遊歩道アプトの道         2016年9月5日()

横川駅―(タクシー)―熊ノ平…遊歩道アプトの道・めがね橋・旧丸山変電所・碓氷関所跡…横川サービスエリア…横川駅―(信越本線)―高崎駅―(湘南新宿ライン)―新宿駅・解散



横川駅からタクシーに乗り、熊ノ平へ行きました。熊ノ平より、遊歩道アプトの道を横川まで6kmを歩きました。遊歩道アプトの道は、かつての横川・軽井沢間のアプト式路線の跡を遊歩道にしたものです。熊ノ平は、横川・軽井沢間の唯一の平坦地で、単線だったアプト区間の交換駅でした。



私たちは、遊歩道を歩きながら、排煙口のあるトンネル、明治25年に建設された4連アーチ式鉄道橋、明治44年に建設された旧丸山変電所、碓氷関所跡を見学しました。タクシーで熊ノ平に来た時は、ずいぶん遠くに来た気がしましたが、遊歩道が横川まで殆どまっすぐの道のりだったので、意外と近かったです。



鉄道文化むら裏手から坂道を登り、上信越自動車道の横川サービスエリアへ行きました。そこで、荻野屋の峠の釜めしを買い、サービスエリアにある静態保存車キハ57急行「志賀」の中で食べました。



帰りの電車の出発時間が差し迫っていたので、サービスエリアから横川駅まで下り道を走りました。



今日一日、横川・軽井沢間について、様々な資料や廃線跡を見学しました。



卒業生 シバ
 信越本線は1885年に上野−横川間、1888年に軽井沢−直江津間が開業し、残す区間は横川〜軽井沢間のみとなっていました。横川〜軽井沢間には碓氷峠という険しい山があり、スイッチバック・ループ線などを設ける方法では対処できないため、レールの間に敷かれたラックレールに歯車をかみ合わせて走行する「アプト式」が採用されました。11.2kmの間に 18 の橋梁と 26 のトンネルが建設され、1893年に横川 - 軽井沢間が開通し、信越本線が全通しました。碓氷峠を越えることから「碓氷線」、また横川と軽井沢の頭文字を取って「横軽」とも呼ばれています。この区間には最大で 66.7 ‰という急勾配が存在します。列車単独での運転は困難であったため、列車の軽井沢よりに1両、横川よりに3両、ED42型電気機関車が連結されていました。ED42型電気機関車は横軽対策が施されてる機関車で、旧線時代の横川〜軽井沢間が第三軌条方式であったため、パンタグラフだけでなく、台車にも集電装置が設置されていました。旧線の老朽化に伴い、1963年には旧線のやや北側をほぼ並行するルートで新線が1線で開通し、アプト式は廃止され、アプト式廃止とともにED42型電気機関車も廃止されました。1966年には、旧アプト式線の一部を改修工事する形でもう1線が開通し単線から複線になりました。新線開業後も単独での運転は勾配に対応できず、EF63型電気機関車2両編成1組を常に連結することとなりました。勾配を登る下り列車(横川→軽井沢)を押し上げ、勾配を下る上り列車(軽井沢→横川)は発電ブレーキによる抑速ブレーキとなるという機能であったために必ず勾配の麓側にあたる横川側に2両が連結さていました。EF63型電気機関車はED42型電気機関車としてデビューし、横川〜軽井沢間が廃止になる1997年まで使われました。引退後は一部の機関車が安中市に引き取られ、体験運転用に動態保存されています。鉄道の難所として知られていた碓氷峠を走行していた信越本線でしたが、1997年に北陸新幹線(長野新幹線)が長野まで暫定開業し、並行在来線であった信越本線は軽井沢〜篠ノ井間がJR東日本から経営分離され、「しなの鉄道」になりました。高崎−横川間はJR東日本が引き続きましたが、横川〜軽井沢間は乗客の利用者数が見込めないことや設備投資に膨大な費用がかかることから第三セクターに引き継がれることなく廃止されました。現在では、旧線が遊歩道として整備され、「アプトの道」として横川駅−旧熊ノ平信号所(熊ノ平駅)まで歩くことができます。



1997年3月31()撮影と2016年9月4日()撮影



高1C組 ヨッシー 碓氷峠のアプト式
 碓氷峠は山頂への勾配が軽井沢側と横川側で大きく違う、いわゆる片峠です(軽井沢と山頂の標高差:30m 横川と山頂の標高差:600)。なので、一般的な峠の下方を隧道で通過するという手法が取れず、通常の鉄道列車が通過できる勾配まで緩和することができず、1885年に上野−横川を、1888年に軽井沢−直江津間を開通させた内閣鉄道局(後の国鉄)は碓氷峠越えを苦戦していました(最大勾配66.7)そこで、ドイツのハルツ山を参考にアプト式を導入し、1893年横川−軽井沢間を開業させました。碓氷峠にはアプト式に対応した専用の機関車が用意されました。開業当初〜1911年までは蒸気機関車の国鉄3900・392039503980形が使用されていました。しかし、隧道内の煤煙で乗務員が窒息や吐血をしたので、1911年に横川火力発電所を設置し、1912年に日本初の幹線電化が行われました。この電化は、架空電車線方式ではなく、第三軌条方式での電化となっています。電化後に投入された電気機関車について解説します。国鉄EC40形 国鉄EC40形(10000形)は鉄道院が1912年に輸入した鉄道院初の電気機関車です。ドイツで製造され、輸入されました。当初、10000形の10000〜10011としましたが、1928年よりEC40形のEC40-1〜EC40-12に改番されました。10004・10009は事故で大破したが復旧されました。電化により、所要時間が1時15分から49分に大幅短縮されました。現在、軽井沢駅に10000が保存されています。また、このEC40-1(10000)とEC40ー2は京福電鉄福井支社(現えちぜん鉄道)に払い下げられ、テキ511・512として入線しています。国鉄から全廃:1936年 テキ512(最後のEC40)廃車:1970 



国鉄ED40形 国鉄ED40形は鉄道院が1919年〜1923年に製造した機関車です。当初、10020形の1002010033でしたが、1928年にED40形のED401ED4014と改番されました。1951年には、ED4013が歯車などを下ろし、富山港線で使用された記録があります。また、東武鉄道にED40610ED400040014002として入線しました。1955年には、ED600601602に改番されました。さらに、駿豆鉄道(現伊豆箱根鉄道駿豆線)にもED4091113が譲渡され、ED401112(9)13(14)として入線しました。1949年にはED401213が岳南鉄道に再譲渡されました。また、ED40111953年に大改造され、ED11と改番されました。このED111967年岳南鉄道に譲渡されED31311として使用されました。ED40-34は南海電気鉄道に譲渡され、516151615162として入線しました。また、5162は秋田中央鉄道に譲渡され、ED40ED401に改番され、使用されました。現在、ED4010が鉄道博物館にて保存されています。国鉄全廃:1952年 ED602(最後のED40)廃車:1968年 国鉄ED41形 ED41形は1926年鉄道院が輸入した電気機関車です。スイス製でアプト式電気機関車の出力増強のプロトタイプに2両輸入されました。当初は10040形の1004010041でしたが、1928年にED41形のED41-12に改番されました。保存車・私鉄譲渡車はおらず、全車解体されました。国鉄全廃:1951 



国鉄ED42形 国鉄ED42形は、1934年〜1948年に鉄道省が製造した機関車です。EC40形の置き換え用として製造されました。基本設計は上のED41形を踏襲しています。ED42形ED42ー1〜28まで製造されました。1〜22の戦前形と23〜28の戦時形に分類され、18〜24は側面通風性フィルターの網目が細かい差異があります。運用(1951年以降)は、軽井沢方から第3補機+客車など+第2補機+第1補機+本務機の構成で最大360tの列車を推進、牽引しました。協調運転ではないのでノッチ進段やノッチオフやブレーキのタイミングは連絡を取り合ってあわせています。しかし、本務機〜第2補機までは直通電話がありますが、第3補機は電話が通じていないので汽笛で合図し合っていたそうです。本務機が隧道にいて第3補機が隧道にいない場合などは汽笛が聞こえないこともあったそうです。碓氷峠の粘着運転化による新線開通・EF63形の導入によって、全車廃車されました。ED421が碓氷峠鉄道文化村に、ED422が軽井沢町の東部小学校に保存されています。 国鉄全廃:1963 



また、横川−軽井沢間には交換用として熊ノ平駅がありました。熊ノ平駅は、1893年給水給炭所であり、列車交換所として設置されました。1905年には鉄道駅に昇格し、1937年駅構内に熊ノ平変電所が設置されました。1966年には信号所に降格し、1997年の横川〜軽井沢間廃線と共に廃止されました。アプト時代には、客車だけではなく、キハ57やキハ82の急行・特急も1961年より運用されていました。しかし、所要時間短縮などのため、アプト線は1963年に新線の(後の)上り線側が完成したことにより70年の歴史に幕を閉じました。



1966
年に旧線の一部を改修して下り線側が完成し、現在の形になっています。
1997年には長野新幹線(北陸新幹線)開業により横川−軽井沢間が廃止され、碓氷峠越えは新しい時代に移り変わって行きました。旧線は1996年〜2001年に横川−碓氷第三橋梁間が、そして2008年〜2012年に碓氷第三橋梁〜熊ノ平信号所までがアプトの道として整備されました。現時点では熊ノ平信号所〜軽井沢間の整備の計画は無いようです。