山下公園を散策 氷川丸とポートタワー 2003年10月7日(火)
根岸駅―(根岸線)―石川駅…(10-分)…山下公園…氷川丸…マリンタワー…(10-分)…山下公園―(シーバス)―横浜駅・解散
最後に山下公園へ行き、氷川丸やポートタワーを散策しました。山下公園は、関東大震災の復興事業として、瓦礫などを使って海を埋め立て造成して、1930年に開園しました。面積は、74121m²です。横浜マリンタワーは、横浜港のシンボルともなっているタワーです。かつては灯台としても機能していました。山下公園に隣接しています。1959年に横浜港開港100周年記念行事として、横浜港を象徴するモニュメントを建設しようという計画が起こり1961年に建設されました。
日本の高い塔は、ほとんどが4角型で建設されていましたが、設計デザインの段階で20種類以上の案が提出され、海上からでも陸上からでも、どの角度からも同じ姿に見えるというメリットから10角型のスタイルが選ばれました。高さは、106mです。灯台を意識したデザインとなっていて、実際に頭頂部には灯台としての機能ももっていました。
写真は、山下公園にある「かもめの水兵さん」の句碑です。「かもめの水兵さん」は、1937年に発表された日本の童謡です。作詞は武内俊子氏、作曲は河村光陽氏です。
私たちは、氷川丸を見学しました。氷川丸は、日本郵船が1930年に竣工させた12000t級の貨客船です。北太平洋航路で運航されました。現在は、横浜で博物館船として公開されています。
多くの日本商船が喪失された太平洋戦争でも、沈没を免れた数少ない大型貨客船です。戦後も1960年まで北太平洋航路で運航を続けました。運航終了後、横浜市山下公園前の横浜港に係留されています。
日本郵船は昭和初期、北太平洋で展開されたアメリカやカナダとの貨客船就航路線競争の一環として、明治末期から大正初期に建造された天洋丸級をはじめとする老朽船に代わる、新型貨客船を必要としていました。この結果、政府の援助も受けて6隻のディーゼルエンジン搭載貨客船が建造されました。
それが17000総トン・速力20ノットでサンフランシスコ航路に就航した浅間丸・龍田丸・秩父丸(後に改名し鎌倉丸)と、シアトル・バンクーバー航路に就航した日枝丸・平安丸・氷川丸です。船名は埼玉県さいたま市大宮区の氷川神社に由来します。ブリッジの神棚には氷川神社の祭神が勧請され、保存船となった今も氷川神社を祀っています。