阪堺軌道 我孫子道車両基地 大和川検車区 2005.8.12(金) ホテル東横イン…南海難波駅―(南海電鉄)―新今宮駅…南霞町駅―(阪堺軌道)―我孫子道駅…大和川検車区・見学 |
午前中は、阪堺軌道や南海電気鉄道の車両基地を見学しました。信号が少なく、道路がすいているためか、阪堺軌道は、専用軌道を走っている時も、路面を走っている時も、たいへん速かった。阪堺軌道の最高時速は、専用軌道では50km/h、併用軌道では40km/hとなています。 |
我孫子道駅の近くに我孫子道車両基地と大和川検車区があります。とても広い基地で、沢山の車両がありました。東京には、こんなに大きな路面電車の基地はないので、取材に来た甲斐がありました。 |
写真は、モ601形の606号です。モ601形は、1996年から1998年にかけて東急車輛製造により7両製造されました。この7両は、完全な新造車ではなく、車体及び台車・電動機・コンプレッサーなどの主要機器は新造しているが、制御装置・ブレーキ・営業機器などはモ121形のものを流用しています。これらの部品は、写真の606号は、1997年に製造されました。 |
写真は、モ351形電車、南海電気鉄道時代に製造された最後の車両です。1960年代に車体の古くなってきたモ101形と置き換えるために帝国車両で製造されました。 |
写真は、電車の車体を洗う自動洗浄機です。 |
写真は、モ171形174号電車です。1928(昭和3)年に、モ161~モ170形の10両が現在の川崎重工である川崎車輌で、製造されました。1931(昭和6)年に、モ171~モ176形の6両が現在の近畿車輛である田中車両と現在の日立造船である大阪鉄工所により製造されました。1927(昭和2)年に製造されたモ151形と同じような車体であり、路面電車としては全長13m級の大型車です。 |
写真は、モ161形168号電車です。阪堺電気軌道の電車の中では、最も古い現役の車両、日本で定期運用される電車としても現役最古の車両です。我孫子道駅の営業所の案内の方は、「夏場は、暖房車だよ」と紹介していました。 |
写真は、1952年に製造された無蓋電動貨車デト11形です。両側に運転室があり、一方の運転室の屋根上にパンタグラフがついています。資材の輸送と故障や事故を起こした電車の救援用として製造されました。資材の輸送がトラックに変わり、本来の用途がなくなりました。その後、堺まつりの時期に花電車として装飾を施され使われましたが、2000年に廃車となりました。 |
阪堺電気軌道は、恵美須町駅と浜寺駅前駅を結ぶ阪堺線14.1km、天王寺駅と住吉公園駅を結ぶ上町線4.6kmからなります。阪堺線は、1910(明治43)年に設立された旧阪堺電気軌道株式会社から始まりました。旧阪堺電気軌道は、競合する南海鉄道と旅客誘致競争になりましたが、1915(大正4)年に両社が合併し、南海鉄道の阪堺線となりました。上町線は、1897(明治30)年に設立された大阪馬車鉄道株式会社から始まりました。 |
1944(昭和19)年に南海鉄道は、戦時中の企業統合政策により、関西急行鉄道と合併し、近畿日本鉄道という鉄道会社になりました。上町線と阪堺線は、近畿日本鉄道の天王寺営業局の所属となりました。戦後、上町線と阪堺線は、1947年に発足した南海電気鉄道に引き継がれ、1980年に阪堺電気軌道という独立した路面電車の会社となりました。 |
部員たちは、「この電車を目当てに、ここまで来たんだよ」と、162形と170形の写真を撮りました。すると、我孫子車両基地の方が、「今日、この電車は暫く走らないから、車内も自由に見ていいよ」と言ってくれました。部員たちは、喜んで車内の写真を撮り始めましたが、そのうち車両基地の方にお願いして、発車鈴を鳴らしたり、電車の窓を開け閉めしたりしていました。 |
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我孫子道車両基地や大和川検車区を見学した後、我孫子道駅にある営業所で「また、来てね」と阪堺軌道のパンフレットなどをいただきました。今日は、車両基地や検車区、路面電車各車両を詳しく取材させていただき、誠にありがとうございました。貴重な体験となりました。 |