春期合宿 長野電鉄に乗って湯田中温泉へ 2017年4月2日(日)
長野駅―(長野電鉄)―湯田中駅・足湯入浴―(長野電鉄)―信州中野駅―(長野電鉄)―長野駅…ホテルスマイル長野
長野駅から長野電鉄A特急「ゆけむり」に乗って、湯田中駅へ行きました。「ゆけむり」は、老朽化した長野電鉄2000系の代替として、小田急電鉄で使用されていたロマンスカー10000形「HiSE」を長野電鉄が無償で譲り受けた車両です。
部員たちは、先頭車の展望席を陣取り、志賀高原の絶景を眺めました。
湯田中駅は、以前は2面2線の相対式ホームの駅で、いつもは2番線のみを使用していました。
2面2線時代は、平坦な場所にあるホームに3両編成を入れるために、駅の奥にある県道の踏切を乗り越えて、200mの延長線を走ってからスイッチバックをして入線する駅でした。
湯田中駅が40‰の勾配を登りきった所にあり、信州中野駅方へ平坦な場所でホームを延長することが難しく、そのままでは駅の奥にある県道の踏切に先頭車がかかったためです。
2両編成の電車ならそのまま入線しても全長がホームに入ったのでスイッチバックは行われませんでした。
2006年9月1日〜30日に行われた改修工事により、このスイッチバックが解消され、現在のホームとなり、駅の奥の踏切と200mの延長線も廃止されました。
2006年12月9日に営業運転を開始した1000系電車の運転席の位置や構造、スイッチバック方式の駅への乗り入れが難しかったので、このスイッチバックが廃止されました。
旧1番線側にある旧駅舎には、「湯田中駅前温泉
楓の湯」(日帰り入浴施設)があります。部員たちは、駅舎の前にある足湯につかりました。
湯田中駅を見学した後、長野電鉄3500系に乗り信州中野駅へ戻りました。
3500系は、長野電鉄が営団地下鉄(現在の東京メトロ)から、廃車となった日比谷線の営団3000系を譲受・改造した車両です。
部員たちは、「これは、1961年に営団地下鉄日比谷線に導入された通勤形電車だ。」と言って、外装や車内を撮影しまくっていました。
信州中野駅の木島線と山の内線の分岐。2002年4月1日に木島線、信州中野駅から木島駅まで廃止されました。
湯田中駅よりB特急2100系「スノーモンキー」に乗りました。
2100系は、老朽化した長野電鉄2000系の代替としてJR東日本253系「を譲り受けた車両です。253系電車は、成田国際空港へのアクセス特急「成田エクスプレス」の専用車両として、1991年3月19日に運用を開始したJR東日本の直流特急形車両です。部員たちは、個室の指定席をとり、長野駅まで乗りました。
途中、小布施駅構内にある「ながでん電車の広場」に保存されている2000系D編成の3両を見て、「以前に来た時は、あの電車に乗ったな。」と懐かしんでいました。
長野電鉄長野駅に着くと、「この駅は、神戸電鉄新開地駅に似ているな。」と言っていました。
今日は、長野電鉄に乗りながら、各車両をゆっくり撮影しました。
高1A組 タクヤ 長野電鉄
概要 須坂や中野といった千曲川東岸地域と国鉄線の接続による産業輸送近代化を目的とした「河東鉄道」を発祥とし、その後県都である長野との接続を図る「長野電気鉄道」を設立し須坂駅 - 長野駅間を開業、両社を統合して発足したのが現在の長野電鉄である。複線区間では20〜30分毎の高頻度運転を続けており、長野市の都市計画において長野都市圏の大動脈として位置付けられ沿線の開発も進み、また長野市と須坂市・中野市を結ぶ都市間路線としての機能も強くなったことから観光色は若干弱くなっていたが、新型特急用車両の導入により観光輸送にも改めて取り組んでいる。かつては直営でバス事業も行っていたが1987年3月より一部路線を順次、長電グループの子会社に移管し、1997年10月には残るバス事業を長電バスに分社した。
現役車両
2100系:通称「スノーモンキー」。3両編成2本。元JR東日本253系。2011年 2月26日から特急列車として営業運転開始。
10000系:通称「ゆけむり」。4両編成2本。元小田急ロマンスカー10000形Hize。2006年12月9日から特急列車として営業運転開始
8500系:元東急8500系。2005年9月2日より営業運転開始。
3500系:元営団3000系。