長次郎谷から剱岳に登頂  2011年8月9日(火)

剱沢キャンプ場…(35)…剱沢の雪渓…(14)…長次郎谷出合…(90)…熊の岩…(81)…長次郎のコル…(16)…剱岳(2998m)(60)…前剱…(60)…一服剱…(15)…剱山荘…(15)…剱澤小屋…(10)…剱沢キャンプ場



 夏期合宿3日目、今日は長次郎谷から剱岳登頂を目指す日です。早朝3時に起床し、朝食のニョッキを作って食べ、5時に剱沢キャンプ場を出発しました。すぐに辺りが明るくなり、30分も歩くと剱沢の雪渓に着きました。私たちは、ハーネスと12本歯のアイゼンを付け、ピッケルを片手に長次郎谷出合へ行きました。



 長次郎谷出合に着きました。長い谷がそびえていました。上の方は、だいぶ急な斜面になっている様でした。1907(明治40)7月に陸軍参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院)の命令により測量官の柴崎芳太郎氏が山案内人の宇治長次郎氏の協力を得て、剱岳の頂上を目指したルートです。日本地図最後の空白点を埋めるために、当時前人未踏峰と考えられていた剱岳の頂上に三角点を設置するという困難な任務でした。



 映画「剱岳 点の記」では、柴崎氏と宇治氏が、剱岳で修行を続け地元の人々から尊敬される行者より、「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」と剱岳に関する言い伝えを聞いていました。私たちも、剱岳の頂上を目指して、この雪渓を一気に1000mの高さを登ります。




 私たちは、長次郎谷にある熊ノ岩を目指して、アイゼンを雪渓に突き刺しながら登りました。熊ノ岩に着くと、偶然顧問の高橋先生の知り合いが登攀のガイドの仕事をしていました。剱岳の岩場を案内しているところでした。





 早速、これから先の長次郎谷の雪の状況について教えてもらいました。最初、雪の状態によっては、熊ノ岩から右俣を登り、長次郎の頭を通って、剱岳頂上を目指すことも考えていました。






 今日の天候はたいへん良く、心配していたクレパスも、生徒たちの力で突破できる様でしたので、左股から直接長次郎のコル(鞍部)まで登りました。今日の雪質は、アイゼンがグッサリと刺さり、安定していました。







 富士山の5〜7合目でアイゼン歩行、滑落停止、コンテニアスやスタンディングアックスビレーなどの雪上訓練をしておきました。今日は、右手にピッケルを持ち、アイゼンを付けて長次郎のコルまで登り切れました。






 長次郎のコルで剱岳の岩稜を眺めながら一休みし、アイゼンとピッケルをザックにしまいました。ここから剱岳の頂上までは、雪のない岩場です。槍ヶ岳の頂上直下の様な岩登りが続きます。部員たちは元気に登りました。





 急な岩場を一頻り登ると、目の前に祠が見えました。剱岳の頂上です。映画「剱岳点の記」では、ここで、宇治長次郎氏が、「私の仕事は、皆様をここまでご案内することです」と言って、柴崎氏率いる測量隊に先に頂上に立つ様に促しました。





 顧問の高橋先生がそのことを覚えていて、「私の仕事は、君たちが剱岳に登れるように指導すること」と言って、部員たちに先に頂上に立つ様に促しました。




 雪渓の登りは辛かったがやっとの思いで、剱岳の頂上に立ちました。天候に恵まれ、北アルプスの山々が見渡せました。でも、部員たちの表情がいまいちさえない。



 帰りの下山道、剱岳頂上から前剱までの道程は、ガイドブックによれば一般登山道と言えども、危険なクサリ場が沢山ある。特に、カニのヨコバイと呼ばれるクサリ場は、登山者が渋滞するほどの難所です。部員たちは、そのことが気になっている様でした。




 いよいよ下山。私たちは、ハーネスをつけたまま下りました。カニのヨコバイなどのクサリ場では、クサリにカラビナをかけて通りました。そのお陰で、クサリ場を落ち着いて足場を探しながら突破することが出来ました。



 一服剱まで来ると、もう剱沢のキャンプ場が剱沢を挟んで目前に見えます。今までの道程に比べたらたいしたアップダウンではないので、部員たちは一気にキャンプ場目指して駆け下りて行きました。



 途中、キャンプ場近くにある剱沢小屋に立ち寄りました。部員たちが良く歩いたので、顧問よりジュースが支給されました。顧問の高橋先生は、学生時代より剱岳に登り、大学卒業後は剱岳で登山研修の講師を務めていました。当時より、剱沢小屋にはずいぶんとお世話になったそうです。



 剱沢小屋の方に今日の登山の報告をし、明日登る予定の源次郎尾根の状況について教えていただきました。「高校生を連れて、長次郎谷や源次郎尾根を登るの?」と少し驚かれました。




 13時過ぎに剱沢キャンプ場に着きました。荷物を整理し、テントの中を片付け、汗で濡れた服や寝袋を干しました。キャンプ場から剱岳が奇麗に見渡せました。明日登る予定の源次郎尾根を眺めながら、無事に帰って来れて良かったと一息つきました。



 すると、キャンプ場に明治大学山岳部の方々が到着しました。顧問の高橋先生は、明治の山岳部のOBで、卒業後も暫らくの間、明治大学山岳部のコーチを務めていました。早速、明治の山岳部の方々に挨拶をし、今日の登山の報告をしました。



 暫らくすると、テントの設営などを整えた明治の山岳部の現役生の方々が挨拶に来ました。「○○県立○○高校出身、明治大学△△学部の□□です」と次々に自己紹介をされました。みんな真面目で賢そうでした。こちらも負けずに「1年B組ユウです」「1年B組ヨシキです」「2年B組タツキチです」「3年E組カズです」。



 今日一日で、多くの高橋先生の登山仲間に出会いました。みんなから異口同音に「高校生で、こんな経験が出来るなんて幸せだよね。ところで、高橋先生は厳しいでしょ。怖くない?」と聞かれました。部員たちは、返答に困っていました。



 夕食に、カルボナーラを作って食べました。たいへん美味しくできました。明日は、いよいよ源次郎尾根から剱岳を目指す日です。今まで学校でやった、障害突破や懸垂下降の練習は、明日の源次郎尾根を無事に登るための訓練です。明日の登山で、今までの練習の成果が出せますように。



高1B ユウ
 今回の合宿は、Aチームだけでバリエーションルートからの剣岳登頂を目的に行いました。剣岳は今まで行ったことがありませんでしたが、難しい山だということは知っていたので、今まで以上に事前に下調べをしました。
 まず、新宿の住友ビルから夜行バスに乗り、6時間半ほどで富山駅に着きました。バスから降りたとき、先生に「忘れ物はないか」と、聞かれ、僕は「ありません」と、応えたのですが、実はこのとき腕時計を忘れていました。しかし、後で気づいたことだったため、言い出しづらく、報告をしませんでした。そのため、先生にとても怒られました。富山駅からは、電車、ケーブル、バスを使い室堂に行きました。室堂では学生や観光客が沢山いて、驚きました。皆、雄山だけに登るようです。そんな人だかりの中、富山県のマスコットキャラクターの着ぐるみを着た人がいました。外見からは想像もできませんが、この人は、先生の知り合いで、山岳救助隊の分隊長さんらしいです。いきなりすごい人に出会いましたが、今回の合宿ではこういったすごい人たちに何人も会うことになりました。室堂から雄山までは荷物が重いのと、人が多いのは大変でしたが、天気が良く、人数も少ないので順調に登れました。頂上では雄山神社でお祓いをしてもらいました。雄山からはザックの重さから疲れが出始め、非常に辛かったのですが、立山連邦を越え、真砂岳、別山と、頑張って歩き続けました。別山からは少し元気になり、剣沢キャンプ場まで順調に着きました。剣沢キャンプ場からは剣岳が正面にそびえ立って見えました。あまりの大きさにとても感動し、やる気がでました。夕方は雨が降ったり止んだりだったので、テント内で夕食を作りました。
 次の日は、剣沢キャンプ場から剣沢を下り、剣沢の途中でヘルメットをかぶり、ハーネスを付け、アイゼンを履こうとしたとき、履き方を忘れ怒られました。さらに剣沢を下り長次郎出会いで休憩をしました。剣沢を下る途中で、真ん中と端は層が薄いから歩くなと、注意されました。長次郎出会いから熊の岩までは、クレバスに注意しながらひたすら頑張って登り続けました。熊の岩では、疲れたので20分休憩しました。熊の岩では、先生の知り合いでガイドをしている花谷さんと会いました。高校生が登っていることを褒められ、少し嬉しかったです。熊の岩から長次郎のコルまでは、熊の岩で少し休みすぎたためかなり疲れましたが、何とか長次郎のコルまで着きました。長次郎のコルからは富山湾が見えて、非常に綺麗でした。長次郎のコルからの登りは岩だらけで大変でしたが、割とすぐに頂上に着きました。晴れていたため、眺めはとても良かったです。下りは下り始めてすぐに鎖場が沢山あり、とても怖かったです。しかし、「怖い」や、「つらい」といった弱音を吐いていたため、前剣手前で怒られました。しかし、ここで気合いが入ったため、ここから先は早く下山でき、昼頃にキャンプ場に着きました。途中から頑張ったので先生から飲み物を一本おごってもらいました。この日は明大の山岳部が来たので挨拶をしました。この日は晴れていたので、外で夕飯を食べました。しかし、おしゃべりに花が咲きすぎ、そのとき流れていた大事な放送を聴きそびれ、怒られました。内容は、明日は水の出が悪くなる、といったものでした。
 三日目は二日目と同じコースを下り、源次郎尾根から登りました。登り始めてすぐは、急な森林地帯を歩き続けました。しばらく歩くと、目の前に岩壁がでてきました。ここではロープを使いましたが、完全に先生任せでした。さらに歩き続けると、また岩壁がでてきました。ここで一休憩しました。ここでもやはり先生がすべてやりました。しかし、さっきと違ったのは、ロープが上に上がってしまっているのにだれも声をかけなかったことです。ここでは「次同じことがあったら死ぬと思え」と、言われ今までで一番怒られました。ここからは気合いを入れ直しました。浮き石の場所や、三点支持をする場所などを後ろの人に伝えながら真剣に登りました。危険箇所が沢山あり、怖かったのですが、今回は誰一人「怖い」とは言いませんでした。一峰の頂上からは二峰と本峰が綺麗に見え、やる気がでました。一峰の下りは急なため先生がロープを張ってくれました。先生がロープを回収している間に僕たちは二峰を登り始めました。二峰の登りは、見た目よりは急ではありませんでしたが、見た目よりは、というだけで急だったので辛かったです。しかし一峰よりも早く頂上に着きました。二峰の頂上からは50Mの懸垂下降で降りました。ロープをセットしたのはまた先生でしたが、懸垂下降は自分たちでやりました。素早く降りることができ、練習の成果が出たと思います。その後ロープを回収し、重い足を頑張って動かし続け、頂上まで一気にあがりました。昨日と違って頂上には霧がかかっていましたが、達成感は昨日よりありました。ロープ関係はほとんど先生任せとはいえ、コースタイムどうりにこれてよかったです。下りは昨日よりも早くおりました。この日もまた先生から飲み物をおごってもらいました。キャンプ場に着いたとき雷が鳴っていたのですが、服などを干したまま売店に向かったため服が濡れてしまい、怒られました。この日は雨が降っていたため、中で夕食を作りました。
 最終日はテント撤収の時下山のことで頭がいっぱいで焦っていて、テントの撤収方法を間違え、怒られました。その後は必死で下山したため割とすぐに雷鳥沢キャンプ場につきましたが、ここからみくりが池温泉までが硫黄ガスが出ていて、つらかったです。みくりが池温泉で風呂にはいって帰りました。
 今回は歩くこととテント生活は今まで以上に頑張ったとおもいますが、ロープワークや山の概念、次にどうするかを考えることなど山行を運営していく力はまだまだなので、これからの全体合宿等で力を付けていこうと思います。