秩父鉄道のリバイバル塗装車    2010年12月28日(火)

池袋駅―(西武鉄道)―西武秩父駅…(5分)…御花畑駅―(秩父鉄道)―三峰口駅・鉄道公園・見学―(秩父鉄道)―影森駅・撮影―(秩父鉄道)―和銅黒谷駅・撮影―(秩父鉄道)―御花畑駅…(5分)…西武秩父駅―(秩父鉄道)―池袋駅・解散



 今日鉄道研究部は、西武秩父フリーパスを利用して、秩父鉄道を撮影しに行きました。



 最初に、三峰口駅へ行きました。三峰口駅にある鉄道公園で、秩父鉄道の保存車両や蒸気機関車の転車台を見学しました。



 秩父鉄道車両公園は、会社創立90周年を記念して、これまで秩父鉄道で活躍した車両を末永く保存することを目的に三峰口駅構内の一部を整備し、1989317日に開園しました。



 園内の展示線2本に10種類の車両を展示し、それぞれの車両ごとに諸元と歴史を紹介しています。活躍当時の姿をしのばせる車両は、自由に見学することができます。



 電気機関車デキ1号です。電化計画を実施するにあたり、電車の電装部分とともにアメリカのウェ巣チングハウス社に発注したもので、1901年に製造され1902年から使用を開始しました。私鉄タイプの凸型で、旧国鉄ED22型などと同系車です。新鋭電気機関車の劣らず、貨物列車の主力として活躍しました。1978年に引退しました。



 ED38形電気機関車ED381号です。1944年に阪和鉄道(現在のJR阪和線)より国鉄へ買収されたロコ1000形式です。1960年に秩父鉄道が譲り受け、国鉄時代の旧形式と旧番号をそのまま使用しました。1973年まで活躍しました。



 デハ100形2軸ボギー電動客車107号 195010月にでは101・102の2両が新車として登場しました。製造当時は、両運転台式・非貫通、客用ドアは内部にステップの付いた手動式でした。19631966年に片運転台化・運転室内拡張、貫通路新設、客ドア自動化、窓の配置の変更などの改造が実施されました。 タブレットの関係で、以前から運転席は中央にありました。この改造で、中央の窓が大きく、運転席もステージの上に乗って一段高くなり、広々とした室内とともに、秩父鉄道独自のものとなりました。この107号車は、1978年に行われた「さよなら」運転を最後に引退しました。



 クハ二20形2軸ボギー制御客車29号 この車両は、戦後の車両不足の時に旧国鉄から払い下げを受けたものです。旧南武鉄道買収のモハ100形・モハ108形で、東急横浜製作所(東急車輛の前身)でクハとして復活しました。車長は17.63mで、ドアにステップがありませんでした。1978年に引退しました。



 秩父鉄道では、2007年より鉄道博物館の開業にあわせて、19861989年にJR東日本より導入した旧101系の一部の編成を、国鉄時代のオレンジバーミリオン・スカイブルー・カナリヤイエロー・関西本線版のウグイス色に塗装して運行していました。



 三峰口駅で、スカイブルーの旧101系を撮影しました。



 次に、影森駅へ行きました。影森駅は、石灰岩を採取する工場からの路線と秩父鉄道本線の結節駅です。



 車両基地があり急行用車両などが留置されています。



 影森駅で、関西色の旧101系を撮影しました。





 最後に、和銅黒谷駅に行きました。和同開珎の材料になった和銅の産出地の近くにある駅です。



 和銅黒谷駅の近くに、「秩父から和銅献上」と日本史に残る銅の産出地「和銅露天掘り跡」があります。この和銅をもとに、日本最初の通過「和同開珎」が造られました。和銅の原石、和同開珎、元明天皇から賜った和銅製蜈蚣(むかで)雌雄一対が、黒谷の聖神社に伝えられています。



 和銅黒谷駅で、貨物列車の交換や1980年代の秩父鉄道カラーに塗色された旧101系を撮影しました。



 秩父鉄道は、1930年に三峰口駅―熊谷駅間が開通したのが始まりです。2010年より開通110周年記念事業として、旧101系(現秩父鉄道の1000系)の2編成に、それぞれ1970年代と1980年代の秩父鉄道の旧塗装を施し、リバイバル塗色車として運行しています。



 現在秩父鉄道では、旧101系から旧東急8500系や8090系への置き換えが進められています。すでに何編成かが営業運転から外されています。薄暗くなるまで電車を撮影してから、旧東京急行8090系電車に乗って御花畑駅へ帰りました。部員たちは、秩父鉄道を走る懐かしい電車を沢山撮影して、大いに喜びました。