赤岳鉱泉でアイスクライミング  2010年3月31日(水)

赤岳鉱泉・アイスクライミング体験…(110分)…美濃戸口―(アルピコタクシー)―アクアランド茅野・入浴・食事…(20分)…茅野駅―(中央本線・特急あずさ)―立川駅・解散




 春期合宿の最終日は、赤岳鉱泉にあるアイスキャンディーという人工の氷壁でアイスクライミングを体験しました。トップロープを設置すると、部員たちは自分のハーネスとカラビナにロープを縛り、我先にとアイスクライミングにチャレンジしました。昨日、赤岳頂上へのトライで使った12本刃のアイゼンを履き、アイスバイルやピッケルを両手に持ち、何回も氷壁を登る練習をしました。部員たちは、凄く身が軽く、氷壁を登る身のこなしが見る見ると様になっていきました。




 3時間ほどアイスクライミングを体験した後、テントを撤収し、美濃戸口に出ました。アルピコタクシーに乗り、アクアランド茅野という温泉に行きました。温泉で汗を流した後、近所のレストランで今回の春期合宿の反省会を行いました。部員たちは、雪の八ヶ岳登山を体験して、一段と逞しくなり、山を登ることへの意気込みも更に深まりました。今回の登山をもって高校部長はトモノリへ、中学部長もタツキチからユウに代替わりです。




 タツキチは、3年前、小学生の時に日本学園オープンキャンパスに来て、山溪部のコーナーでクライミングボードやチロリアンブリッジを体験しました。その後、日本学園に入学し、山溪部に入部しました。高校生たちと1人の中学生という部員構成の中で部活動に取り組みました。あの頃は、物静かな部員でした。でも、今にして思えば、高校生と同じトレーニングをこなし、山行では高校生と同じ行動ができ、まったく手のかからない部員でした。何時の日からか、中学生部員が急に増え、タツキチが重要なリーダーとなりました。これからは高校生部員として、更に活躍することでしょう。2010年度の新高2から新中3にかけて、活動に対して熱心かつ連携が極めて良い部員が揃いました。このメンバーがフル稼働している時に、山溪部として出来る限りのことをしたいとつくづく感じました。




 今回の冬山合宿は、いつもとはだいぶ違うものだった。単に「冬山だから」という理由もあるが、それ以上に「中学最後の山行」という理由のほうが大きい。終わりよければすべてよし、というつもりではないが最後だけでも問題なく、無事に終えたかったのだ。最初は本当にいけるのか、また行ったとして無事かえってこれるのか、ものすごく不安だった。訓練はほとんどしていない状態に近くてアイゼンで歩く練習やピッケルでの滑落停止の練習をちょっとやったぐらいだった。しかも前に先輩聞いた話によれば冬山というところは、ものすごい場所で、吹雪になれば全く前が見えず、足元も膝まで雪が積もっていて行くも帰るも大変だったと言うのだ。先輩のその話はいつ聞いても臨場感にあふれていて、まるで自分もその場にいたかのように錯覚を覚える。話している間中、凍るような風が吹きつけてきて、足が半分埋まっているかのような気になるのだ。そしてそれは、つまりそれだけくっきりと記憶に残るぐらいものすごい場所なのだと行く前から怖がっていたのである。だから合宿前日なんてもう普通の山行では考えられないぐらいに緊張していた。準備をしていてもなんとなく落ち着かないし、気が付けば貧乏ゆすりをしていて、やめてもまたすぐにやってしまう。本当にそんな感じだった。こんなので当日は大丈夫なのだろうか、と思っていたが、当日はそんなでもなかった。緊張していないわけでもないが、むしろ吹っ切れたようになっていて割と落ち着くことができたのだ。ただ相変わらず先輩から聞いた話が頭の中をぐるぐると回っていてそれだけはどうやっても消し去ることができなかった。(山溪部長 中3A タツキチ)




 しかし、そうやって怖がっていたせいか、実際に山に入ると少し安心できた、先輩が言っていた程その日はものすごい状態ではなかったのだ。風も思っていたよりは強くなく、少し希望が持てた。だがやはり冬山はすごいところなんだなとも感じさせられたのは、その寒さだった。とにかく寒い。歩いていれば暖かいが、止まったとたんに寒くなる。これでも寒くないほうだと聞くからなおさら驚く。さらにその寒さのせいで動きが鈍くなるから春、夏、秋と普通にやってきたことが普通にできなかった。テントなんかは特にすばやくたてる必要があるのにそれができない。この日は天候がよかったからいいものの、これが先輩の言っていたような吹雪だったら?考えるだけでも恐ろしいかった。きっとテントを建てる前に雪に埋もれてしまうだろう。そういう意味ではまだ自分は来るべきでなかったような気もする。ただそうやって言っているといつまでたっても雪山に来ることができないかもしれないので今回はたまたま天候のいいときに来て本当によかったと思っている。(山溪部長 中3A タツキチ)




 また、天気がよかったのもさることながら、道具にも助けられた。服もアイゼンもピッケルもみんなあってやっと登れたのだ。特にそれを感じたのはアイスクライミングのときだった。同じ氷壁でも使うピッケルが新しいか古いかでだいぶ難易度が違った。新しい型のはさくさく氷に刺さるが、古い型のピッケルは何回もやらないと刺さらないし、新しいのに比べてさすのに力が要る。たとえ刺さってもつかまっているのにはより力が要るし、滑りやすい。つまりたとえ登れたとしてもそれは道具の性能に頼っていたからできたことなのだと思う。きっとこれは他の道具にもいえることなのだろう。昔の人は今のような道具をぜんぜん使わないで登っていたんだと思うとあらためてすごいと思う。(山溪部長 中3A タツキチ)




 それからいちばんの助けは、高橋先生、鈴木先生の存在だ。先生たちがいなかったら、こんな山には登れなかったと思う。テントを建てるときも、食事を作るときも、誰かの具合が悪くなった時にも、みんな先生がいたからこそ何とかなった。部員だけだったら、無事に帰ってこれなかっただろう。
 結局、なんだかんだでいろんなものに助けられて山に登っていたのだなと、今回よくわかった。だからといって助けられないで登るのも無理なので、だからこそ、その代わりにより協力しあって山に登る必要があるのだなと今回の合宿を通じて思った。 (山溪部長 中3A タツキチ)