雪の阿弥陀岳 北稜に挑戦 赤岳 地蔵尾根の下り 2012年3月29日(木)
行者小屋キャンプ場…阿弥陀岳北稜線…阿弥陀岳(2805m)…中岳(2700m)…赤岳(2899m)…地蔵尾根…行者小屋キャンプ場
本日山渓部員たちは、北稜、雪が積もったバリエーションルートから阿弥陀岳の山頂を目指しました。1年間の訓練の成果を試しました。
まず、ハーネスをつけ、アイゼンをはき、ザイルを持って行者小屋を出発しました。中岳沢側から北稜を目指しました。昨夜雪が降ったので、新雪が積もっていました。部員たちは、代わる代わる先頭を勤め、元気にトレースを作って行きました。
北稜に立ち登りつめて行くと、第二岩稜の取り付きの前に出ました。岩にボルトが備え付けられていて、セルフビレイが取れるようになっていました。
早速、スリング、カラビナ、ザイルを使って自己確保の体制を組みました。が、ここでセルフビレイが学園で練習した様にできず、顧問の高橋先生一喝入れられました。
「本番で、今まで練習したことができないのなら、岩稜の左側にあるエスケープルートから阿弥陀岳に登るぞ。」と言われました。部員たちは、「落ち着いてしっかり取り組むので、岩稜を登らせてほしい。」と訴えました。
そこで、高橋先生と高2Bのタツキチがリードを勤めました。二人が1本ずつザイルを持って、要所要所でスリングとカラビナを使ってセルフをとりながら、岩稜を登り、ザイルを張りました。
この時、高橋先生がタツキチに手足の動きまで支持する心積もりでしたが、タツキチが自身の判断で身をこなし岩稜を登ることができました。高橋先生は、スリングやカラビナを設置する地点をタツキチに支持しました。
高橋先生とタツキチは、第二岩稜の上部にあるテラスにセルフビレイをとり、残りの部員たちの確保に努めました。
第二岩稜に2本のザイルが張られました。部員たちは、最初に高橋先生が確保しているザイルを使って、次にタツキチが確保しているザイルを使って2人ずつ岩稜を登りました。
いったん部員全員がテラスに集合してから、2ピッチ目に取り掛かりました。同じ要領で全員が登りました。
第二岩稜の最上部から阿弥陀岳の頂上につながる斜面との間にナイフリッジがありました。登山ガイドやインターネットで前もって写真では見ていました。特に、右側斜面が深く切れていました。左側斜面の方が比較的緩やかでした。左側斜面の方の雪を踏み固めて、トレースを作り突破しました。
ナイフリッジを越えると、阿弥陀岳頂上まで急な雪の斜面が続きました。ここからは、3人1組のコンテニュアスで登りました。
阿弥陀岳頂上に着くと、さすがに部員たちの表情が歓喜に満ちました。しかも、快晴に恵まれ、北岳や甲斐駒ケ岳、穂高岳や剱岳など、今まで山渓部が登頂した山々が一望できました。
一休みしてから、赤岳を目指しました。阿弥陀岳の下り道は急で、しかもアイゼンに雪が団子の様にべったり付きました。アイゼンの前爪とピッケルを頼りに、コンテニュアスで慎重に下りました。
中岳の通過、中岳から赤岳頂上への登り道でずいぶんとバテました。文三郎道の分岐まで来ると、赤岳頂上が目の前に見えました。いつもの夏の登山だと、あっと言う間に頂上に着くはずなのに、今日はなかなか付きませんでした。
赤岳頂上に立った時、ホッと息をつきました。みんなで記念写真を撮りました。赤岳頂上小屋の前の広場へ行き、行動食を食べたり、景色を眺めて休みました。
最後に、地蔵尾根から行者小屋へ下りました。眼下に行者小屋や赤岳鉱泉が見えるのだが、気が抜けません。地蔵仏から地蔵尾根の下り道を眺めると、夏の登山の時とはまったく違った印象でした。
痩せた雪の尾根で、今まで練習したとおりに行動しないと、谷底へ真っ逆さまに落ちそうでした。高橋先生より、「アイゼンを引っ掛けないように慎重に下るように。」と指示をされました。
部員たちはかなり慎重に雪を踏みしめながら下って行きました。
暫く下ると樹林帯に差し掛かりました。樹林帯の入り口にある大きな一本の木の前でザイルをはずし、アイゼンを脱ぎました。傾斜が緩んでホッとするいつもも所です。
ここから、行者小屋までアイゼンを付けずに雪上を歩く訓練をしました。が、途中で高1Bユウの足元の雪が崩れました。とっさにユウが富士山で練習した滑落停止の体制をとり、怪我をしないですみました。
行者小屋に戻ってから、寝袋を干し、雪を集め飲料水を作りました。テントの中でペミカンを食べ、明日の硫黄岳登頂に備えゆっくり寝ました。