東武鉄道と東武博物館    2010年8月3日(火)

両国駅―(総武線)―亀戸駅―(東武鉄道)―東向島駅…東武博物館・見学…東向島駅―(東武鉄道)―浅草駅・撮影―(東京地下鉄銀座線)―赤坂見附駅・表参道駅・流れ解散




東武亀戸線に乗って、東武博物館を目指しました。




部員たちは、亀戸線に乗るのが初めてだったので、2両編成の東武電車に大いに興味をもちました。




途中、乗り換駅の曳舟駅で、間近に見える東京スカイツリーを眺めながら、浅草駅へ行き来する東武電車や東京地下鉄半蔵門線へ乗入れする東急電車を撮影しました。











東京スカイツリーは、406mの高さまで建設されていました。




東向島駅で東武電車を降り、東武博物館へ行きました。東武鉄道に関する歴史資料や、かつて東武鉄道を走った保存車両を見学しました。部員たちは、東武電車の運転シミュレーションを何回もやりました。




写真は、日光軌道200形203号車です。日光軌道は、1910年から1968年までの間、日光駅から東照宮の前を経て、馬返しまでのあだを走った路面電車です。馬返しから明智平までは東武日光鋼索道線というケーブルカーで結ばれていました。いろは坂の開通により、バスによる旅客輸送が盛んになり、路面電車とケーブルカーが廃止されました。




写真は、明智平ロープウェイのゴンドラです。明智平と展望台駅を結ぶロープウェイです。展望台駅からは、華厳の滝、中禅寺湖、男体山などを見渡すことが出来ます。今でも新しいゴンドラを用いて営業されています。



写真は、1720系5015号車です。1960年から1991年まで東武鉄道を走っていたデラックスロマンスカーです。




1720系は、ボンネットスタイルで、大型のヘッドマークを付けました。浅草と日光・鬼怒川温泉を結んでいました。




写真は、1720系の車内です。当時の国鉄特急形一等車と同等の多段ロック式リクライニングシートフットレストを全車に装備しました。座席の前後間隔は1m10cmあり、向かい合わせにしてもテーブルを使えるように、窓側に折り畳み式テーブルを設けました。




写真は、5700形5701号車です。




5700形は、日光、鬼怒川線の特急形車両として導入されました。当時は浅草と日光を2時間17分で結びました。非貫通型の先頭車両は、猫ひげと呼ばれました。







写真は、5700形の車内です。座席は全て肘掛け付きの転換クロスシートです。この座席は、転向用のリンク機構に連動してフットレストが所定の位置へ持ち上がる機構を備えています。運転台の後部には、折りたたみ式の補助席を設置してあります。旅客者が多い時期には、補助座席を別に用意して対応したそうです。




写真は、5700形の運転台です。




写真は、5700形5703号車の前頭部です。5700形は、1960年には、先頭車が貫通型に改造されました。以後、主に伊勢崎線、日光線の急行、快速、団体列車用として使用されました。1991年には、にさよなら運転が行われ引退しました。




私が、世田谷区立烏山小学校の修学旅行で日光へ行った時、確かこの電車に乗りました。




写真は、デハ1形5号車です。




デハ1形は、1924(大正13)年101日、東武鉄道が初めて浅草駅(今の業平橋駅)~西新井駅間を電化した時に走った木造電車です。




写真は、デハ1形の車内です。




ED5010形5015号車です。




東武電車の運転シミュレーションをひたすらやりました。







画面は、東武伊勢崎線でした。




スペーシアの個室で一休みしました。




ミュージアムショップで、少し買い物をしてから東武博物館を後にしました。




最後に、東武電車に乗って、浅草駅に行きました。写真は、墨田川を渡る東武電車の車内から撮影した吾妻橋です。




浅草駅を行き来する特急「スペーシア」や「りょうもう」を撮影しました。




浅草駅に到着する特急「りょうもう」です。

 


東武鉄道の浅草駅は、業平橋側が曲線になっていてホームが狭くなっています。




曲線部では、電車とホームの隙間が広く、扉の足元には係りの人が渡しの板を置いて安全を確保していました。




浅草駅を行き交う電車を撮影した後、東京地下鉄浅草線に乗って帰りました。




部員たちは、一日楽しく過ごしました。