JR東日本 大井工場夏休みフェア  2003年8月23日(土)

大井町駅…大井工場・見学…大井町駅・解散



 JR大井工場夏休みフェアを見学しました。大井車両工場は、国鉄時代から東京地区の電車を専門に検査・修繕や改造などを行っています。構内には御料車庫があり、歴代の皇室用客車が保管されています。また、各種旧型車両も保管されています。



今日は、電車修繕作業の実演、新旧車両の展示、鉄道模型の運転、車両部品のカットモデルの展示、ミニ電車の体験乗車、JRグッズの販売などが行われています。私たちは、アントで工場棟から運び出された車両の車体上げ下ろし実演を見学しました。




 写真の左手に写っている電車は、南武支線で運用されている101系です。



 写真の一番左手に写っている車両は、マイテ39 11です。1930に大井工場で製造された展望車です。青梅鉄道公園で保存されていました。1987に大井工場に搬入され、補修されてから保管されました。



 写真は、 クモハ1205212053です。1959年には鶴見線の単行運転用として両運転台車に改造された6両のうちの1つです。 1996まで鶴見線で運用されていました。鶴見線での運用が終了してから、中原電車区に車籍を残したまま大井工場で保存されています。



 写真は、ナデ6141です。1913(大正2年)から1914にかけて鉄道院新橋工場で、デハ6285形がデハ6280の増備車として12両が製造されました。デハ6285形は、木製で両運転台式の制御電動車でした。



 目黒蒲田電鉄や日立電鉄で運用された後、そのうちの
1両が1972日本国有鉄道に引き取られ、日本の鉄道100年の記念事業として大井工場でナデ6141に復元されました。19721014日に鉄道記念物に指定されました。1987にはJR東日本に引き継がれ、動態復元され、引き続き大井工場で保管されました。



 写真の一番右側に写っている青い車両は、キヤ191です。日本国有鉄道が製造し、JR東日本やJR西日本に継承、在籍した架線信号検測用の試験気動車です。197419761編成ずつ計3編成6両が富士重工業で製造されました。電化区間や自動信号設置区間の拡大に伴い、検測を省力化し、今までよりも検測精度を向上させるために製造されました。架線への電力供給が停止している区間や非電化区間でも検測を実施できる気動車です。



 私たちは、165系さよなら運転にも乗車しました。 165系電車は、国鉄が設計・製造した直流急行形電車です。国鉄分割民営化後は、JR東日本・JR東海・JR西日本で運用されていました。165系は、国鉄の新性能電車初の直流急行形電車として開発された153系電車の構造を受け継ぎつつ、勾配・寒冷路線向けの急行形電車として開発され、1963から営業運転に投入されました。



 1960
年代
前半、信越本線長岡駅―新潟駅間と高崎駅―長野駅間、中央東線電化により首都圏から直通する長距離連続電化区間が完成し、電車による急行列車を運転することが計画されました。各区間には連続する急勾配があり、寒冷で多雪な気候条件の路線でした。東海道本線などの平坦で温暖な区間向けに設計された153系電車では、これらの路線には出力や耐寒能力が不足していました。このため、165系は、連続する勾配や寒冷な路線での運用に適した性能の直流急行形電車として製造されました。



写真は、クモハ101-902です。国鉄電車の標準的な車両となった101系の試作車です。1957に大井工場で製造されました。廃車後は大井工場の正門の近くで静態保存されています。部員たちは、JRの各車両を見学、撮影できてたいへん喜びました。