町三丁目- 弘明寺
11系統 六角橋 - 横浜駅前 - 桜木町駅前 - 馬車道 - 麦田町 - 間門 - 葦名橋
12系統 六角橋→尾上町→弘明寺→保土ヶ谷橋→六角橋(循環運転、1系統の逆ルート)
13系統 桜木町駅前 - 本町四丁目 - 阪東橋 - 吉野町三丁目 - 睦橋 - 杉田 末期は阪東橋-吉野町三丁目間が地下鉄工事のため廃止され、阪東橋 - 浦舟町 - 睦橋のルートとなった。



市電廃止後、7両の市電車両(52310071104131115101601・電動貨車10)が横浜市電保存館に保存されています。



横浜市電保存館は、1973年に滝頭車両工場跡地に開館し、その後、1983年には、現在の市営住宅1階に建て直されました。館内には、7両の市電車両、停留所標識、敷石が当時の姿で保存されています。



歴史展示コーナーでは、「横浜の発展と交通」をテーマとして、横浜の発展の礎となった吉田新田の干拓から、横浜開港、関東大震災、戦後の復興、横浜市電の最盛期を経て廃止に至る経過、その後の横浜の都市経過の基となる6大事業や地下鉄への移行などについて解説されています。




部員たちは、500型、1000型、1100型、1300型、1600型、1500型、無蓋貨車を次々と撮影した後、多目的コーナーで市電シミュレーターをやりました。



500型 500-559号の60両、横浜市電を代表する大型単車です。1928(昭和3)年に、東京瓦斯電気・蒲田車両・雨宮製作所で20両ずつ作られました。馬力が高く、1300型とともに3系統で運用されることが多かったです。



1000型 1928(昭和3)年に市電初のボギー車として登場した車両です。この車両は馬力が小さいため、主に10系統や6、8系統などの平坦な路線を中心に運用されました。中央扉は1枚戸の時と2枚戸の時がありました。1970年廃車。



1100型 戦前はクロスシートが設置されていたため、「ロマンスカー」の愛称がありました。座席の配置は片側クロスシートで片側ロングシートでした。しかし、戦時中に撤去され座席数が半減しました。1936(昭和11)年製。全廃まで使用。



1300型 車掌が乗務していた最後の車両です。登場時の形式は3000型でした。最大30両が在籍し、行き先表示が大きいものと小さいものがありました。運転手側のドアが自動ドアのものと手動のものなど微妙に仕様の違うものがありました。ほぼ全路線で使用されていましたが、500型と同様馬力が高いため、坂道の多い3系統、7系統で使用されることが多く、特に本牧線廃止以降、1300型は3系統専用車両となったため、全廃の1年前3系統の廃止に伴い廃車となりました。このため、3系統廃止時には、通常1500型で製作されていた装飾電車が1300型(1301号・1303号)で製作されました。



1500型 戦後各都市で製造されたDCCカーの一種だが、駆動装置は吊り掛け駆動方式です。1951年)製。制御器は間接制御器を使用していましたが、モータリゼーションの進行と1967年のワンマン化に伴い、直接制御器へ取り替えるなどして逆に1150型と同一の性能となりました。全廃時まで使用。



1600型 戦後の混乱期に製造された800型単車を置き換えるために、交通局滝頭工場で6両製造された最後の新車です。1957年製。外観は大阪市電3001形の車体に、京都市電700形の4枚折戸を取り付けたような車体となっていて、軽快で近代的な印象でした。横浜市電では、ワンマン改造はされないまま1970年の本牧線廃止を機に全車廃車されました。



無蓋貨車10 全廃時の花電車に使用された10号貨車は、現在市電保存館に保存されている車両の中で唯一、エアーブレーキでなく、ハンドブレーキを搭載している車両です。関東大震災前は山手のキリンビール工場のビール輸送に使われていました。全盛期には何両か在籍し、みなと祭りなどの行事の際には花電車に使用されていました。保線作業などに使用されていた写真も残っています。



横浜市電保存館を見学した後、横浜市営バスに乗って中華街へ行きました。中が街で中華料理を食べた後、港が見える丘公園、外人墓地や洋館を見学しました。