みんなで立った富士山の山頂   2010年7月20日(月)

富士宮口五合目(2400m)…(90分)…新七合目御来光館…(45分)…元祖七合目山口山荘(3010m)…(50分)…八合目御来光拝観所(3250m)…(30分)…九合目萬年雪荘(3460m)…(70分)…浅間神社(3740m)…(30分)…剣ヶ峰・富士山測候所跡(3776m)…(10分)…浅間神社…(30分)…御殿場口八合目…(60分)…七合目…砂走り(30分)…五合五勺…(30分)…御殿場口新五合目―(貸し切りバス)―山中湖・紅富士の湯・入浴―(貸し切りバス)―明大前…(10分)…日本学園・反省会・解散




 山溪部・トライアスロン部の部員たちを4つのチームに分け、富士宮五合目から山頂を目指しました。夜中の山行とあって、みんなヘッドライトをつけ、ばてない様にゆっくり登りました。山溪部のユウがペース配分をつとめました。




 今回の山は夏合宿の体力強化のために富士山に行きました。今回の登山は、トライアスロンの人達とゲストで山中先生(我らが中3A組担任)と高橋先生の友達?の人達が3人来ました。山中先生が来た時は何と言っていいかわからなかった。今回はいつもと違って、朝から登らないで夜通し登り続ける夜間の登山をしました。(山溪部 中3A ユーヤ)




 今回は18時30分に集合して、それからバスで富士宮口登山道の五合目まで行きました。とても高い山に登るので高山病にならないために、そこで1時間30分位いそこで体を慣らしました。それから23時30分位いから登り始めました。しばらくは、あまり急じゃない道が続きました。(山溪部 中3A ユーヤ)




 途中、野生の鹿がいました。何か可愛かった(笑)。 それから七合目位いまで来てから急に気分が悪くなってきて、睡魔も襲ってきたので、何かもう本当に大変だった。(山溪部 中3A ユーヤ)




 それから頂上に近づくにつれて、どんどん気持ち悪さがまして「高山病と言うのはこんなにも辛いものなんだな」というのを体で痛感しました。(山溪部 中3A ユーヤ)




 御鉢、富士山の火口壁にある浅間神社の鳥居の前辺りで、日の出となりました。浅間神社の前で、一休みしました。登り始めの頃には、みんなおしゃべりしながら歩いていたのですが、ここで一休みする頃には、少々疲れた様子でした。




 僕が高山病にかかって部員達に迷惑をかけてしまったので、今度の登山をする時には水分を多めにとって登りたいです。山頂ではもうほとんど話すことも出来ませんでした。頂上での記念写真も撮れなかった。それが残念でした。(山溪部 中3A ユーヤ)




 今回の登山の目的は、夏山合宿で夜間の登山になる可能性があるため、夜間登山の練習のため夜中から富士山に登っていくことになりました。出発は夜遅いころになりました。その日の昼間は、ねむけと高山病を予防するために、朝から昼まで寝ていました。(山溪部 中3A ヨシキ)

 



 1830分に集合し、貸切バスで五合目まで行きました。そこで1時間体を慣らして登りはじめました、僕は、山渓部の中3Aコータロー、中2のコオ、中1のユーゴ、さらに合同のトライアスロンの中1のヤマで5人チームでした。(山溪部 中3A ヨシキ)




 顧問の高橋先生からの指示で、御鉢を巡ってから日本最高標高の剣ヶ峰に行くことになりました。心なしか、みんなの足取りが重い。





 コータローがリーダーで僕がサブリーダーでした。最初のほうは余裕でしたが、暗いせいかだんだん眠くなってきました。あまりにも眠いので、七合目で栄養ドリンクを飲んだら落ち着きました。(山溪部 中3A ヨシキ)

 



 御鉢巡りをしてから、剣ヶ峰に立ちました。富士山の御鉢は、見た感じたいした起伏もないハイキングコースです。ところが、剣が峰直前の登り坂での足取りがいつもより重い。空気が薄いせいか、部員たちの元気が見る見るなくなり、無口になってきました。


 



剣ヶ峰に着いた時には、タツキチ、ユウ、ヨシキ以外のほとんど部員たちは頭を抱えてうずくまりました。顧問の高橋先生が、「しっかり行動するように」と檄を飛ばしましたが、元気な返事もなく、なかなか立ち上がれませんでした。春期合宿での八ヶ岳以上の修羅場とかしました。高橋先生思うに、「これは、まるで遭難している状態だ」。


 



再び浅間神社に戻ってきました。写真の後ろ側に写っている小高い所が剣ヶ峰、その上にある建物がかつての富士山測候所です。剣ヶ峰は他の登山客で混雑していて、しかもウチの部員たちは著しく体調が悪そうだったので、記念写真の撮影どころではありませんでした。





 そのまま歩いていくと、だんだんユーゴとコオの顔色が悪くなってきました。しばらく登ると、コータローとヤマもあやしくなっていました。コオとユーゴとヤマがしだいに動けなくなってきました。ほかのチームからも遅れをとり始めたので、ずっとと途中から後ろでついてきてくれた、コータローはなんとかなりそうなので、カズ部長と手分けして僕が二人分(副リーダーなので)カズ部長が一人分のザックを持って登りました。(山溪部 中3A ヨシキ)




 頂上に着くと朝日が出ていて、みんないましたが、なんだか調子が悪そうでした。どうやら、みんな高山病になってしまったようです。一部の元気な人たちで、富士山の頂上を一回りしました。空気が薄いせいか、すぐ息が切れました。みんなと合流して下山しました。歩いている途中でコータローが嘔吐したので、コータローの荷物を大砂走まで持って行きました。(山溪部 中3A ヨシキ)







 僕は、初めて富士山の夜間登山をしました。バスで五合目まで行きました。でも、バスの中では、寝られませんでした。富士宮口五合目で、1時間半位したら登り始めました。いつもは、大丈夫なのに、1時間位したら気持ち悪くなりました。(山溪部 中3A コータロー)

 



 無視して登っていくと、八合目で吐き気がしました。でも、他の人も頭痛や、吐き気がしていて、特にうちの班は5人中4人が高山病でした。それでも富士山の頂上に着きました。薬をもらいましたが、吐きました。他の人も吐いていました。でも剣ヶ峰に着きました。とても感動しましたが、とても吐き気がしました。そして、急いで降りて砂走りまで行きました。スキのような感覚でとても楽しかったです。次は、高山病にならずに富士山を楽しみたいです。(山溪部 中3A コータロー)

 



 



 



 



 



 高山病も山を下るにつれてだんだん楽になって、大砂走りに着く頃にはほとんど楽になっていました あの辛かった高山病から解放されたので、とても気持ちが楽になりました。(山溪部 中3A ユーヤ)




 富士山からの雲の上の景色を眺めながら、御殿場口新五合目を目指しました。暫らく登山道を下っているうちに、部員たち一人ひとりの表情が明るくなってきました。吐き気や頭痛がおさまりました。


 



 砂走りに備えて、登山靴の靴紐を締めなおしました。そして、スパッツを装着。


 



 砂走りの地点では、みんなすっかり元気になっていました。砂走りを走りました。トライアスロン部のみんなも一緒に、五合五勺まで競争をしました。





大砂走に着くと、道一面が火山灰でした、そこに石が少し出ていました。そこをタツキチ先輩、ユウ、高橋先生で先陣を切って走りました。(山溪部 中3A ヨシキ)




走ると段々早くなり止まらなくなりました、さらに石を踏むと、ころびそうになるので、よけながら走りました。途中休憩をはさみバス停まで行きました。着いた時は倒れるかと思いました。その後の温泉が、体にしみました。今回の登山は、沢山の部員を助けられて良かったです。もっと信頼される仲間になれる様に頑張ります。(山溪部 中3A ヨシキ)






 大砂走りは思ったよりも長くて、かなり驚きました。登山靴に付けるスパッツをまだ持っていなかったので、大砂走りの砂が靴の中に入ってきてものすごく痛かった。それからバスに乗って、途中富士吉田近くの温泉に立ち寄ってから明大前へ帰りました。今回始めておもい高山病にかかって、その辛さを痛感しました。富士山という山は、とても苦い思い出がたくさん残りました。(山溪部 中3A ユーヤ)
 



 全員無事に御殿場口五合目に着きました。チャーターしたバスに乗り、山中湖の近くにある紅富士の湯という温泉に行きました。みんなで温泉につかり、気持ちよく汗を流したところで、帰りの服に着替えて、バスで明大前を目指しました。多くの部員たちは疲れたようで、ぐっすり寝ていました。今回の経験を夏期合宿で生かせるように、日本学園に立ち寄って反省会をしてから解散としました。