みくりが池温泉で入浴   2011年8月11日(木)

剱沢キャンプ場・テント撤収…(40)…別山乗越…(40)…新室堂乗越…(30)…雷鳥平…(10)…地獄谷…(20)…室堂ターミナル…(10)…みくりが池温泉・入浴…(10)…室堂ターミナル―(高原バス)―美女平―(立山ケーブル)―立山駅・立山センター・見学―(富山地方鉄道)―富山駅―(北陸本線・信越本線)―長岡駅―(上越新幹線)―大宮駅―(湘南新宿ライン)―新宿駅・解散



 本日は、夏期合宿の最終日です。3時に起き、朝食を食べ、荷物を整理し、テントを撤収し、5時に剱沢キャンプ場を出発しました。別山乗越まで、緩い登り道が続きました。今回は、ザイルや安全器具、ピッケルやアイゼンなど、いつもより沢山の荷物を持っていました。部員たちは、今期の合宿で体験した長次郎谷、源次郎尾根や別山尾根に比べれば、このくらいの登り道はたいしたことないと考え、いつもの調子でピューっと登りました。



 別山乗越は霧がかかっていました。新室堂乗越を下り始めると、霧の下に出、雷鳥平のキャンプ場が良く見渡せました。雷鳥平で一休みをし、行動食を食べました。その後、一気に地獄谷を抜け、室堂ターミナルを目指しました。地獄谷は、ここかしこから温泉が湧き出ていて、硫黄の臭いが立ち込めていました。のんびり歩いていると気持ちが悪くなりそうでした。



 室堂ターミナルで、富山駅までの切符を買い、みくりが池温泉で入浴をしました。温泉から出ると霧が少し晴れ、みくりが池が僅かに見渡せました。



 高原バスと立山ケーブルを乗り継いで、立山駅に出ました。高原バスにしばらく乗ると、霧の下に出て、晴天となりました。立山駅の前にある立山カルデラ砂防博物館で立山カルデラの成り立ちと常願寺川の治水事業について学びました。雪崩の実験コーナーなどがあり、部員たちが強く興味を持ちました。



 立山資料館を見学し後、富山地方鉄道に乗り、富山駅へ出ました。富山駅で昼食を食べ、特急「はくたか」と上越新幹線を乗り継いで、無事に新宿駅に着きました。明日の午前中にテントを干し、団体装備を洗い、片付け、今回の夏期合宿の反省会を行うことを約束し、解散しました。

 今回の剱岳合宿では、天候に恵まれ、たいへん良いコンディションで登山に取り組むことが出来ました。部員たちは、長次郎谷の登りでは、粘り強さを発揮しました。源次郎尾根U峰の懸垂下降では、学校での練習の成果を出せました。別山尾根のクサリ場では、1回目より2回目の下りの方がよりテキパキと対応できました。反省点も多く見られましたが、一定の成果もあったかと思います。

高2B タツキチ
 今回の合宿は剱岳に行った。前期の合宿とは違って主にバリエーションルートを通る行程で、わからないことばかりだった。インターネットで行った人の感想や、コースについてまとめられているものを見てみたり、用があって図書館に行ったときはついでに本を探してみたりと、調べてはみたのだが、そんな程度では足りなかった。いざその場に行ってみると、思っていたところと違ってあせるところもあった。荷物も前期より重かった。入れる時は色々考えながら入れないと入りきらないぐらいだった。練習も頑張ってやってきたつもりだったが、まだ足りないような気がしてならなかった。そんな上で、今まで見たこともないようなバリエーションルートで登るなんて本当に出来るのか不安だった。 
 そして迎えた当日、初日はバスで移動するだけだったのでなんと言うことはなかった。翌日も重い荷物を背負っての移動だったが、これもなんとかキャンプ場まで移動することが出来た。ひとまず、キャンプ場に入るまでは大きな問題もなく行くことが出来た。
 次の日は長次郎谷を通って剱岳を登る日で、朝からあわただしかった。夜は早く寝たのだが良く眠れなかった。沢に下りると雪が残っていて、そこからアイゼンをつけた。沢から剱岳の尾根を見ると、どれも険しく見えた。ここはまだ普通の道なのだが既に普通でないような雰囲気がした。両側を山に囲まれ手前からは朝日が差し込んで来ていた。その景色に圧倒された。雰囲気に飲まれるとはこういうことを言うのだなと思った。長次郎谷の入り口に着くと当たり前だが標識は何もなかった。両脇には八つ峰と次の日に登る源次郎尾根が見えていた。名前の通り谷だから、雪が解けていなくてずっと遠くまで雪が残っていた。両脇は切り立っていて岩でも落ちてきそうだった。なので前をみて歩く様に言われ、極力前をみて歩いた。雪の道は浮石などはなかったが、傾斜がきつかった。ちょっと気を抜くとすぐに下を見てしまう。歩き始めてからどれくらいたった頃か、ところどころにクレバスが現れ始めると、自分が歩いている所が危ないところだと実感がわいた。登山道と違って整備されているどころか、どこが危ないとか書いてあるわけでもない、そんな場所なのか、と驚かされた。上のほうに上がって雪がなくなってもそれは変わらなかった。相変わらず標識はなかった。だから頂上まで自分で道を選んで頂上まで行くのだが、ちょっと行くとすぐに間違えて高橋先生に正された。まだまだ自分では選ぶのが難しかった。やっと頂上に着くと、景色はきれいだったが同時にすごく疲れている自分に気が付いた。体力的にもそうだがもっと何か精神的な疲れがあった。そのせいか下山は気が抜けてしまったように思われた。なんだか意識がボーっとして、動きが悪かった。今から思うと、下山で安心していたからだと思う。次の日は源次郎尾根だということで、早く寝た。 
 朝になるとすぐに目が覚めた。よく眠れなかったというのが正しいのかも知れない。しかも朝食の準備に手間取って出発時間が遅れてしまった上、なんだか雲行きが怪しい。今日はとんでもないことになるなと、沢を歩いている時思った。しかし幸いにも源次郎尾根の取り付きに来る頃には、晴れ始めた。取り付きは木や草が茂っているところに細く人の踏み跡があるだけだった。傾斜も普通の登山道では考えられないくらいきつかった。木は登山者のことなどお構いなしに枝を伸ばしていたし、浮石も多い。ところどころザイルを使わなくてはならないところもあった。しかし本当に怖かったのはこの先で、大きな木がなくなって草と岩ばかりになったあたりからであった。木がたくさんあるところでは周りを木に囲まれているから安心感があった。しかしそれがなくなって下が見えるようになるとやっと自分のいるところを理解したのだった。昨日行ったところも十分危険だったがこの日のは特に怖いと思った。いや、怖いと思うよりも必死だった。浮石があるなんていうのは当たり前だった上、下は目もくらむような高さだった。足場はたいてい足を置くのがやっとで腰掛けるなんてとんでもないような場所だった。手は常にどこかにつかんでないと安心できない。木もつかんだし、草ですら束ねてつかんだ。それだって確実に安心できるわけではなかった。現に遠目にはつかめそうにみえた大きな岩も近づいて見るとはがれそうだったり、既に浮石だったりした。そういう浮石の情報は前から後ろに伝えていった。後ろに伝えるたびに、後ろの人が浮石をつかんだ時のことが頭に浮かんだ。後ろは鈴木先生だった。鈴木先生が間違ってその石をつかんで、あっという間に体勢を崩し、落ちてゆく様が想像された。ほかにも自分の前の人が落ちてきたら、自分はどうなるのだろうとか、自分が落ちたら鈴先生にぶつかって二人とも落ちるのかもしれないなど、ちょっと足を滑らしたり、間違って浮石に触ったたんびにいやな想像が思い浮かんだ。一般道で本気でこんなことを思った事は正直なかった。普段通っている登山道がいかに整備された道なのかということを思い知らされた。一般道は山のほんの一部なのだと体感的に知ったのだった。
 U峰に着くと懸垂下降をするためにザイルを出した。高さは30メートルほどで、ザイルを2本使わなくてはならない程の高さだった。しかしここは落ち着いて降りることが出来た。学校で懸垂下降の練習をしてきたおかげだと思った。あとは普通に登っていくだけだ。1時間ほど登って頂上に着いた。無事頂上に上ってきたという喜びがあったからだろう、曇っていて景色はほとんど見えなかったが、前日よりずっと嬉しかった。
 一般道は登りやすく整備されているが、その見えない部分には大変な危険が隠されているのだなと今回の合宿を通じて思った。