名古屋鉄道 600V区間 2005.3.29(火)

名鉄岐阜駅――関駅――(長良川鉄道)――美濃市駅…旧名鉄美濃駅・保存車両撮影…美濃市駅――(長良川鉄道)――関駅…新関駅




 名古屋鉄道の美濃町線や揖斐線など600V区間が3月31日で廃線になると聞き、岐阜に撮影に行きました。写真は、名鉄岐阜駅に停車中のモ880形です。

 
 


 岐阜の街中で併用線を走る各路面電車を撮影しました。

 


 岐阜市内線を走るモ570形です。1950年に帝国車輌により製造され電車です。

 


 美濃町線へ直通運転をしているモ590形です。1957年に日本車輌により製造された電車です。

 


 電車の車内も赤系統で統一されていました。

 

 美濃町線へ直通運転をしている電車に乗り、新関へ向かいました。写真の電車は、名鉄岐阜駅に停車中のモ870形です。1965年に東急車輌により製造され、札幌市電を走った電車です。1976年に名鉄美濃町に転入されました。

 


 美濃町線への直通電車は、名鉄岐阜駅から名鉄各務原線を走り、田神駅から田神線を通り、美濃町へ入ります。各務原線の名鉄岐阜駅と田神駅には、名鉄の一般車輌用のホームと路面電車用のホームが備わっています。

 


 モ870形の運転台です。

 


 美濃町線に入ると、専用線になります。電車はかなりの混雑で、沿線では多くの人々が電車を撮影していました。

 


 美濃町線は、単線の専用軌道を走ります。途中に野一色、日野橋、下芥見、赤土坂などの交換駅があります。路面電車が専用軌道をゆっくり走る紅閨は、のどかで良いものです。

 


 関駅に着きました。ここで、長良川鉄道に乗り換えです。

 


 新関駅と関駅は、軌道ではS字カーブを曲がってすぐ近くです。
 


 長良川鉄道に乗って、美濃駅を目指しました。かつて、関駅と美濃駅の間を名鉄美濃町線と長良川鉄道がほぼ並行して走っていました。

 


 長良川鉄道の美濃駅と名鉄美濃町線の美濃駅は、歩いて5分ほど離れた所にありました。今はもう関駅と美濃駅の間が廃止されていますので、名鉄美濃駅は資料館となっています。

 


 かつて軌道があった所は、空き地となっていました。

 


 かつての駅構内には、モ600形とモ510形が生態保存されていました。

 


 モ510形は、1926(大正15)年に日本車輌により製造された電車です。

 


 この駅と電車が機能している時に、美濃町線に乗りに来たかったとつくづく感じました。

 
新関駅――市ノ坪駅・車両基地撮影――名鉄岐阜駅…新岐阜駅前駅――忠節駅――黒野駅――下方駅――(高橋尚子電車)――忠節駅――新岐阜駅前駅…名鉄岐阜駅

 


 名鉄美濃町線の新関駅に戻りました。

 


 新関駅では、名鉄600V線のグッズが売られていました。鉄道ファンで賑わっていました。名鉄の路面電車が、岐阜の街中の路面、水田や森の中を走るのは、これが最後かと思うと残念です。

 


 美濃町線に乗って、市ノ坪車両基地に来ました。

 


 名鉄600V線を走る電車の検査と整備を行っている検車区と車両基地です。

 


 急塗装に塗りかえられたモ590形もありました。

 


 モ510形の2両編成もありました。

 


 美濃町線と名鉄各務原線を、市ノ坪車輌基地を経由して結ぶ田神線の軌道です岐阜の街にはりめぐらされたこれらの軌道全てがなくなるのは、寂しいものです。

 


 岐阜市内線に乗り、忠節駅に来ました

 


 忠節駅は、併用軌道の岐阜市内線と専用軌道の揖斐線の結節点です。両方の路線を直通する電車や各路線を区間運転する電車が行きかう駅です。

 


 岐阜市内線、忠節駅と岐阜駅前駅を行き来するモ570形です。

 


 揖斐線と岐阜市内線を直通運行しているモ780形です。連接車で冷房車です。

 


 車体には、岐阜にゆかりのある高橋尚子選手が描かれていました。

 


 黒野駅に来ました。黒野駅も、名鉄600V線を見に来た鉄道ファンで賑わっていました。鉄研の部員たちは、名鉄路面電車の廃止について岐阜新聞の取材を受けました。

 


 かつては、黒野駅からさらに2本の路線が延びていました。写真の左側が本揖斐駅へ行く揖斐線、右側の路線が谷汲駅へ行く谷汲線です。

 


 下方駅近くにある根尾川の鉄橋で電車の写真を撮りました。

 


 鉄研部は、名鉄600V区間の撮影にたびたび来ていましたが、これが最後になります。

 


 高橋直子選手のラッピング電車で名鉄岐阜駅に戻りました。

 


 写真は、モ780形の運転台です。今日は、名古屋鉄道本線で豊橋駅へ行き、夜行バスで帰ります。