富山地方鉄道 稲荷町テクニカルセンター 2013年4月2日(火)
アパホテル魚津駅前…新魚津駅―(富山地方鉄道)―稲荷町駅…富山地方鉄道稲荷町テクニカルセンター・取材…稲荷町駅―(富山地方鉄道)―電鉄富山駅…富山駅・電車撮影
本日の午前、富山地方鉄道の稲荷町テクニカルセンターを取材しました。
新魚津駅から富山地方鉄道の快速急行電車に乗り、稲荷町駅へ行きました。大変スピード感のある電車でした。
途中、上市駅はスイッチバックの駅、寺田駅は立山線と本線の分岐駅と行きかう電車を眺めるのも楽しかったです。
稲荷町駅は、本線と不二越線の分岐駅で、稲荷町テクニカルセンターという大きな車両工場のある駅です。
富山地方鉄道は、富山県東部を中心に鉄道路線とバス路線を運営しています。1930年に富山電気鉄道が設立しました。富山電気鉄道は、立山鉄道(立山線 五百石 - 岩峅寺間)、富南鉄道(不二越線)、富岩鉄道(富岩線)が合弁して、設立した鉄道会社です。
1943年1月1日に「陸上交通事業調整法」に基づき、富山電気鉄道を母体に、富山県内の私営・公営鉄軌道とバス会社が合併され、富山地方鉄道が設立しました。合併に参加した鉄道会社は、富山電気鉄道(本線 電鉄富山 - 電鉄黒部間・立山線 寺田 - 岩峅寺間)・加越鉄道(加越線)、富山県営鉄道(上滝線、立山線 岩峅寺 - 立山間)、黒部鉄道(本線 電鉄黒部 - 宇奈月温泉間)、越中鉄道(射水線)、富山市営軌道(富山市内軌道線)です。駅名は、現在のものです。創業者が打ち立てた「一県一市街化」、全県下から中心部までを1時間圏内にする理念を守り、100km 余りの鉄軌道を維持しています。
鉄道、路面電車、バスと富山の公共交通の大部分を担っているという特性を生かし、交通系ICカードの普及や、高齢者向けの乗り放題定期券、学生のフリー定期券などのサービスなど、市民のために質の良い交通システムを提供しています。
現有路線の総延長距離は一時期、路線の譲渡や廃止により100kmを下回りました。2009年12月23日に富山市内軌道線を環状線化する0.9kmの新線が開業し、再び保有路線が100kmを超えました。
富山地方鉄道の車両工場と車庫は、南富山駅と上市駅にありました。1969(昭和44)年11月26日に稲荷町車両基地が竣工して、南富山の工機工場と上市の車庫は廃止されました。上市は保線基地に、南富山は軌道線(600V)の車両基地となりました。鉄道線(1500V)の車庫は電鉄黒部駅にもあります。
稲荷町車両基地には、鉄道センタービル、車両整備工場、車両検収庫、資材倉庫があります。鉄道センタービルの1階は、稲荷町テクニカルセンターになっており、2階は鉄軌道部の営業課、運転管理課、技術管理課、稲荷町運転区の乗務員室になっています。鉄道線(1500V)区間をコントロールするCTC制御装置も鉄道センタービルにあります。
稲荷町駅に到着すると、富山地方鉄道の方が出迎えて下さり、すぐに私たちは、鉄道センタービルの2階に案内され、富山地方鉄道の沿革、テクニカルセンターの設備や役割、2011年に富山地方鉄道がロケ地となった映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」を撮影した時のエピソードについて解説していただきました。
次に検修庫で、10030系車両の検査を見学しました。10030系は1991年から1996年にかけて京阪電鉄の3000系特急電車の車体と営団地下鉄の走行装置を利用して稲荷町工場で製造されました。
パンタグラフは、奇数車に下枠交差のPT4829Aが取り付けられています。
10030系はすべて2両編成で8本、16両すべてがワンマン化改造されています。走行装置は営団地下鉄(現:東京地下鉄)日比谷線3000系のFS−336を使用しましたが、振動の問題から、同じ3000系のFS−510に交換されました。
1996年から1999年にかけてモハ10039+モハ10040、モハ10041+モハ10042、モハ10043+モハ10044、モハ10045+モハ10046の4編成がJR発生品のDT32に交換され出力を上げました。
その他、10030系全編成で、連結器の交換とスカートの取り外しがで行われています。
富山地方鉄道の全旅客車両で、密着自動連結器から密着連結器へ交換が行われています。密着連結器は、現在は連結器カバーが付けられています。台車にはスノープラウが取り付けられていました。
導入当初10030系は、特急用を中心に運用されていました。ドア位置の関係からワンマン化に最も適した車両として最初にワンマン化されました。富山地方鉄道で最も多く見かける車両になっています。
工場の入口には、クハ170形電車が置かれていました。クハ170形は、カルダン駆動車両の制御車として導入されました。これまでに4種類の形態が導入されました。このうちの2種は、クハ170形から形式名が分割されて正式にはクハ173形・クハ175形とされました。
クハ171形は、1969年の輸送需要見直しに伴い、10020形第1編成に組みこまれていたサハ221・14720形の編成に組みこまれていたサハ222を編成から外した上で、先頭車化改造を行った片運転台制御車です。この2両の元の車体は、先頭車から運転台部分をなくしたものだったため、その分全長も17.3mと短くなっています。この2両は14720形の2両を分割し、それぞれの制御車として使用されることになり、モハ14720形-クハ170形の編成となりました。
クハ173は、1969年の輸送需要見直しに伴い、10020形第2・3編成に組みこまれていたサハ223・224を編成から外した上で、先頭車化改造を行った片運転台制御車です。この2両の車体は先頭車から運転台部分をなくしただけでなく、扉間の座席数を増加させたため、全長は18.6mです。この2両とも増結用として電動車の編成に増結する形で運用されました。そのため貫通扉はなく、連結面はセンターピラーの細い固定連窓です。
クハ173は、1980年代後半に冷房改造されました。当初は補助電源がなく、大容量の電力供給ができる車両との増結時しか冷房が使用できませんでした。後で改造され、冷房車として運用されていたクハ175と同様、床下に電動発電機を搭載し、単車での冷房使用を可能にしました。1995年に形式名がクハ170形から分割され、クハ173形に変更されました。運転台の真後ろから全てが転換クロスシートなので、特急の増結などに使用されました。
クハ175形は、1981年に製造された片運転台制御車です。車体は当時増備されていた14760形と同一の構造ですが、はじめから増結車として製造されたので、運転台のない側の妻面が連続窓風の2枚窓の非貫通な構造となっています。増結用車両としては、初めての冷房車で、床下には電動発電機を搭載し、非冷房車の増結に運用された場合でも冷房が使用可能です。クハ173形と同じく、1995年に形式が分割・変更されてクハ175形となりました。
次に、7000形の検査を見学しました。7000形は1957年から東京都電をモデルに製作されました。22両製作されましたが、現在12両が冷房化され残っています。富山地鉄は、鉄道線・軌道線ともに全ての車両が冷房化されています。冷房化は1984年7月に7020・7021が行われ、1989年6月の7013を最後に完了しました。1990年から7017・7020〜7023の5両に電照式の広告が取り付けられました。
塗装は稲荷町車両基地の塗装工場で行われています。市電の南富山車両基地と鉄道線の稲荷町車両基地の間を、深夜に不二越線をDL形機関車に牽引されて移動します。7018のみが旧オリジナル塗装で残っています。
7000形は、T100形の導入により、状態の悪い車両から順次廃車になるそうです。
軌道線(600V)車両も日常の点検整備は南富山車両基地で行いますが、全般検査や板金塗装は稲荷町工場で行われます。軌道線車両は南富山車両基地のディーゼル機関車に牽引されて、不二越線を通って稲荷町工場へ入場します。通常、検査をする車両の牽引は、不二越・上滝線終電後の深夜に行われます。
写真の左側に写っている黄色いディーゼルカーは、DLです。1962年から1963年にかけて富士重工で製造された小型のモーターカーです。ラッセル装置を装着し、主に電鉄黒部、上市、南富山駅構内の除雪に使用されています。走行機関はいすゞ製で120PSです。稲荷町の塗装工場で市電600V車両を塗装する時、市内電車を終電後に牽引して稲荷町工場と南富山車両基地を走行します。
次に検査ピットで、14760系の検査を見学しました。14760系は、1979年から1981年にかけて、日本車輌で製造されました。富山地方鉄道では、最初の冷房車で2両編成が7編成と、増結用のクハ1両の15両があります。第4、第5編成が緑と黄色の10030系と同じ塗装です。
1980年に鉄道友の会からローレル賞を受賞した車両です。加速性能が良く、本線では発車して直ぐに富山地方鉄道の認可最高速度95km/hに達します。JR特急より早く感じる加速性能です。全てがワンマン化改造されています。
運賃表示器が多機能の液晶ディスプレーに交換されましたが、富山地方鉄道全駅が同時に表示できず不評だったため、IC乗車券の使用を開始した時に、従来のLEDの同時表示できる物に交換されました。
次に私たちは、車両基地にあるアルプスエキスプレスを見学しました。アルプスエキスプレスは、西武鉄道の5000系レッドアローの車体のみ譲り受け、稲荷町工場で、JRの485系などの廃車発生品を利用して1995年に第1編成、1996年に第2編成が作られました。
第2編成は2005年3月に、第1編成は2006年3月に稲荷町工場で2連化とワンマン化改造工事が実施されました。走行装置は、485系の廃車発生品を利用しています。直線が続く西魚津駅−新魚津駅間などでの乗り心地がJRの485系と似ています。
2011年に映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」の公開を機に第2編成のモハ16013+サハ112+モハ16014が改装されました。JR九州の車両を数多く手がけた水戸岡鋭治氏のデザインによる「アルプスエキスプレス」となりました。西武時代からの外観を維持し、車体前面と側面にロゴマークなどが入りました。アルプスエキスプレスは3両編成で、2号車は内装全体に木材を使い、軽食や飲み物の販売ブースを設置しました。
木製の枠が付いた大きな窓から、立山連峰などの景色をじっくりと眺められます。窓側を向いたり、向かい合わせなど様々なシートを40席配置しています。先頭になる1、3号車も木製を基調としたものに統一されました。硝子で仕切られた4人用席を新設し、シートも青色一色から多彩な色のものに新調されました。
鉄道線でICカードが運用される様になり、ワンマン機器も取り替えられました。運賃表示器は支線からの運賃が表示できないなどの問題があり、液晶からLEDタイプに変更されました。アルプスエキスプレス編成の2号車は、座席指定車です。210円の指定席料金が必要で、2号車内でアテンダントが指定券を販売します。
写真右側に写っている電気機関車は、デキ12021です。1958年に東芝にて製造されました。黒部第4ダムを建設する時に、資材の運搬用として製造されました。製造時は関西電力が所有していました。関西電力の社紋が付いていました。1983年に貨物輸送が廃止されてから、稲荷町車輛区の定位置に留置されています。時々、保線作業のために、ホキ80形を牽引して走ります。
本線と上滝線の間には、自動洗車装置がありました。
富山地方鉄道の方々が、詳しく案内して下さったお陰で、富山地方鉄道と稲荷町テクニカルセンターの役割について詳しく学ぶ事が出来ました。テクニカルセンターを取材した後、稲荷町駅で行き来する富山地方鉄道の電車を撮影した後、電鉄富山駅に向かいました。
電鉄富山駅で、モハ10033+モハ10034を撮影しました。かつての京阪3000系電車、1971年から1973年にかけて製造された、京阪電気鉄道の特急型車両テレビカーです。2013年3月に京阪電気鉄道で3000形車両が廃止される事を記念して、2012年4月にモハ10033+モハ10034が京阪特急色に変更されました。
10030系は、1990年に京阪電鉄より富山地方鉄道に譲渡されました。モハ10033+10034は、2012年4月に京阪時代の塗装に変更され、連結面の貫通扉の上に液晶テレビを設置しました。8月17日よりNHKの番組の放映を開始しました。富山駅前で、富山地方鉄道市内線を撮影しました。
写真は、8000形です。1993年7月に5両投入されました。VVVFインバーター制御、シングルアームパンタグラフ、ワンハンドルマスコンを採用した日本車輌製の路面電車です。現在はICカード化により、乗車口に設置されていたトラムカード発売機は無くなっています。
写真は、9000形です。2010年12月に環状線用車両として3編成が導入されました。2両連接車の超低床車両です。メンテナンスや将来の富山ライトレールとの直通運転も考慮して富山ライトレールの0600形と同型の車両となりました。白、銀、黒のカラーリングを採用し、愛称はCENTRAN(セントラム)です。ドイツのボンバルディア社製で新潟トランシスで車体製作と組み立が行われました。同型の電車が熊本市交通局、岡山電気軌道、万葉線、富山ライトレールで走っています。
私たちは、富山駅で富山地方鉄道の各車両を撮影してから、JR北陸本線に乗り、北陸鉄道鶴来検車区へ向かいました。