上田城址公園 上田電鉄傍陽線の廃線跡  2017年4月2日()

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下之郷の取材で、上田城へ行けば、上田電鉄傍陽線の廃線跡を見られると聞き、上田城へ行きました。



上田城は、信濃国小県の真田本城主の真田昌幸が当主であった真田氏により、1583年に築城されました。1585年、1600年に真田氏と徳川軍との間で行われた上田合戦で有名です。関ヶ原の戦いで真田昌幸が属した西軍が敗れ、昌幸が九度山に配流となり、上田城が1601年に徳川軍に破却され、堀も埋められました。江戸時代には上田藩の藩庁が置かれていました。



明治以降は、破却や城外への移築が行われて城内には石垣と櫓(西櫓)が1棟残るのみでしたが、昭和期に移築されていた本丸の櫓2棟が元の位置に復元され、平成期には櫓門や塀などが木造復元されました。今後二の丸の土塁や塀なども復元されることになっています。現在は旧二の丸内が上田城跡公園になっていて、毎年花見の季節になると、多くの市民や観光客で賑わいます。また、敷地内には、野球場、市立博物館、招魂社などが置かれています。本丸跡には眞田神社(真田神社)があります。境内には古井戸があり、「城外への抜け穴になっていた」との伝説があります。三の丸の藩主居館跡には、松平氏時代の屋敷門と堀が残されています。



上田電鉄傍陽線の廃線跡を見学しました。